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今度はわたしが、肯定する。

コーヒーを飲んでいる。
うちで淹れている、毒とコーヒーのハザマみたいなやつ
氷、水、牛乳のどれかで割る前提だから、もはや原液。
わたしは日々、コーヒーの原液を生み出している。

2年ほど前、
流行病が本当に流行り始めたころに感染して、味覚を失った。
あれ以降、味覚の正体の半分は、食感と視覚で補完されていることを体感し、少しだけ繊細な生き物になれたような気がしている。
いや、味覚と共に雑さも戻ってきたか。
16時間ダイエット成功の秘訣は、味覚と嗅覚がバグっていたからかもしれない…と、いまでも思う。

いろんなことが戻ってきたけれど、コーヒーに関しては美味さが増した。
これは、ほんとうに
コーヒーが果物とか、チョコレートとか、さわやかとか、スッキリとか、そういう例えをする理由を体感した。
コーヒーから果物を感じるわけないだろ。って思ってた。

つまり、コーヒーが美味い。

流行り病には2021年8月に罹患したあと、このあいだ(2023年の5月)にもかかった。
いやもう、流行りに敏感すぎるだろ。
どっちも「感染者拡大」の波に、しっかりきっちり乗った形になる。

そして6月の終わりを迎えるわたしの近況報告として、身体が動かない。
会社までたどり着けない。とにかく歩くのがしんどい、立ち上がるのがしんどい、集中しづらい、ちょっと集中すると頭痛がする。そして平熱+1度の微熱が続く。
とんでもないワガママボディだ。勘弁してくれ
サボってんのか、やる気がないのか、具合が悪いのかよくわからん。

もう何日も会社に行けなかったので、かかりつけ医に飛び込んだ。
「今日はちょっと無理ですね」って言われて、5日後の夕方に来てくださいって言われた。まじかよ。それが最速らしい。
世の中、けっこうたいへん。
たぶん、わたしもたいへん。
わたしが大変なときって、わたしが世界でいちばん大変な気持ちになっちゃうのって、ほんとによくない。
でも、「わたしよりツライひともいるんだから」って言って、痛みを軽視するのも違う。絶対に違う。
ツラさっていうのは、秤にかけるものではない。
あなたもツライ、わたしもツライ。

で、これは今日書きたいことに対しての前置きであり、近況報告である。
ここを削って書こうと思ったんだけど、言いたいことの「重さ」が異なってしまうので、書くことにした。

これは近況報告であって、「不幸自慢」ではない。
「不幸自慢はしない」というのは、十余年前にハチミツとクローバーに誓ったことなので、自分のしんどい話ってのは、あんまりしないようにしていた。
いまでもそりゃあ、好きじゃないよ。
過ぎ去って、笑い話にしてから話したいよ。

でも、しんどいことゼンブ書かずに、話さずにいたら「近況報告」ができないの。
わたしがお花を好きになれたのね、本当は病気がきっかけだったの。味覚も嗅覚も失ったから、花しかなくて。
そういうときに、わたしの大切な経験を「不幸だから」なんていうので削ったらさ、なんか楽しくないじゃん。

「不幸自慢」と「近況報告」は違う。
そして、「ツライ」は天秤に乗せてはいけない。

ここまで、盛大な前置きでした。
盛大すぎて、コーヒー飲み干しちゃったのでおかわりしてきた。
うちは、サーバーいっぱいにドリップして、そのまま冷蔵庫にぶちこむスタイルを取っている。
お気に入りのドリッパーは、コーノの名門シリーズなんだけど、このハナシ今度してもいい?

