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君に伝えたい百の言葉

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あなたに伝えたい言葉が残っている。見失っても、百個積んだ先に何かがあるかもしれない。光を追う者のエッセイ集
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#家族

対岸のグレイ

母親に電話をした。 用がなくても、時々電話をする。 「そういえば、台風は大丈夫だった?」 こっちのほうでは大したことがなかったけれど、静岡ではなにやら大変なことになっている。とニュースで見た。 わたしはいまでも、生まれ育った静岡という町の地形とか、位置関係がわからない。 東京で道とか、電車の乗り換えを尋ねられたほうがよっぽど説明できると思う。 だから、避難勧告が出ていたのが母の家の近くなのかとか、そういうことはわからない。 そのうえ調べるのも面倒だから電話でもするか、と

「ありがとう」を美しいと思ったあの夜を、

ああ、なんと美しいんだろう。 わたしも、然るべきときにはそう在りたい。 と、強く願った。 * 「洗っておくよ」と言われた。 赤いネルフのロゴ入りの、黒いマグカップはわたしのお気に入りで 昨日から、飲みかけのコーヒーを冷蔵庫に入れっぱなしになっていた。 今夜はもうコーヒーは飲まないから、洗っちゃおう。 そう、思ったときにこと。 「いいよ、わたしやるよ」 だってマグカップひとつだし。 わたしは、シンクの前に立っている。 君はこのあと、手を洗うついでだと言ったけれど ぜんぜ

くたびれた電池

画面の、右上に視線を動かす。 思い出、タイムマシン 繋がっている外付けハードディスクのアイコンの上に、小さな通知。 流し読みして、「閉じる」を押す。 通知の内容は2種類で、 ひとつは、Dropboxの容量がいっぱいになっていること。 (友達と共有しているフォルダなので整理が面倒。Googleドライブに乗り換えて、今では使っていない) そしてもうひとつは、「電池が切れるのですぐに変えてください」 わたしはいつも、すべてを無視する。 まあいいや。いまは動いているし。問題ない

だから明日は

ある朝のメモに、こんな文章が残っていた。 時間は朝9時を少し過ぎたところで、会社に向かう電車に乗っているときに書いた。 いまでも覚えてる。 過ぎゆく見慣れた景色の、そのずっと奥を、ぐっと見つめていた。 前の日とかに、コナンのふるさと館について、友達と話していた。 いま調べてみたら、正式名称は「青山剛昌ふるさと館」で、場所は鳥取。 この場所についてはわたしも存在を知っていて、いつか行ってみたい。と思っていた。 工藤新一の家があったり、喫茶ポアロがあったり、コナンたちが暮らし

似てないよ。兄ちゃんにだって、似ていない。

兄、というひとがいる。 同じ父親と母親から生まれた。らしい。 そういえば、事実かどうか確かめたことはない。 兄とわたしの血を比べれば、「同じ両親ですね」とわかったりするものだろうか。 * わたしたち兄妹は、あまり似ていないと思う。 顔の系統は、ふたりとも母似。だとは思う。 時折、写真に映る自分の顔が兄に似ていて、「うへえっ」と思うことがある。 同じものを食べて、同じ空間を共有した。というような濃さ、のようなものを感じることもない。 ただ、兄がロックマンをやっているのを

寂しいだけ、のあなたへ

なくしたものを数えたけど 形が変わっただけ 呼ばれた気がして 少し寂しいだけ 「寂しいだけ」という歌詞を書いたような気がする。 と思って調べてみたら、同じ曲の中で、2度も「〜〜だけ」という表現を使っていた。 好きな言い回し、なんだと思う。 「だけ」は、 「笑」に似ている。 なんて言ったら怒られるだろうか。 「笑」のほうが、やさしい表現かもしれない。とすら思う。 「ウケる」という感情または、「怒ってないよ」とか「苦笑している」とか とにかく、自分の言葉や表現に、悪意や

ひとり暮らしのあなたに、知っておいて欲しいこと。 〜新型コロナウイルスに感染したわたしより

「熱が出た」 その連絡がきたときに、「ついに」と思った。 人間だもの、誰だって熱は出る。 でも、このご時世だ。 不安は、ぐっと募る。 熱が出たところとは別のところで、わたしは安堵していた。 約束が、果たされたことに。 * 今日は、ひとり暮らしのあなたに。 または、大切な人がひとり暮らしをしている、というあなたに 2021年8月に新型コロナウイルスに感染したわたしが「知らずに困ったこと」と この経験を経て、大切な友達に伝えたことをお話したいと思います。 1.熱が出たら

