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「, 」_作品のこと

さて、そんなこんなで今回は、鳥取での深夜の写真展に出展している作品についての解説をゆるりと話す会でございます。

まず、深夜の写真展とはなんぞやと思うだろう、という事でここに詳細をぽんっとな

鳥取市で明日明後日開催です。

わざわざ自分で持っていったのにはもちろん会いたい人がいるからと言うのもありますが、単に写真を飾る!という展示とは違うものを作りたかったからです。


まずは写真で外見を説明するとこんな感じ。



タイトルは「,  」_写真と日々を暮らすこと

多くを文字や言葉で語ると作品は異なるものにうつってしまうと強くおもいます。何となくいいな、でもいい、そちらの方が狙い通りなので、展示会場につらつらとした説明書は置かず、本人も作品だけ残して戻ってきました。でも、本当になんとなくであるとか、可愛いからとか映えとか有り合わせとかそんなものでは無いぞという証明と、記録用にここに、説明を残しておきます。



まず、作品の詳細をひとつずつ説明してみると、
目の前の窓に浮かぶ写真額。窓には写真は一枚もありません。

何だこれ、となって目線を落とすと大きな写真が三枚と、その上でキャンドルが灯っています。

奥には、一輪挿しに、花が飾ってあります。

さらに下に目を落とすと破られたキャプション。それぞれの写真のキャプションの日付から、写真が2年前ほどに撮られ、飾られたものだと分かります。


構造はこの4点で、プラス引き出しにチラ見せさせている冊子はミニポートフォリオです。この場の作品としてはこれだけで完成だけど、他の写真も見てくれるならぜひこちらから、という感じです。


まず目がいくのは浮かぶ額縁だと想定しています。
"額縁"を見て、何が言いたいのかなぁと思い下に目線を落とすと過去の作品がキャンドルで溶けています。

キャンドルの炎は、儚さ時の流れの象徴です。過去作の上で溶けていくキャンドルには、過去を溶かしていくことと今この瞬間が移ろっていることを表してもらっています。
以前の展示で壁に飾っていたものが、下に敷かれて、溶けた蝋で汚されている。ここには、作品という崇高性への対抗(お芸術、でありたくないということです)、雑貨と展示物の狭間という自分の作品が探っている日常性の塩梅も、裏テーマとして存在しています。深夜の写真展、ということで相性抜群だ!と選びました。

搬入手伝ってくれてありがとう〜


わかりやすい話をします。

私たちは、日々の何かに追われて忙しく、心を亡くすと、目の前が見えなくなってしまいます。

余裕がない時、洗濯物がたためない。カーテンが開けないし靴が並べられない。せっかく飾った花は枯れてしまうし心無い言葉を誰かに向けてしまったり、上手くいかないことばかり並べてしまうこともある。気づけば過去を見て後悔し、まだ見ぬ先のことを恐れてしまいます。

「,  」

このタイトルには、少しばかり、私的な思い入れがあります。

今回の展示のような構成を考えていた時期は、実は結構前のことで、そのまま出せずにいたのは、ある人と一緒に作ったものだったからでした。

その人は私のしたいことや考え方を深く理解し、よく芸術の話をしてくれた人でした。タイトルを選び、作品撮りも何度も共にしたその人に、私はもう二度と会えないかもしれません。

すごく、大切な人です。今、どこにいるか分からないけれど。一緒にいた時間が長かった分色々あって離れてしまうことになったときはものすごく悲しみました。

これ以上は私的過ぎるので曖昧なままにしておきます。とにかくこのタイトルは、私自身も、「過去に引きずられていた一番直近の出来事から抜け出す」という作品に込めたもの実践が裏テーマ、という事です。

看板猫のニコちゃん


では肝心の表の意味はというと「"無意識"への挑戦」です。

また意味わからんこというとる。笑
説明します。


目の前が見えなくなってしまった時、私はいつも、暮らしへ還ります。

カーテンをあける。靴を並べ、花に水をあげる。そうした時、忘れていたものにたくさん気がつきます。

カーテンをあければ窓の傍でいつもより風が強い事を知る。皿を洗えば雨の音がよく聴こえる。靴を並べると「家のにおい」を思い出す。

ふっ   と、時が留まる感覚。

そこにある時の留まりを「,」とするなら、そのひとつあとの空白「  」に、私は最も重きを置いています。

おそらく無意識の、名前のないその一瞬。

曖昧で、すぐに過ぎ去って忘れてしまう、けれど確かにあるその時と感情。そんなものを作品にしたいのです。


タイトルだけでは分からないかもしれないけれど、もしかしたら展示を見て、「  」ここにある感覚に気づいてもらえるかもしれません。

次に下を見る。すると過去がある。私の過去が鑑賞者を、鑑賞者自身の過去へと誘い、炎の効果で感情を内へ向ける。破れてて、綺麗でない過去と、炎の溶ける美しい過去、そのどちらもを見つめていると、一輪の花があることに気がつきます。


大切なことは、目の前に、ある。
些細で、とるにたりなくて、触れば壊れてしまうくらいに小さなこと。一輪挿しの花が表すのは、暮らしと、日常です。

そこまで見たら、鑑賞者の視線がもう一度上へ戻ります。

そうしてもう一度、額縁を見た時、額縁じゃなくて、その中の、その奥の、景色に目が向く。
あなたは今をみている。まさに、展示のその外にある今この瞬間を。

風になる。景色になる。段々、境界がぼやけていく。そうしてそこは、ただの額縁でも風景でもなく、内なる外へと変わっていく。これが、無意識への挑戦です。


額縁を使用したのは、私にとって「写真する」ということはこのようなことだと表すためです。

時を流れるままに過ごすのでもなくひとつひとつ過去や未来や今さえにも固執することなく、ふと"留める"。手元を大切にすることを忘れず、時には過去や未来に惑わされながら、それでも汚いも美しいも認めて、確かめてまた今を見る。それが私にとってのシャッターであるし、誰かにとっても写真がそうであったらいいなと思います。

写真展とは、自分の写真を見せることだけでは無いと思います。グループ展だと余計に、鑑賞者がどんな写真をどう見ていいかわからなくなることは、よくあります(私が一鑑賞者としてよくそう思うのです)。

そんな時、写真じゃなくて、「写真する」行為そのものを見つめ直す機会になれたなら、私はこの上ないのです。芸術にもなりうる且つ日常にとても近い、誰でもできる行為としての写真。誰が何をどんな風にみているのか、何がそこにあったのか、ただ、その記録の情報としてだけ見る楽しみ方。そして写真するとはカメラでシャッターを切る、というだけではないという考え方。そんなものまで見せられたら最高です。


長くなりましたが、
おそらくこんなことを言わずに汲み取ってくれる人などいないだろうし、読んでもよくわからんかもしれん!それでもいいのです!!そこが大事なのです!!


私はこの場所、この日、この時間のベストはこれだと思い持っていきました。誰がなんと言おうと私の今の作品はこれです。将来の私よ、笑うならさらにレベルアップして笑ってくれよなっと言う感じです。


というわけで、明日明後日、作品達がお待ちしております〜𓈒𓂂𓏸

詳細▼
深夜の写真展
Date: 4/28 18:00~23:00
        4/29 12:00~16:00
Place:鳥取駅から徒歩5分「camel0857」

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