見出し画像

わたしのハングルース

なにかを書こう、と思ってここへ座って30分が経った。
風呂上がりの身体もずいぶん冷めたところ。
なんで最初に靴下を履かなかったんだろう。

「エッセイの毎日更新」で言えば、今日分の更新はもう終わっている。
2日ほどかけて、「2月のエッセイまとめ」に取り組み、日中には書き終えている。
その前もやっぱり、「2月に見たもの、聞いたもの」のまとめ記事を書いていて、エッセイも書きたいなと思っていたところだった。

エッセイ、の定義はよくわかっていない。
ジャンル分けって苦手だ。
「好きなジャンルはなんですか?」と聞かれると、困ってしまう。
よく訊かれる質問で、いちいち悩むのも面倒なので「好きなジャンル」と「好きなミュージシャン」の回答は同じにして、固定した。
「スガシカオと、ユーミンが好きです」
そう言うと、みんな納得する。
それ以上は質問されなかった。
一応、「日本人以外だとRadioheadが好きです」っていう答えも用意していたけれど、尋ねられたことはなかった。

ジャンル分けは難しい。
けれど、「まとめ記事」と「エッセイ」は違う、と思う。

今まではピアノ日記以外のすべてのものを、「エッセイ」という括りにしていたけれど、ちょっと線を引いてみた。
エッセイ、日記、小説
すべて語尾に「っぽいもの」がつくけれど。
そして、「じゃあ今日のこれはなんですか?」と訊かれたら、自分の答えはあるけれど恥ずかしくて回答できないかもしれない。
なんかちょっと、こっ恥ずかしい。

今日は、小説寄りのものを書きたかった。
これは2月に取り組んできた課題で、情景を織り交ぜる
いままでなら削っていたような、特定のイメージへと連れ出すための言葉を書き加える。
それが情景だったり、いくつかの例え話だったりする。

いままでは「どうぞご自由にお受け取りください」と思って書いていた。
根本的には変わらないのだけれど、自由の幅を少し狭めている感じ。
花を花、と書くときに、「白い花」くらいまでは言うようにした。
必要とあれば、「白いバラ」とも「白いスイートピー」とも、書けるだろう。
そういう線引きというか、必要に応じて
少しずつ、言葉を選ぶ工夫をしている。

書きたいものが書けたらいいのに。

少なくとも、30分くらい座っていたら、書けるようになればいいのに。
BGMを荒井由実から、ワールズ・エンド・ガールフレンドに切り替えた。
誰にも、何もやさしくして欲しくなかった。
「今日は逃げずに、考える夜だ」と思った。
逃げない、というのはやっぱり2月のテーマのひとつだった。
ひとつの作品に向き合う時間を増やした。というか、気づいたら増えていた。時間を増やせる余力があったから、それに尽きるとも思うけれど。

「もう少し詰めたい、というところを手放している」
というようなことを友人に離したのは、2月の頭の出来事だったと思う。
君の文章はすごい、などと、けっこう手放しに褒められて困ってしまった。
だから、「手放している」と話した。
だから、量産が可能なのだと。
褒めてくれた友人は曲を作る人たちだったので、「1曲に向き合って作れることを尊敬している」と告げた。
きっと5年前、もしかしたら10年前の曲だって、いま歌う世界のひとたちを、尊敬している。
わたしはもう、1年前の自分のエッセイだって、うまく向き合えない気がしている。

でも、「手放していること」には、少し罪悪感があった。
言葉を変えれば「向き合っていない」ということを意味する。
もちろん、ものすごく向き合いながら毎日書くことは不可能なので、それは理解している。
1000文字のエッセイと、ひとつの楽曲は、重さが違う。そもそもの単位ごと異なる。
それでも、もう少しだけ
わたしはいま、もう少しだけ、向き合おうとしている。

ひとつの物語に、もっと別の言葉はないのだろうか、と。
語尾のひとつで、伝えたい温度をもう少しだけ調整する。
要らない言葉を削るだけではなくて、勇気を持って書き加える。

何も書けない、と思っても、
適当に書き始める前に、なにか考えてみる。
諦めて眠る前に、何かを書いてみる。

それが、理想と違うものが生まれたとしても、明日もう一度頑張る。

何かを好きになる、ということは、ずっと好きでいる、ということではない。
もちろん、優れている必要もない。

ハング・ルースかもしれない。
てのひらを見つめながら握る。そこから小指と親指をピンと伸ばす。
ハワイの挨拶で、「気軽に行こうぜ」というような意味だと聞いた。

「小指と親指くらいは遊ばせとけってことだ」

コングは、そう言って笑った。
鷺沢萠という人が書いた「ハング・ルース」という小説野での出来事だ。

そしてそれは、わたしのすべてのアカウント名の由来となっている。

小指と親指だけ、っていうのが難しいよな。と、いまになって思う。

懸命になりすぎると、容易く見失う。
完璧を求めると「うまくできないから才能がない」のわたしに逆戻りしてしまう。
三日坊主だ、と嘆いてしまう。
三日坊主だって、別にいいのに。
3日目にできなくても、また4日目から頑張ることができたならば。
転ばないことよりも、立ち上がり方を知っている方が、うんと尊い。
だから、小指と親指は遊ばせておくんだよ。

じゃあのんびりでいいや、と思って
なにもしないで気づいたら数ヶ月で、季節がいくつも巡ったりしてしまうと、それも困る。
そのときは、ぜんぶの指が遊び呆けている。
もちろん、遊び呆けることも大切だけれど。
もし自分にとって「努めるべき時期」であるならば、そうは言っていられない。

だから、小指と親指だけを遊ばせておく。
だから、難しいんだよな。
だから、大切なんだよな。

今日の物語は、今日のわたしのハング・ルースだった。ということにしたい。

もともと目指していた小説っぽいものは書けなかったけど、
ここしばらくの課題を詰め込みつつ、挑戦もしてみた。

「30分も悩んで理想のものが書けなかった自分」はどこかへ消え、
「結果的に挑戦して書ききってやったわたし」が、ふてぶてしくコーヒーを飲んでいる。
悪くない夜だ、と思う。

小指と親指を伸ばした指をくるくると振って、「またあした」とほほえんだ。





サギサワさんがいなくなったのは、2004年。
わたしはまだ高校生で、彼女の著書は読んだことがなかった。
あれから、18年。
わたしは今年、サギサワさんがこの世界を旅立ったときと同じ、35歳になる。

彼女の新しい本が本屋に並ぶことはない。
古い本だって、きっと並ばない。
だからもし興味を持ってくれたひとがいたら、どこかで鷺沢萠というひとの本に出会ったら、迷わず買ってくださいね。もう、会えないかもしれないから

ばかだな、ハング・ルースって言ったの、あなただったのに。
小指と親指を遊ばせて、生き延びてくれたらよかったのに。


※わたしのおすすめする鷺沢さんの作品はこちら

※今日話題に出した作品

※最近マガジンの整理しています


※今日のBGM




この記事が参加している募集

#noteの書き方

29,068件

スタバに行きます。500円以上のサポートで、ご希望の方には郵便でお手紙のお届けも◎