ということで、最近は会社にも行かず、時々リモートワークをし、母親に電話したり、アニメをイッキ見したり(鬼滅の刃・鍛冶屋の里編、ドクターストーンの2期、魔法使いの嫁2期)
病人なのに落ち込まずに、鋼の心で乗り越えてきた。
頼む、病気と一緒に休んでてクレ……仕事しないで生きていくのが不安なワタシ、他人と同じことができなくて落ち込むワタシ
いまのわたしは、休みがラッキーと思えなくても、なにひとつ前向きじゃなくても、ふらふらとコンビニに行って、大好きな菓子パンと買って、アニメを見る自堕落さにどうか、”救われて”いてくれ。

昨日、一昨日はエッセイを休んで、ピアノ日記を更新した。

ここ数ヶ月は、「エッセイかピアノか、どちらかを24時までに更新」としていて、エッセイに比重を置くようにしている。

ピアノ日記を弾いている日は、眠いとか具合が悪いとか、エッセイを書く気力がないとき。
わたしにとっては、エッセイとピアノなら、ピアノのほうが疲れない。
時々、ほんの時々、エッセイにするとトゲにすることを、ピアノに乗せたりしているけれど、そんなまっとうな理由は本当に稀だ。

一昨日は、本当に具合が悪かった気がする。人生に絶望していた。
あと、わたしがエッセイを書きたい時間帯が、たまたまいちばん具合が悪かった。

昨日は、ドクターストーンのイッキ見をしていた。
自分のエッセイよりも、石化の謎のほうがよっぽど大事だと思えた。そうだよね?
ドクターストーンおもしろすぎるんだよ。2期の第2シリーズも楽しみにしています。

今日は、エッセイを書くことにした。
書いておこう、って思った。
書いておこう、と思って、日々書いている。

「インプットがないと、アウトプットができない」という説がある。

これでいうと、ここ数日のわたしのインプットなんてたかが知れていて、見たアニメと、動かない身体の絶望、エプロンとのモーニングとか、それくらい。
「後ハッピーマニア」4巻の感想を書きたいけど、絶対元気なときに書くって決めてる。
シゲタのことを書くのに、頭痛とか言ってらンないから。
つまり、インプットのない状態で書いている。

実は、「書くことにインプットはあまり重要ではない」というのが、わたしの宗派である。

基本的に、「どうしようもないことを膨らませて書く」とか、「スタバのお姉さんが笑ってくれた」とかで1000~2000文字書けるので、わざわざ"ネタ探し"みたいなことはしない。
わたしにとってネタは探すものじゃなくて、拾うもの。
とりあえず拾っといて、蹴っ飛ばしたり投げ飛ばしたりして、こねくり回すのが書くことだと思う。
アニメを見るのは完全に趣味だ。好き過ぎる。

もし、誰かに「文章を書くコツ」なんて尋ねられたら、「いっぱい本を読め」なんて絶対言わない。
読みたきゃ読め

世の中には、「書くことは好きだけど、読むのは好きじゃない」っていうのがあったっていいと思う。
実際にわたしは、「音声配信をするけれど、音声配信を聞くのはあんまり得意じゃない」ということに悩んでいた。
自分の聞いてもらいたいなら、ほかも「聞かなきゃいけない」って思ってた。
これは結構真剣に悩んでいて、満を持して友達に相談したら「え、べつにいいんじゃない?」って言われてびっくりしたのを覚えている。
え、いいのか。

あと、「ライブをするのは好きだけど、他の人のライブを見るのはあんまり好きじゃない」っていうのも悩んでた。
これについては「他の人」っていうくくりがよくなかった。
わたしは友達に対する興味と、「ソレ以外」の人に対する興味に差がありすぎる。

ついでだから話を広げてゆくと、
「ピアノを1日練習しないと、3日分練習しなかったことに相当する」という説、或いは宗派もある。

毎日まじめに練習したことがないので立証はできないけれど
もし、もしいま、わたしのピアノが好きだと言ってくれるひとがいたら、素直に伝えたい。

わたしは、練習が好きではない。
4才から18才まで
レッスンに行く直前の30分だけピアノを弾く暮らしーーー高校生くらいのときは、「レッスンの30分だけピアノを弾くだけ」の暮らしだった。
ああ、懐かしいな
どこか遠出に行くとね、先生にお土産買うのよ。絶対。
それでね、「今回はこのハナシで10分は潰せる」とか思うの。
いま思うと、先生にも母親にも申し訳ないんだけどね。
でも、おかげで今日もピアノを嫌いにならずにすんだのよ。

