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”理想のアタシ”に、コスプレを

昨晩、ちょっと嫌なことがあった。

あったことは仕方がない。
もう、事故みたいなモンで、落ち込んでいるバアイではない。
誰が悪いとか、そういう種明かしも非生産的だから
しゃーない、次の手を考えて……

それが、近年思い描いていた”理想のアタシ”だった。
気持ちを切り替えて、不用意に落ち込まない。
もちろん、「落ち込んではいけない」などと言ったら、ツライし、つまらない。

ちょうど、花ちゃんがこんなことを言っていた。

眉毛の形はさておき(この表現も大好きなんだけど。ていうか、気にしたことないわよ、あなたの眉の形なんて)

「午前中に起きる」が大人になるということで、ある意味わたしのいう「理想のアタシ」であり、「そうなるべきな姿」だと思う。つまり、「しゃーない、次の手を考える」アタシ。
そうなりたいかどうか、というよりも、「そうなっちゃった方がラクだから」みたいな気持ち。
「おとなになれないわたしなんて、メソメソ」と思うくらいなら、バサッと変わってしまったほうが、気がラクというか。

「16時に起きる休日」が、今までのわたしで、本来のわたしだと思う。
そういう日を、なくしちゃいけない。
泣きたいときにはメソメソ泣くべきで、規則正しいアタシなんてクソ食らえである。

私はまだちゃんと愛おしい

この言葉が、ぎゅんとくる。
ああ、わかるぞ、花ちゃん。

「おとなになってしまいたい」コスパの良い自分と、「クソ食らえ」のわたしの、比率が大切なんだ。
だからどうか、10年後も16時に起きて「あははやっちまった」って笑ってくれ(たまにはメソメソ泣いてくれてもいいけれど)
そして、そんな他愛ない話をして、子供の我々を抱き締めよう。10年後も、お茶を飲みながら。


うつ病になった。
”非定形うつ病”とのことで、「まあ、通常のうつとは異なってますけど、気持ち落ち着ける薬を飲んで様子みてね」って話だった。
薬を飲んだら圧倒的に活動時間が増えて、それは「人格が変わった」と言ってもいいくらい、驚くほど日々が明るくなったので、まあ何かしら類する病気だったのだとは思う。
原因はコロナの後遺症に起因しているのか……それはもう、神様だって知っているかわからない。少なくとも、医者もわたしも知らない。

結局ここ数年は、「クソ食らえ」の体力がなかったんだと思う。
つまり、かつてメソメソと泣いていた頃のわたしが主軸で、体調がダメになって「もうわたしは(という人格も)ダメなんだ」って、たぶん思っていた。
体調が悪いと、アタマが悪くなる。思考能力が落ちて、物事を切り離せず、自分を励ますキッカケを生み出すことができない。

でも、なんとか生きなくちゃ。仕事に行って、お金を稼いで、
病気じゃなくて気の持ちようっていうか、わたし が悪いんだから、なんとかなる。頑張らなくちゃ。頑張りたい。昨日できたんだから、今日もきっと大丈夫。
それでも身体は重くなって「ああ、またダメだった」と会社を早退する日々。月に100時間も出勤できない日々が続いた。


いまおもえば、ナケナシのチカラで不用意に励ましすぎたんだと思う。
「しゃーない、次に行くか」と理想の自分を”演じ”続けた。

でも本当のわたしは、つらくて痛かった。
もうちょっと体力があれば、「つらくて痛い、けど頑張ろう」と思えたものの、限界だったわたしは「つらくて痛いのは忘れなきゃ、そうしたら次も頑張れるから」という、ヤバイ魔法をかけ続けていたのだ。
まるで、休日も無理をして午前中に起き続けているみたいに。そうして次第に夜も眠れなくなって……みたいな。


少し健やかな心身を手に入れて、「しゃーないな!次」と思って目覚めた朝に、「いや〜〜〜やっぱりムカつくな」と思い直している。
もちろん、次の手は考えるし、現状からの最善は尽くすけど
もう一度言う、いや〜〜〜やっぱりムカつくな。
このあと、納得する理由が出てくればスッキリするのだけれど、まだ出てこないし。まったく腹立たしい。プンスカ。

「腹立たしい。プンスカ」までやって、多分「しゃーないな!次」なんだと思う。ここを間違えてはいけない。
「怒っているバアイじゃないから、感情はデリート! 事実を処理!」
ということをし続けてしまった結果、言葉通り心身のバランスを崩して、たどり着くのは”うつ”だったのではないか。
最近は、そんなふうに思う。
もちろん、答えは神様だって知らないけれど。

「理想のアタシを演じ続ける」ということは決して悪いことじゃないけれど、それはあくまで演技であって、感情やら本心は別のところに存在している。
壇蜜さんが「心のコスプレ」と言っていたのは、こういうことだとようやく気がついた。コスプレだから、それは大前提で「好きな格好」を、愛おしい自分でいるために選んでいる。
そして、夜になったら脱ぐ。
壇蜜さんは「夜になったら、”壇蜜”を脱ぐ」と表現していた。

演じ続けていたら、それをつけていなければならない仮面やマスクのようになってしまっていた気がする。
「演じる」という点では同じだけれど、「自ら着脱をコントロールできるコスプレ」とは大きく異なる。
騙し過ぎた自分の成れの果て。
痛みを殺した哀れな姿。
ああ、わたしがまとわなきゃいけないのは、「仮面」じゃなくて、「コスプレ」だったんだナ……


ということで、昨日の出来事はやっぱりムカつく。
休日16時まで寝ちゃったら、まずは「やっちまった!」で大丈夫。その心もムリヤリ否定しなくてもいい。それを適当に咀嚼したあとに、ペッと吐き出して「ま〜〜〜いっか!」と思えるような、それこそが”理想のアタシ”なのかもしれない。

何より”理想のアタシ”っていうのは、わたし自身がらくちんに生きられるための装備品であって、これがわたしを追い詰めてはならない。
ということを、ゆめゆめ忘れてはならないのだ。


さて、今日は何のコスプレを被って出掛けようかな。


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