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【読書感想文】 三十路女は分が悪い

「三十路女は分が悪い」

タイトルだけで、これほど人を救い上げてくれる本があるだろうか…
そして、作者は”壇蜜”

テレビが映らない暮らしを、もう十年以上続けているので、壇蜜さんについては詳しくない。けれども、名前を聞けば顔が浮かぶ。
あの、とても美しいお姉さんが書いたのか…
それも、あんなに美しくったって、三十路女は分が悪いって思うの? そうなの?

なんだか、うだつが上がらないような日々なんですよ。
もう、三十路っていうのも申し訳ないくらい……三十路も半ばっていうか、もう立派な後半戦なんですが。
アラフォー!?? まじかよ?? まじだぜ!!

「何者かになりたい」という熱は静かに消え(または消えたような素振りで)
日々をきちんとこなしているつもりではあるけれど、足りない。
それはいつも「何か」が足りなくて、みんな足りなくて、足りないものを探し合っているから。ということもわかっていて
じゃあ、どこが着地点なんだって
結婚しても、子供がいて、夫婦共働きで、資産運用していても、悩んでいて
その全く逆のプロフィールの子も悩んでいて
じゃあアタシたちの悩みってどこにたどり着くのよ……って言ったらもう、「悩みはなくならない」なんだよね。
ああ、あの頃よりも冷静に物事を見られるようになった自分が憎い。答えまでわかっているのに、解放されない。

わたしが、というよりも
わたしはもちろん、その道をもうね、まっすぐ、超ど真ん中の、やっぱりまだ何者かになりたい系の、たぶんいちばんどうしようもない奴で
いやはやこれも周りから見たら、「君はパートナーもいて、やりたいことがあって羨ましい」なんて言われたりしちゃうんでしょ?? 恐ろしいわ!!

だからもうね、みんな「分が悪い」のよ。なんだか。そういうもんなのよ。
なんとなく、同年代で、今まで同じダンジョンをくぐり抜けてきた同士たちが、同じようにレベルを重ねて、違う結果を得て、少し賢くなってたどり着く先が「分が悪い」だったり「悩みはなくならない」だったりするわけよ……残念ながら。

共に戦おうぞ、仲間たち。
そう思って、手に取りました。
言葉はいまでも、自分を勇ましくする武器だからね。受け取るのも、吐き出すのも。

なにより、「壇蜜」という人に惹かれた。
よく知らないんだけど、めっちゃキレイじゃん??
もうね、三十路女は知っているの。美しさは、努力ということを。
そりゃあ、生まれ持った何かとかはあるけれど、女は努力で美しくなるの。
そして、生きてるだけで「かわいいね〜」なんてチヤホヤされるのは、二十代で終わりなの。
わたしなんてね、40がもう間近な今、20代のころに仲良くしてもらってた年上のお友達に「実は顔が好きだった」なんて言われるのよ。ありがとよ! 
それって過去形で、賞味期限切れなワケ。
だから今更話したんだよナ!!?? ちくしょうめ!!

美しさは努力。
だから、「年上のキレーなお姉さん」ってそんだけでスゴイのよ。
もう絶対、人工美人だから。どれだけ生まれ持った素質が素晴らしかったとしても、息してるだけで息を呑むほど美しいってことは有り得ないから。

そして30代以降の美しさって、顔面もあるけれど、その立ち振舞もあると思うのよね。言動とか。背筋とか。
わたしは、「美しさ」の真逆を行っちゃって、どう考えても「妖怪」「モンスター」系統に分類されるの。そっちルートを選んだのよ、この手で。
だからもう、「美しさへの憧れ」っていうのはハンパなくて、見た目も中身も、ほんとうに努力の賜物でしょ? 作るというか、もはや練り上げているはず。
そういう人の話を、聞いてみたかった。

「三十路」「女」なんていうのは、現代ではナンセンスというか、そんな括りはよくない、とされるかもしれない。年齢とか、性別とかね。
わたしは、たまたまパートナーがずっと男で、気づいたらカワイイもの好きの妖怪になっていたわけだけど、それもたまたまよ。
だから誰かが、たまたま何になったって、年齢とか男女とかで物事を括らないことの美しさっていうのも、あると思うんだけど