ピアノは好きだけど、練習はそんな好きじゃなくてもいい。

あと、これずっと思ってたんだけど「久しぶりに楽器触ると、なんか上手くなってることない?」ってドラマーの友達に聞いたら「わかる!」って言ってたよ。
なんかね~あるんだよね。
チカラが抜けた感じ。
なんであんなに難しかったんだろうね、みたいな。

もちろん、「練習のときにできなかったことが、本番イキナリできるようになる」ってわけじゃないので、そのへんは気をつけて欲しいのだけれど。
こんなやつでもね、ピアノを好きって言っちゃうのよアハハ、ってハナシ。

歌についても、”センセイ”にそう言われた。

歌をうまく、うまくなくてもいいから「不便じゃないくらい」に歌えるようになりたくて、教えてもらっていたことがある。
2人のセンセイについて、数ヶ月間はまじめに練習して、いろいろ意識して、試して、弾き語りのライブも精力的にやった。
あの頃は、うまくいかなくて相当落ち込んだし、2人目のセンセイは正論をぶん投げてくるので、何度か泣いた。
歌を嫌いにならなかったのは、奇跡だと思う。

それからいろいろあって、弾き語りのライブをあんまりやらなくなって
ライブがなければ歌も練習しないし、新曲も作らなかった。
わたしは歌うことより、ライブをすることよりも、エッセイを書くことと、ひとりでピアノを弾くことのほうが好きらしかった。

でも、機会があっていまでもたまに歌う。
歌うと、なんだか前よりできることが増えているような気がしている。
特に、ピアノ日記を毎日、約1000日更新したそのあとには、圧倒的な変化があった。

「僕ね、歌ウマくなった気がするんですよ」
センセイにそう言ってみた。
センセイは、頷いた。

「”歌をうたうことを”を一度覚えたなら、そのあとはずっと上手くなる。
 どんな音を聞いても、”歌い方”について考えるから、絶対に成長するよ」

なるほど。
なるほど過ぎる。

わたしは一生「ボーカリスト」なんて名乗らないけれど、
もう、「歌わない人」じゃないんだ。
そこまで、連れてきてくれてありがとうセンセイ。
あと、センセイにしがみついてくれてありがとう、あの日のワタシ。

世の中には、いろんな宗派がある。

その宗派があるということには、たぶん”意味”はある。
インプットは知らない何かを連れてきてくれるし、上手くなりたいなら上手い人から吸収したほうがいい。
練習すればするほど上手くなるかはわからないけれど、本番でいきなり成功するっていうのは現実味がなさすぎる。
だから、多数派の宗派を一度飲み込んでみるのも絶対に大切だけれど
信じたっていい。同じくらい、信じたっていい。今ここにある感覚を。

正直、「練習をちょっと休むと上手くなる気がする」とか、「インプットよりも継続的なアウトプットが必要」とか、世の中の意見と違いすぎて、恥ずかしいことだと思っていた。
練習をしないことへの言い訳とか、アウトプットをサボる言い訳とか、そんなふうに

でも、友達が肯定してくれた。
だから今度は、わたしが肯定する。そのために書いている。

だから今日も、書いている。
わたしにとってはインプットより、休むことより、「書き続けること」が、自分を強くする。
そしてわたしはまだ、強くなりたい。
「やさしく生きなさい」って言ってくれたこと、絶対に忘れない。忘れないから、だから強く生きたいんだ。

「そうだよ」とか、「違うよ」とか、いろいろ思ってくれていい。
様々を疑って、最後に決めたものを信じて欲しい。

わたしはこれからも、そうするつもりでいる。


【photo】 amano yasuhiro
https://note.com/hiro_pic09
https://twitter.com/hiro_57p
https://www.instagram.com/hiro.pic09/
6月最後のエッセイに、紫陽花お借りしました。ありがとう



※「不幸自慢」のハナシ


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