見出し画像

人参の皮

ザアッという音と一緒に、人参の皮が剥かれてゆく。
わたしは黙ってそれを見つめながら、「人参って不思議だな」と思う。

他の多くの野菜と違って、人参は皮と中身にあまり変化がない。
そもそも、人参のいちばん外側を「皮」と呼んで、ピーラーで剥いたりしているけれど、あれは本当に皮なんだろうか。
あんなに、中身と同じ様子なのに。

人参みたいに、薄皮いちまい剥げたらいいのに、と
今晩のわたしは、そんなことを考えている。

つるりと生まれ変わるような、そんな大きな変化じゃなくて構わない。
どこまでが皮で、どこからが中身かわからないような、そんな曖昧な線引きの中で
“もや”のような薄皮いちまい、いまは要らない部分を剥ぎ取って、深く息を吸うことができたら、と思う。
人間で例えるなら、「デトックス」だろうか。
毒素を吐き出す。
見た目は大きく変わらない。

そういえば、わたしが大学生くらいのころ「デトックス」という言葉が流行った気がする。

「おまえは、デトックスしたらメガネしか残らないな!」

メガネをかけた友達に、そんなふうに言って笑いあった記憶がある。
おまえは、メガネが本体だから、と言って。

それは悪口でもなんでもなくて、言われたほうも「なんだよ」って笑ったり、逆に「めがねが本体だから」と言っていたような気もする。

わたしがデトックスしたら、いったい何が残るのだろうか。
薄皮いちまい剥いだ人参のように、同じ姿を保てるのだろうか。

人参の薄皮みたいに、何かを削ぎ落としたい、と思う。

急いでおとなにならなくてもいい、
健全さを取り戻したい、というわけではない気もする。
ただ、”剥ぎ取りたい何か”を抱えている、そんな気がする。

剥ぎ取りたい何かを取り除いたあとにはきっと、「残したい何か」が残る。
または、「残したい何か」を守れるわたしに、なれるような気がしている。

それでは、「残したい何か」とは、なんだろうか。
わたしにとって、大切なもの。
あのときの、めがねみたいに。
「本体」と呼ばれるものは、一体なんだろうか。

ザアッと音を立てて剥ぎ取られた人参の皮は、ゴミ袋に落ちてゆく。
わたしはそれを見つめながら、ゆっくりと煙草の煙を吐くだけだった。


【photo】 amano yasuhiro
https://note.com/hiro_pic09
https://twitter.com/hiro_57p
https://www.instagram.com/hiro.pic09/



スタバに行きます。500円以上のサポートで、ご希望の方には郵便でお手紙のお届けも◎