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どうせ、めんどくさい人生だから

言えなかった。

人に頼む、というのは妙に面倒だったりする。
不思議だ。頼み事は自分の手から離れてゆくから、わたしは身軽になるはずなのに。

「頼んだ結果、良いものが返ってくることを願う」と、なかなか大変だ。
その先にはずいぶん面倒な説明と、大きな落胆が待っているかもしれない。

「忙しそうだしな」と思うこともある。
嫌な顔をされてしまうかもしれない、と思う。
最後はいつもこうだ。「自分でできるから」

そうして、唇はいつもの言葉を紡ぐ。
「自分でやったほうが早いし」

そのうえ、自分でやっちゃったほうが気軽だったりするから驚きだ。
身軽と気軽って、こんなに違うの?

ああ、めんどくさい。
頼むのってめんどくさい。

ああ、めんどくさい。
自分でやるのもめんどくさい。
頼まなかったのはわたしなのに
「なんでわたしばっかり」って思っちゃう。

最近ね、「わかって欲しいと怒りをぶつけるのはモラハラだ」って記事を読んだんだけど
いや、八つ当たりのようなものはよくない。わかってる。
「なんでわかってくれないの?」って、そりゃわからない。
言ったってわからないことだって、たくさんあるよ。
でも、なんでこっちのほうが頑張ってる(と自分では思っている)のに、状況を説明したり、依頼内容を整理してまとめる労力まで払わなくてはいけないの?
そっちはなにもしていない(または、余裕があるように見える。と、わたしは思っている)のに?
挙げ句、こっちが伝える労力を払わないとモラハラだって言われちゃう。
なかなか大変過ぎやしないだろうか。お疲れさますぎる。

言ってみた。
勇気を出して言ってみた。

「お風呂の掃除、してくれる?」

あとでシャワーを浴びるついでに、わたしがやろうと思っていたんだ。
掃除って言っても、ほんの少し磨くだけだよ?

君は時計を見た。もう夜遅い。明日も早い。
「2分でいいから」とわたしは言った。
君は何かをやろうとすると、わたしの3倍くらい丁寧だったりするから驚く。
もっとはっきり言った。
「2分以上、時間をかけないで」
言葉って難しい。
でも、はっきりとした言葉は、導く勇気になることがある。

「わかった」と君はほほえんだ。
ほほえみって、どうしてこんなに安心しちゃうんだろう。

ああ、めんどくさいな。
お風呂の掃除めんどくさい。
自分でやるのもめんどくさい。
でも、熱を出していなかったら自分でやっただろうな。

だって、頼むのもめんどくさい。
悪いな、って思っちゃう。
なんで堂々できないんだろう。
「わたしもできること」を他人に頼むのを、どうしても申し訳ないと思ってしまう。
どうしてもなんだかかっこつけちゃう。
「へへ、だいじょうぶさ」なんて。
そのだいじょうぶが、わたしを守ってくれているのもわかっているけれど。

ああ、どうせめんどくさいなら
君のこととか、わたしのことを憎んだり、嫌いになったり
そういうことが、少ない生き方がいいな。
せっかく一緒にいるならば
なんだか適当に分かち合いながら
完璧に分かり合うことは、できないからこそ
愉快な時間が増えればいいな。

そんなふうに、選んでいけたらいいな。
そんなふうに、選べるわたしでいられたらいいな。




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