ものしりなおしゃべり

「お父さんって、ものしりだね」 いろんなことを教えてくれる、お父さん。 わたしの知らないことを、たくさん知っている。 幼いわたしは、そのことが嬉しかった。 嬉しい気持ちのまま、母にそう告げた。 お父さんって、ものしりだね。 「得意なことを話しているだけだよ」 表情を変えずに、母は言った。 そのときのことを、いまでも覚えている。 ああ、なるほど。と思った。 幼いながら、妙に納得した。 そりゃあ、お父さんのほうがものしりに見えるわけだ。 だって、お母さんとのほうが、趣味

家族、という生き物の難しさについて、わたしは今日も考えている。

「明日の仕事、休みになりました」 起きたら、そんな連絡が入ってきていた。 ねぼけまなこで、もう一度読む。 休み、なるほど。 休みになったのは、わたしではない。 わたしは休職中だから、今日も明日も休み。 休みになったというのは、家族からの報せだ。 明日休み、なるほど。 もう一度頷いて理解する。 メッセージの送信時間と照らし合わせて、今日休みになったのかと理解する。 * 家族が家にいると、わたしの行動はほんの少し異なる。 少しだけ、静かに過ごすようにする。 睡眠の邪魔に

キッチン

「うちに住めばいーじゃん」 これはもはや、君の口癖と言っていい。 すぐ、言う。 昨日も言っていた。 「そっちのほうに住みたい」という友達に、 「家決まるまで、うちに住めばいーじゃん」 わたしは慌てて、「うちでよければね!」と付け足す。 うちは、2人暮らしの1LDK。 キッチンはキッチンであり、それ以上の役割を持たせることが難しいタイプの間取りで リビングにはテレビとソファーがあって、同居人の私室を兼ねている。私室って言っていいのかわからないけれど。 たったひとつのドア付き

どうせ、めんどくさい人生だから

言えなかった。 人に頼む、というのは妙に面倒だったりする。 不思議だ。頼み事は自分の手から離れてゆくから、わたしは身軽になるはずなのに。 「頼んだ結果、良いものが返ってくることを願う」と、なかなか大変だ。 その先にはずいぶん面倒な説明と、大きな落胆が待っているかもしれない。 「忙しそうだしな」と思うこともある。 嫌な顔をされてしまうかもしれない、と思う。 最後はいつもこうだ。「自分でできるから」 そうして、唇はいつもの言葉を紡ぐ。 「自分でやったほうが早いし」 その

やさしい願い

ぼおっと、カレンダーを見つめる。 ときどき気づくと、そうしている。 カレンダーを部屋に飾る、という習慣は比較的早く根付いた。 小学生か、中学生くらいのときに読んだ漫画で、カレンダーに毎日バツをつけてゆくシーンがあって、それを真似た。 大学生とか、20代の半ばくらいまでは、なんだかやたら日々が慌ただしい”感じ”がして、カレンダーを使っていなかったような気がするんだけど。 やっぱり近年のわたしは、カレンダーなしの暮らしなんて考えられない。 なんとなく、母もカレンダーが好きだっ

だれでもないわたし

おとなになって、少しずつ解像度が上がってゆくというか、“あるべきものが、あるべき場所”に戻ってゆくような感覚がある。 あるとき、くしゃみをしていたら「寒いの?」という問い掛けと同時に、「上着を着なさい」と言われたことがある。 わたしはそのときまで、「くしゃみをするのは、寒いからかもしれない」とも、「寒いなら上着を着ればいい」とも、思えていなかった。 ただ、くしゃみが出るなあ、と思っていた。 いまではくしゃみをすると、寒くないかを確認できるようになった。 季節のイベントは、

あなたはわたしの、ミスター・サタン

トン、トン 規則性を持って、その音は響いている。 彼は人参を細かく刻み、次はピーマンに手を伸ばす。 ひき肉と炒めて、「いつでも使える便利な保存食」を作るのだと、意気込んでいた。 そんなに細かく刻まなくてもいいのに、と思う。 食べれればなんでもいいのに、と思う。 嫌いな食べ物こそいくつかあるけれど、わたしはあんまり食にこだわらないタイプだと思う。 だからこそ、同居人は「食でわたしの健康を保つこと」に使命感を持っている。 そして「安く食材を買えること」は、彼にとっていちばん