許して欲しい、三十路女の集いを。
それはもう、出身地とか、血液型とか、そういう集いだと思って欲しい。
わたし、「松永」って言うんですけど、もう名字に「松」が付く人って、勝手に親近感あるワケ……そういう括りと、同じだと思って欲しい。



切り捨て型のわたし

本書は「恋愛」「結婚」「仕事」「将来」に分類されていて、それってわたしたちの悩みそのもの。あるいはすべて。
かつて、「自分を変えたいなら、家・仕事・パートナーのどれかを変えると手っ取り早い」と言われてグサッときた衝撃、まだ忘れてない。

正直、この本を手に取った理由は「三十路女の悩みを知れば、タロット占いにいかせるかな〜?」という下心もあって
悩みを読んでから、「わたしだったらこう答える」って考えたんだけど

いや〜〜〜わたしほんとにね、「切り捨て型」だった!!

もうそんなめんどくさい男はやめちゃいな!!
いいじゃん、仕事変えちゃえば!!

最初にこんな言葉たちが出てきそうで、ゾッとした。
だって、友達(相談相手)の価値が下がる場所に居続けるのってよくないじゃん……ツライなら逃げて欲しいよ。
あと、質問内容が「どうすればいいですか?」で終わってたりすると、「アンタはどうしたいのよ!」と思っちゃったりする。
もう、生き方が武士。乱暴すぎるワタシ。

タロット占い師の仮面を被っているときには、懇切丁寧に寄り添います。信じて欲しい。
ていうか、「やめちゃいな」と「アンタどうしたいのよ」が通らないときに、人は相談するし、占ったりするんだよね。それもわかってる。

でも、損得をすごく考えているし、あとは刹那的だったよね。
「いまイヤだったら、やめちゃいなよ」みたいな。
この調子で、よくもまあパートナーと何年も一緒に暮らしてきたと思うよ……何回も「今ムリだからもうヤダ」って逃げ出そうとしたし、「結婚? コイツと将来の約束するの? コワイ……」って、それは今でも思ってる。

傷つきたくないし、傷ついて欲しくないんだよね。
結局、ひとりでいれば外から傷つけられるリスクは減るし
世の中には、あなたを受け入れてくれる環境が絶対あるから、あなたのほうが見切って移動していったほうがいいよ。って思っちゃう。
何よりわたしがずっと、環境に恵まれてきたタイプだからそういうことが言えちゃう。っていうのも理解はしているんだけどね。あなたのおかげで生きてきました。だからあなたにも、優しい環境に行って欲しい。みたいなね。
幸せを押し付けちゃう。これは、よくないよね。
わたしは「不幸になる権利もある」という、母の強い教えの元に育ってきたわけだし。


損した自分を許せるようになる

この本の何が素晴らしかったって、巻末の「三十路を越える年になり ー私の30代をプレイバックー」
もうね、ここだけでも読んで欲しい。
わたしは、「最後の部分をチャチャッと読んでこの本は終わりだな」って思ってたんだけど、この部分こそが爆弾だった。

損した自分を許せるようになる、っていうのもそこにあった言葉で。
「7年付き合った彼と別れられない」の例から始まる、身に覚えのある損切問題。

アラサー女性には、ありもしない100点満点を追いかけて落胆し続けるような生き方に対して知らんぷりをしていませんか?と言いたいです。

「三十路女は分が悪い」p162から引用

もうね、ほんとにこれ。
あの子が持ってる、あれとこれと、それの全部良いところを組み合わせて満点パックを作ろうとしちゃってた……
だからわたしは、自分の持っていない「結婚」「子供」「資産」を見ると焦るし、友達はわたしを見て「理解のある(ように見える)放し飼いのパートナー」「やりたいこと」「自由」を羨ましいって思うわけ。

このすべてが同梱されているパックっていうのは、存在しないっていうのは言い過ぎだけど(知り合いにいるから)、なかなか難易度が高い。
っていうか、実際にこの全て同梱パックが欲しいかって言われると、そりゃあ無償でもらえるなら欲しいけど(宝くじ的に)……みたいな感じじゃん。ほんとに「欲しいです!そのために努力します!」って言える? わたしはムリだ。

