黄金色の世界
西日の、黄金色を見つめている。
ぶわりと輝く、そんな時間があることには気づいていた。
6月、
このあいだまでの雨模様は少し遠くなったようで、夕方には晴れている時間が多いような気がする。
基本的には方向音痴で、
それでも地図を見て、ひとりでどこでも行けるおとなの、ふりをして生きられるようになった。
方角のことなんか基本的にわかっていないけれど、会社のあの窓は西側なんだろう。
夕方、気づいたら見つめている。
黄金色に、輝く窓。
何かに包まれている、と感じるのは、錯覚だろうか。
*
今日は自宅で、黄金の時間を迎えていた。
そういえば仕事休みの日はなぜだか雨が多かった気がするし、
このあいだ晴れていたときは、浮かれて散歩に行ってしまったから家にはいなかった。
いや、そんなことよりも、電気を消していたから、というのが大きかったのかもしれない。
キッチンに差し込むその色を、わたしは静かに、じっくりと見つめていた。
居間では、同居人が眠っている。
明け方に帰ってきて、すぐには眠れなかったようで、こんな時間まで眠りこけているのは珍しかった。
この男が眠っているあいだ、我が家のキッチンに明かりは灯らない。
明かりが要らないくらいの西日が、じんわりとキッチンを照らしている。
やっぱり、何かに包まれているような気がした。
*
いちにちが終わることを、むかしほど寂しいと思わなくなった。
何時からでも「俺のターン」みたいな時間は作れるし、1時間あればできること、2時間は必要なこと、
眠る時間から逆算して、
または、眠る時間を削ったって、うまくやれるようになった。
だいたい、夜眠る時間を削っているときは、昼寝をしているのだから仕方がない。
夕方はもう寂しくないのだけれど、日が長い日々を、わたしは愛おしく思っている。
「夏至が過ぎると寂しくなる」と言っていたあのひとの気持ちが、いまではようやくわかる。
寂しさとは違う懐かしさがこみ上げてくるのも、もう怖くはなかった。
部屋中が黄金色に輝き、居間で寝ている人の姿を見つめた。
誰かが眠っている姿を見ると、少しだけほっとするのはなぜだろう。
開け放たれた窓から、誰かのしゃべる声や、車の音が聞こえてきて、それもなんだか愛おしく思えた。
誰かの、何かの気配を感じながら眠る、というのも、悪くない。ということを、わたしは知っていた。
それはなんだか、包まれているようで、溶け込んでいるような気持ちにさせた。
この部屋がもし船だったら、こんな時間に旅立つのも悪くないだろう。
床の下に、ロケットみたいな装置がついていて、ぶわりと浮かび上がってゆく。
そして、黄金色のこの街を見下ろす姿を、少しだけ想像した。
*
このあいだ「今年ももう半分終わったのかあ」と言われて、「いやいや違うよ」となだめたことを思い出した。
「6月が終わったら半分でしょう?」と落ち着いて伝えたら、「そうかあ」と頷いていた。
「でも、毎日あっというまだね」
わたしは頷いた。
日々の速度は、年々増しているような気がするけど、反面おだやかになったような気がする。
数年前のわたしは、雨の音をゆっくり聞いたりとか、わざわざ窓を開けて雨を見つめたりしなかったし、西日が美しい、なんて思わなかった。
もっと、何かに追われているような、必死すぎるような毎日だった。
呼吸をすることに執着しなければ、死んでしまうような切迫感。
「家を選ぶときにいちばん大切なのはね、日当たりだよ」
そう言われたことを、今になって思い出す。
それは、30歳になる少し前のことで、内見に付き合ってくれた友達が、何度もそう言っていた。
洗濯機置場は部屋の中がいいとか、キッチンが広いほうがいいとか、いろいろあるけれど、彼女は日当たりばかりを見ていた。
「べつにいいのに」って、あのときは思っていたけれど、今ならわかる気がする。
わたしが息をするのに必死だった20代のころ、彼女はパタパタと走り抜けるような日々を送りながら、きっと西日を美しいと思っていたのだろう。
「いい天気だね」と笑う、彼女の姿を、思い出している。
次に彼女に会ったときには、「日当たりの大切のよさがわかったよ」と伝えようと思う。
「でしょ?」と言って、やっぱり笑う彼女の姿が、はっきりと思い浮かんでいる。
スタバに行きます。500円以上のサポートで、ご希望の方には郵便でお手紙のお届けも◎