ものしりなおしゃべり
「お父さんって、ものしりだね」
いろんなことを教えてくれる、お父さん。
わたしの知らないことを、たくさん知っている。
幼いわたしは、そのことが嬉しかった。
嬉しい気持ちのまま、母にそう告げた。
お父さんって、ものしりだね。
「得意なことを話しているだけだよ」
表情を変えずに、母は言った。
そのときのことを、いまでも覚えている。
ああ、なるほど。と思った。
幼いながら、妙に納得した。
そりゃあ、お父さんのほうがものしりに見えるわけだ。
だって、お母さんとのほうが、趣味が合うから。
いまさらお母さんとピアノの話をするよりも、
お父さんとサッカーの話をしたほうが刺激的だ。
ただ、それだけのことだったのだと思う。
*
気づいたら、両親が”親”になった年をとっくに追い越したわたしは、
大学生の頃の、ひとり暮らしの気持ちが抜けきらないまま、東京の片隅に暮らしている。
故郷には帰りたくないだけで、ここで暮らし続けたいかと言われたら、もうちょっとよくわからない。
どこでもいいから、ここにいるだけかもしれない。
かつて抱えていた「絶対に帰らない」という強さもない。
なんでもいいんじゃないか、と思えるようになった。
幼いときより、ふわふわと暮らしている。
おとなになったか、と問われれば「年齢は重ねた」と答えるのが精一杯で
ただ、自分より幼い命を愛おしく思えるようになった。
君たちにとって良い未来になるように努めたい。
*
年齢を重ねたわたしは、あのときの父のように語れるものがあるだろうか。
あのときはたぶん、サッカーの話だったと思う。
父は、近所の子供にサッカーを教えていた。
運動神経のいい人で、わたしとは真逆だった。
当時の父の仕事は大工だったので、サッカーは趣味の領域と呼べるのだろうか。
サッカーを教えることで月謝をもらっていたかとか、そういうことはよく知らない。
ただ、訊けばなんでも教えてくれたのでおもしろかった。
訊けばなんでも教えてくれる、ってなんだかすてきだ。
いまでも憧れてしまう。
わたしがいま同居している家族も、けっこうものしりだと思う。
家電とか詳しい。
携帯も詳しい。
猫のことも教えてくれる。
花だって、わたりより詳しい。
必要以上になんでも教えてくれてちょっとうるさいけど、やっぱりいまでも感動してしまう。
*
最近のわたしは、花が好きだけど、花の種類なんて5つくらいしか知らない。
ただ、花屋に通い始めた半年前は「チューリップ」とか、「バラ」とか、本当にメジャーなやつしか知らなかったので、少しは進歩したと思う。
ピアノは弾けるし、なんとなく楽譜は読める。
コードはよくわからないので、いまでもコード表を手放せない。
紅茶の種類と、コーヒーの味の違いとかはちょっとわかる。
ちょっとだけ。
これはミルクティーに合うとか、一応好みの味のコーヒーというものが存在している程度で、詳しくはない。
あと、好きなものってなんだろう。
本を少し読む。
でも、好きなものしか読まない。
ポケモンのことは、ひとよりちょっと詳しいとは思う。
ただ、わたしより詳しい人はたくさんいる。
でも、「わたしより詳しい人はたくさんいる」って、あんまり意味のない言葉だとは思っている。
何かに於いて、世界でいちばん詳しい状態って、ほとんど有り得ないことだと理解している。
それくらいはおとなになった。
本棚には、コーヒーと紅茶と、色と花の辞典、アロマのテキスト、星座の本が並んでいる。
どれも好きだけど、あれこれ語れるほどではない。
でもやっぱり、好きだと思う。
*
「得意なことを話しているだけだよ」
あのとき母は言った。
さっきは表情を変えずに、と書いたけれど、記憶の中の母は少し冷たい顔をしていた。
ああ、得意なことを話してるだけか。
それならたいしたことないや。
あのときはそう思ったけど。
やっぱりすごいよ。
話せるだけの得意なことがあるってすごいよ。
もちろんそれについて世界でいちばん詳しくなかったとしても、
誰かを納得させたり、安心させたりするような、自信のある顔でおしゃべりできるって
やっぱりすごいな。
わたしはおとなになっても、できないままだよ。
*
もしあなたが不安な顔で、
わたしに相談とか質問をしてきたそのときには、
自信のある顔で答えるよ。大丈夫だって言うよ。
わからないことは、きちんと調べるよ。
もしいつか、
わたしが何かを「得意なこと」みたいに話していたとしたら
わたしがそれに気づいていなかったとしたら
「ようやく見つけたね」って
どうか、あなたが教えてください。
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