諦めよう、同梱パック。
そう思えた時点で、人生ちょっとラクになった。
わたしは今日も、何が入っているかわからない(ぜんぶが当たりのわけがない)ポケモンカードを、買い続けるわよ……ガチャも回すわ。


セックスレスの納得

今まで性の話題はあんまり扱ってこなかったんだけど、書きたくないわけじゃなくて「難しい」とか「機会がなかった」と思っていたんだけど、
きたわよいま、その機会が。

「セックスレスの夫と一緒にいる意味がわかりません」
これってめちゃくちゃ切実な悩みだな〜と思って。

結婚やパートナーの制度って、「決めた相手以外とは性行為を行わない」みたいなのって、ルールとしてあるじゃないですか。どこまでが暗黙で、どこからが法かとかは詳しくないんですけど。

結婚する(あるは特定のパートナー作る)ことって、「恋人・同居・子育て(親)・性行為」などなどを、すべて同じ人物とやってかなきゃいけない。ってことで。
これ、みんなよくやってるよね?? だって、好きになった相手が同居に適しているか、子育てが一緒にできるパートナーかって、絶対にそうとは限らない。
ごはんを食べる時間や回数、寝る時間、お金の使い方、家族との関わり方、もう言い出したらキリがないすべてを、わかちあってゆかなければならない。

かといって、「セックスレスだから別れちゃえばいいじゃん」とも、「セックスだけ外注するしかないよね」とも言えないし、ふたりで話し合って解決するしかないよね……

というときに、壇蜜はまず「セックスレス」がなぜ生まれるかを考えるわけ。

まず、「セックスレス」という言葉はどうして生まれるのか考えてみましょう。それは、自分たちの夫婦以外の意見がよく聞こえる世界になったからだと言えます。セックスの回数や頻度を多くの夫婦が比べなければ、レスなのか過多なのか普通なのかという物差しは生まれてこないはずです。平均や周囲の声を聞いて得られるものもあるかもしれません。

「三十路女は分が悪い」p97から引用

これだ!!!
いや、すごく当たり前のことを言っているけれど、本当にこれだ。

セックスレスの話題っていうと、まず平均値が割り出されて、年代ごとに表になって、「あ、うちってやっぱり他人より少ない……」と落ち込んで(調べている時点で、おそらく回数は多くないはずだから、たいていこうなる)
そのことが、「わたしって愛されていない」という勘違い(かもしれない)心境に発展してゆく。のだということに、いま気がついた。

わたしは何年か前から「毎日食事は三食」という宗教から抜け出しているのだけれど
これはもうね、何百回も「朝食は食べなきゃダメだよ〜」って言われて、実際に食べる努力もしたけれど、体調に変化はナシ。開き直って「もう朝ごはんは食べません」っていう名乗ることにしたの。それこそ、宗派みたいに。

そしたらうーんとラクになった。
「朝ごはんを食べてこれだけ健康になったよ」っていう記事を読んでも
友達に「朝ごはん食べなきゃダメだよ!」って言われても、「えへへ〜〜アタシ食べないって決めてンだよね」って、へらっと笑えるようになった。

同じ空間、同じ環境の中で仲良く暮らせば、身体の交わりはなくとも二人の平安は保たれると本能的に悟っていくから、性交渉の数は減ってゆくものだと思います。どうかセックスレスという比較対象からできた言葉に悩まされずに、よしじさんたちのペースを大切にしてください。

「三十路女は分が悪い」p97から引用

これだ!!
やっぱりめちゃくちゃ当たり前だけど、ホントにこれだった。

どこかで「一般論と比べて」セックスが少ないことを悩んで、「セックスレス」なんて調べたりしちゃうのだろうけど
あるいは、「昔より回数が減った」とか
つまりそれって、「愛されてない?」みたいな不安になる。
一緒にいると、扱いもぞんざいになってくるしね。
わたしもあなたのお姫様で居続けることはできない。妖怪の道を着実に歩んでいる。
あなたも同じで、王子様で居続けてくれるわけではない。特に同居しちゃうと、家は「外面を脱げる安寧の地」なんだから、礼儀は求めても、王子様を求めることは難しい。っていうかムリ。

