どうして「生きにくさ」を感じるのか?
「どうしてこの世界はこんなにも、生きにくいのだろう?」なんて感じたことありませんか?
もちろん、同じ世界の中に生きていても感じ方は人それぞれ。
正解なんてないのでしょう。
さらに、他者からあれこれ言われたとしても自分の捉え方が変わる訳でもありません。
ただ、自分を取り巻く状況によっては、「捉え方は人それぞれ」ということを忘れ、自分の世界観を押し付けようとしてしまう。
そんな乱暴な関わり方のゴールは、もしかしたら望ましくないものかもしれません。
そんな残念なゴールにたどり着かないためには、僕たちが自分をどのように捉え、どのように操縦しているのかを考えておくと良いでしょう。
だいぶ抽象的な話となってしまいましたが、本記事では「心地よく生きるための方法」みたいな話です。
さらっと読んでみてくださいね。
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▼僕たちのアイデンティティ
言うまでもなく、僕たちは意識の程度さえ違えど「自分」というものをもっています。
もちろん、その「自分」が何を大切にしているかは人それぞれ。
例えば、「忘れ物」をしたときの感じ方で考えてみましょう。
ある人は、「あー、やっちゃった。なんでしっかり準備しなかったんだろう。」と、自分を責めるかもしれません。
一方、ある人は「まぁ、しゃーない。」とあっさり受け入れるかもしれない。
この違いは、まさにアイデンティティによるもの。
「忘れ物をしない自分」というアイデンティティをもっている人は、忘れ物をしたことに対してしっかりと反省するでしょう。
しかし、「忘れ物をしない自分」というアイデンティティに価値を置いていない人は、忘れ物をした事実をすんなりと受け流す。
このように同じ事象に対しても、どのように感じるかは自分のアイデンティティによるのです。
ちなみに、このアイデンティティが否定されるような事態になると僕たちは怒ったり悲しんだりします。
逆にアイデンティティとして重要視していない観点で攻められてもさらっと受け流すことができる。
だからこそ、人間同士のいさかいが起こるのでしょう。
そんな「自分らしさ」いわゆるアイデンティティは、「自分」だけでなく「外部」とのかかわりによって明らかになってきます。
例えば、「小学生」というアイデンティティをもつ人は誰か?と聞かれたら、自分としては「子ども」というアイデンティティをもっている必要がありますよね?
しかし、それだけでは「小学生」にはなれません。
なぜなら、「小学校」がなければ「小学生」にはなれないのです。
このように、「友達が多い」というアイデンティティには「友達」が必要なように、自分のアイデンティティは、「自分」で決めるだけでなく、「外部」とのかかわりが必要になるのです。
ここで問題となるのは、「外部」が「人間」の場合。
「小学校」の場合は、動いたり主張したりはしませんから、「小学生」というアイデンティティを否定されることは無いでしょう。
しかし、相手が「人間」の場合は、「否定する」という選択肢を取られる場合がある。
そうなってくると「アイデンティティの破壊」が起こり、様々な問題となる場合があるのです。
ここが難しいところ。
要するに、「自分らしさ」というアイデンティティを築くには、「〇〇な人でありたい!」という自分の思いだけでは不十分で、そこに他者からの「あの人って〇〇な人だよね!」という働きかけが必要になる。
「社会」という集合体で「自分らしさ」を発揮するには、「自分」と「他者」との双方向のやり取りが必要なのです。
そして、そのやり取りにおいてズレが生じることが、「生きにくさ」の一つの要因なのかもしれません。
▼まとめ
本記事では、「自分らしさって意外と複雑よね…」という内容をまとめました。
当然のことながら人間は一人では生きていけません。
だからこそ、自分が自分らしくいられる「居場所」を複数もつことが必要なのかもしれません。
ちなみに、そんな「自分らしさを見つける居場所」を作って一周年となりました。
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