最近詩が書けなくなった理由
2020年に第1詩集を出版しているので、noteやTwitterなどのプロフィール文やユーザー名では、全盲noterの他に、一応詩人とも名乗らせてもらっているが、最近詩はほとんど書いていない。
いや書いていないというか、書けなくなったと言う方が適切かもしれない。
今回はその理由についてつらつらと考察してみたいと思う。
じつはここ数か月、noteに詩を投稿するのを躊躇してしまうようになった。
詩は私にとって、エッセイ以上に自分のえぐい感情や内面をさらけ出すための物だと考えている。そしてそれはリアルで私を知る人たちには、できればあまり知られたくない部分だったりもする。
だからネットに詩を投稿する時には、本名ではなくペンネームを使用し続けてきた。そのため家族はもちろん、リアルで関わりのある人たちには、私が詩やエッセイなどの文章を書いて、ネットに投稿していることはあまり話していない。詩集を出していることも、よほど親しくなった人にしか話さないようにしている。
ところがここnoteのフォロワーさんの中には、リアルで私を知る友人知人が何人か居る。
特にここ数年、ツイキャスやスカイプなどオンライン上で知り合って、その後リアルで会うようになった友人知人が増えたためだ。
その友人がこのエッセイを読んでくれていないことを祈るが、以前その内の一人から、「ひかちゃんの第1詩集、タイトルの割りには中身が無いよね」などとかなりどぎつい指摘を受けたことがあった。
もちろんその友人は悪気があって言ったわけではないというのも分かってはいたが、その後少しの間書くことはもちろん、ネットでの投稿を休止したぐらい傷ついた。
そんなこともあったりして、自分のえぐい感情や内面を、詩という自分にしか分からないような言葉で表現してさらけ出す行為に、恥ずかしさと恐怖心を覚えるようになっていったのも正直なところである。すでに詩集を出版していて、これから書くことで生きていこうとしている人間が、今更何を言うと思われるかもしれないが…。
もういっそのこと、詩は別の場所でこっそり投稿しようかとも考えていたりもする。
それなら詩を書いてもネットに投稿しなければ良いのではとも思うが、それはそれでもったいないというか、書く意味がないのではとも思えてきて空しくなるのだった。
そんなわけで、私が今詩が書けないのは、きっと自分のえぐい感情や内面に、自分自身が気がつきたくないからかもしれない。
べつに全く詩を書きたくないというわけではないのだ。「あっ、なんか書けそうかも」と思う時は多々ある。
しかし詩を書いたからにはnoteに投稿したい。でもその詩をリアルで知っている人たちにも読まれてしまうかもしれないと思うと怖くて書けないのだと思う。
どのような形であれ、誰にも知られることなく、自分の感情や思いを本当の意味でさらけ出せる場所を、note以外に作った方が良いのかもしれない。そうすればまた以前のように詩がすらすらと書けるようになるかもしれないから。
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