「わたしたち」に於いて、居心地の良い空間を作る。
部屋の家具や、ごはんを一緒に食べるかどうか、同じベッドで眠るかどうか
その中にごくごく自然に、セックスの問題もあるといいよね。
セックスに於ける「快楽(性欲)」と「愛情表現」のバランスもあるから、一筋縄ではいかないと思うのだけれど……食欲と一緒で、性欲も人それぞれ満たされるラインが違うから。
「快楽」だけであれば、合法的外注はありだよな〜〜とわたしは思うけど、そこも話し合って決めるべき(なのか、言わずに処理するのが礼儀なのかも、ちょっと難しいけど)

ただ、「愛情表現」が不足しているとツライよね。
ひとりの孤独と、ふたりの孤独って、種類とか粘度が違って、
「ひとりの孤独」って一過性のもので、きちんと過ぎ去って、また襲ってくるのを繰り返すようなイメージだけど(長年パートナーがいるのに、勝手を言って傷つけたらゴメン。イメージの話ね)
「ふたりの孤独」って、ねっとりと襲いかかって、次第に首がしまっていく感じなんだよね。たったひとりのパートナーに「必要とされていない」っていうのは、なんつーか「クる」モンがある。絶対に時間経過では解決しない。

「うちはもうセックスとかもしないんで」

って言っていた男友達がいたけど、「オマエは良いかもしれないけどな!!」って思ったけど、笑顔で「そっか〜」って言っちゃったよ。
それってさっ、「うち」じゃなくて「オマエ」だけの話じゃないのか!?? 大丈夫なのか??
世の中のパートナーって、どれくらいが話し合いをしているんだろう……って考えたら、「セックスの平均値」を見て右往左往しているのと一緒。本末転倒。
必要がある(と、片方でも感じている)場合は、きちんと話し合って、心身ともに、いつもじゃなくても少しでも長い時間満たされて、健全に過ごせたらいいよね。


「馬鹿にされたくない!」という思い

結局ね、不要なものを切り捨てて、損した自分を受け入れ難くて、セックスの回数を他人と比べてしまうっていうのはね、これなんだよ。
っていうのが、こちら。

人の悩みの根源にあるのは「馬鹿にされたくない!」という思い

「三十路女は分が悪い」p167から引用

これを読んで、ハッとした。

誰かと比べて足りないことや、もっていないことが”恥ずかしい”こととして認識されていて(心のどこかで)
そしてそれは「馬鹿にされたくない」に言い換えることができる。って気がついた。

わたしもこれだけ持ってますよ〜だから大丈夫、まともです。一般です。
世界にひとつだけの花を求めながら、流行と平均を追い求めてしまう人類のサガ。
なんていうか「結婚してないの?」「子供いないの?」「貯金ないの?」「正規雇用じゃないの?」、そんな質問の先に続くのが「それで大丈夫なの?」に、勝手に変換されてしまう。思い込み四面楚歌。いや、実際にこういう言葉で攻撃してくる人もいるのかもしれないけれど。
少なくとも、わたしの周りにはいないし、友達にはいない。
「はーーーそれぞれの花もキレイだね」って言っちゃう、まぬけで気のいい奴らばっかり。
あんまり損切を推奨したくないけど、友達はしっかり選んでいきたい。自分を(わたし自身も相手も)下げる人とは一緒にいたくない。
もちろん、仕事相手とか、パートナーの家族とか、選べない場合もあるけどさ。「友達」は選んでいきたい。

だから、わたしの場合は思い込み四面楚歌なんだよね。
誰も、少なくともわたしの友達は、わたしのことを馬鹿になんてしてこない。なのに、持っていないことが不安になっちゃう。

損をした自分を許せる、馬鹿にされることもないって思ったら、「自分だけの持ち物」を整えてゆけるような気がする。
まるで、家具を選ぶみたいに、生き方を選ぶ。
同じ部屋がひとつとないように、わたしとあなたで、居心地のよい部屋が違うように。
やっぱり、物事の本質は「みんなちがって、みんないい」なんだよね。ここに帰ってくる(金子みすゞだよ。教科書に載ってたよね??)


