おとなになる、ということ。
あ、と思ったときには、もう遅かった。
こぼした、と思った。
袋の底に残るコーヒー豆(挽かれたやつ)を、計量スプーンに移しているときのことだった。
気づいたときには、足の上に砂のような感触が乗っていた。
*
何かをこぼすと、悲しかった。
おおげさだけど、まるで世界の終わり、みたいな気持ちになっていた。
本当に、おおげさだと思う。
でも、「やってしまった」という罪悪感
それも、”また”と思う。
気をつければよかったのに。
少しだけ、丁寧にやればよかったのに。
なんでか、やってしまう。
何度も、飽きもせず。
*
思い出したくはないけど、昔の恋人のことを思い出す。
律儀に、わたしは何度でもこぼして、世界の終わりを迎えていた。
ほんとうに、自分のまぬけさが嫌になる。
落ちてしまったものは、もとには戻らない。
それもまた、悲しかった。
彼はてきぱきと床を掃除して言った。
「さっきよりも、床がきれいになってよかったね」
*
あれからもう何年も経つけど、思い出す。
あのときはそれでも悲しかったのだけれど、何度も思い出しているうちに、わたしも「床がきれいになってよかったね」と思えるようになった。
「ウケる、またやっちまったな!」と、ひとりで笑えるようになった。
わたしは、砂みたいに広がったコーヒー豆を、塗れたティッシュで拭う。
だいたい、そんなにきれい好きじゃないんだ。
適当に拭いて、それいいや。
あとはもう、掃除のときでいい。
ついでに、落ちてたゴミも拾ってやった!
悪くない気分だ、と思う。
*
いまでは同居人が何かをこぼすと、わたしが笑っている。
同居人もやっぱり「やっちまった〜〜〜」と取り乱す。
いいじゃないか、別に。
元には戻らないかもしれないけど、部屋はきれいになるし。
掃除用のクイックルワイパーのシートが無駄になっただなんて、ケチくさいことを言うな。
もともと、掃除のためにあったんだから、いいじゃないか。
そんなに、5分10分を争う暮らしはしていないよ。
*
そんなことを繰り返していたら、最近は同居人も笑うようになった。
「やっちまった」と一緒に笑う。
一緒に掃除をする。
そうやって、一緒におとなになりたい、と思った相手だった。
今日も、磨かれた床に、やさしい日差しが差し込んでいる。
悪くない暮らしだな、と思う。
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