いつも心にコスプレを

本書を通して何度か出てきた表現が「心のコスプレ」でした。
これもなかなかいいな、と思って。
「そういうキャラを演じる」というか、「別脳」っていう考え方も紹介されてた。今の自分と違う自分。

壇蜜さん自身も、自分の性格を「A面」と「B面」があると話していて、
これって当たり前だけどみんなそうで、みんなそうだけど、「正しさのA面」に寄せていったり、「こうあるべきだ」が邪魔してきたりする。

「心のアキレス腱」の話もすごく好きで、壇蜜さんの場合は”ペット”だったそうです。
結婚したい相手がペット好きだったから結婚したけど、そうでなければ結婚しなかった。という話。

わたしの場合は「個人活動」。
今では基本的に「書くこと」かな。これを捻出するために必要な、圧倒的にひとりの時間。書けなくなるなら、パートナーは要らない。
パートナーの存在は、わたしにとって基本的に「プラス」であり、「本来のわたし」のどこかが消えてしまうならば、一緒にいたくない。
それが、わたしのアキレス腱。
そして、絶対にコスプレで誤魔化したくない部分。

このアキレス腱を守れることを意識すべきであって、あとはもうちょっと身軽でいいかもしれない。
「わたしらしさ」も「正しさ」「こうあるべき」も脱ぎ捨てて、A面でもB面でもないわたしを認め、新しく生み出してもいいと思う。

例えば、壇蜜さんは「ムカつく相手に遭遇したら敢えて謝る」キャラを作っているとか……

「アラ、ごめんなさい。イヤな思いをさせちゃって。それにしても鋭いご指摘。何もかもお見通しなのですねぇ。さぞかしオモテになるでしょう?」と、謝り倒し、ついでに褒め殺すというもの。怒りをプレイで包み込んで抑えるというイメージを描きながら行うのがポイントです。

「三十路女は分が悪い」p167から引用

そりゃあ、先輩のお姉さま方から見たら、まだまだコムスメのわたしたちだけれど、
三十路も越えた、とっくの半ばで、気がつけば四十路も目前で(という意識をしっかり持たなければ飲まれてしまいそう)
生きているだけでカワイイ時代も終わり、夢幻も消え去り、襲いかかってくるのは現実で、気づいたことといえば「不安は続く」という事実だけ。

けれども、多少なりとも賢さを身に着けたわたしたちは、いつも心にコスプレを。
苛立ちを感じたとき、後悔するに決まっているであろう言葉を吐き出しそうなとき、心に壇蜜をまとう。
「それは大変でしたね」と壇蜜は辺りを見回して、優しく頷く。「それでは」と微笑んで、呼吸を整える。目の前の相手は一瞬放っておいて、心にまとった”役”をまっとうする。

それは壇蜜でも、壇蜜のコスプレをしたあなた自身でも、心の中の壇蜜でも、別の誰かでも構わない。
怒ったってどうしようもないこともわかっているから、怒りを回避できる場面では、コスプレで乗り越えたい。

やさしくいこう。
あなたが誰より、あなた自身に。
三十代は、強さじゃなくて、優しさだ。
よくある言葉ではあるけれど、自分に優しくできない人は、他人に優しくできない。
他人に優しくできないと、自分がツライ。自己嫌悪が半端ない。落ち込む自分が好きで、時間を持て余していた若さはもうない。

だから、ときにはコスプレで躱して、馬体によっては逃げたり、言語を用いてコミュニケーションを取って、
分の悪さは、経験と冷静さで乗り越えていけるように。
思い込みで四面楚歌にならないように。

こんなひとりごとを、約8000文字も付き合ってくれたあなたへ
壇蜜さんから分け与えていただいた、しなやかに考える受け流す力の一部を、分かち合うことができたら幸いです。


2024年3月6日 ねる


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