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私が今のドラァグ文化を素直に応援できない理由

日本でも最近やっとドラァグクイーン達をテレビ、雑誌やYoutubeで見かけるようになってきた。奇抜なファッションやメイク、女性を真似た独特な喋り方で多くの人達を虜にしている。が、昨日、政治と文化の授業で「ドラァグってもしかして男性による女性の文化盗用なのでは?」ということに気がついたので、この度はこのモヤモヤを共有したいと思う。

1. まずは「ドラァグ」の定義から入ろう

"Drag - a gender-bending art form in which a person dresses in clothing and makeup meant to exaggerate a specific gender identity, usually of the opposite sex." 
ドラァグ - 性別にとらわれない芸術で、特定の性別(通常は異性)を誇張するための衣服や化粧を身につけて行われる。
(引用: Ru Paul's Masterclass) 

この定義を初めて聞いた時、私は
「え、てことはドラァグクイーンだけじゃなくてドラァグキングもいるってこと!?彼らは一体どこにいるの!?」
とびっくりしたのを覚えている。
ついでにドラァグクイーンとドラァグキングの定義も↓

ドラァグクイーン - 誇張された女装や化粧をして、女性の役割や体裁を装う。ほとんどのドラァグクイーンは男性(多くはゲイ男性やクィア男性)だが、トランスジェンダーやシスジェンダーの女性であるドラァグクイーンも認められるべきだという意見も出てきている。
ドラッグ・キング - 誇張された男性の服装や化粧をして、男性の役割や体裁を取り繕う。多くのドラァグキングは女性である。ポップカルチャーの世界ではあまり知られていない芸術形態である。
(引用: Ru Paul's Masterclass) 

ドラァグキングについてあまりにも知らなすぎたので調べてみると、

It's A Cis-Gendered Man's World: How Drag Kings Define Good Drag In Their Fight To Be Seen As The Best Performers
(https://egrove.olemiss.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=2889&context=etd)

という論文を見つけた。
そこには、基本的にドラァグの世界はまだシスジェンダー(心と体の性が一致している人)の男性中心の世界で、はっきりとした性差別が根付いていることが書かれている。それ故、同じことをやっていてもドラァグクイーン達の芸術は“美しくてカッコ良い”と社会に認められているのに対してドラァグキング達はまだ自分達の芸術を認めてもらうどころか、存在すら認識されていないのである。

存在すら認識されていないので当然ながらキング達は仕事も少ないし、出演料もクイーン達に比べてだいぶ低い。
「でもクイーン達も最初は認識されてないところから始まったし、それはキング達が認めさせられるほど頑張って無いからなんじゃないの?」
という意見もある。でも、そうじゃ無いことはドラァグの歴史を遡っていくと良く解るのである。

2. ドラァグの起源と歴史

ということで、ドラァグの歴史を振り返ろう。

今さらびっくりするようなことではないが、ドラァグの起源は元々西洋では女性が舞台で演じることを許されなかったという所にある。(よく考えると日本もそうだった。歌舞伎に男の演者しかいないのは同じ理由だ。)
いわゆる「男性が女性の役を演じる」という意味でのドラァグ・パフォーマーは主に演劇の世界で古代ギリシャ時代から登場し、シェイクスピアの時代にも受け継がれている。

19世紀には、このドラァグが演劇の枠を超えて、アメリカのボードビル・ショーでパフォーマティブ・アートとして使われるようになった。そしてついに、1880年代、現在私たちが「ドラァグ」として認識する文化の源流となる「ボールルーム文化」が最初のドラッグ・クイーンとして知られるウィリアム・ドーシー・スワンによって始められるのである。

20世紀初頭には、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ニューヨークなどのアンダーグラウンドでナイトライフエンターテイメントとして「ボールルーム文化」がどんどん成長していく。この時期の「ボールルーム文化」について知りたい人は "Paris is Burning" というドキュメンタリー映画を観ることをお勧めする。社会の偏見と貧困、アメリカのAIDS危機の時代を生き抜くクイーンたちの力強い姿に心を打たれると思う。

さあ、この映画にもあるように、基本的に80年代から20世紀初期は所謂「トランスジェンダー」の定義がまだ定まっておらず、どちらかというとボールルームシーンの人々は、恋愛対象が男性だというだけで「ゲイ」という大きな括りで理解されていたようである。また、性転換手術は当時大変高額だっただけではなく、医術的に未熟だったため大変危険だった。なので、有色人種のさらに貧困層(元々は貧困層でなくても、理解のない家族から逃げるように身包み一つで都心やってきた若者達は皆お金に困っていた)の人々はそう簡単に性転換をすることができなかった。「ボールルーム」はそういった、「トランスジェンダー」だけど性転換は出来ない女性(元々男性)が唯一自分らしく着飾り、振る舞え、女性として扱ってもらえる場所を提供し、また、女装や芸術としての「ドラァグ」を楽しみたいシスジェンダーの男性達(ゲイも含む)が楽しむための集会だったのである。

そう、あくまで男性達の集会なのだ。

なぜ「ボールルーム」にシスジェンダーの女性(レズビアンも含む)やトランスジェンダーの男性(元々女性)はいなかったのか?

そもそも、「ボールルーム」は継続的に開催するにも参加するにも資金が必要だったわけである。一番最初の「ボールルーム」を開催したウィリアム・ドーシー・スワンはシスジェンダーのゲイの男性で、日中はホテルで勤務しながらその資金を使い、自宅(実家は地主)で「ボールルーム」を開催していたとされている。その後のボールルームも、資金的にはシスジェンダーの男性達の貢献が大部分であったため、運営に関わる人々はほとんどはちゃと職についている(または元々お金持ちの)シスジェンダーの男性だったようだ。また、参加者に多くいたトランスジェンダーの女性(元々男性)は、参加費用や衣装代を水商売(ストリップ、風俗、やお金持ちとの愛人契約)によって稼いでいた。

当時、女性の社会進出や経済的独立が難しかった時代、まともな仕事についていたとしても、多くの女性が男性の半分の給料で、自分一人が生きていくのに必死だった。そんな時代に女性が独断で「ボールルーム」を開催するほどの経済力があるわけないのである。また、トランスジェンダーの男性(元々女性)は水商売でお金を稼ぐという選択肢すらなかった。だって女性用ストリップや風俗店なんてメジャーじゃなかったから。
そもそも、女性がどんなに“家族の理解が無い”からと家出など簡単にできる時代ではなかった。一文なしの若い女の子が一人で80年台のニューヨークに来たら、ほぼ100%攫われるか、暴行・強姦されるか、売り飛ばされるか…。多少お金を持っていたら、強盗に遭って殺される。そんな時代だったのである。そりゃ体格的にも体力的にも男より女を襲う方が簡単でしょう。だから女性が一人で簡単に出歩けるような時代じゃなかった。

現在のドラァグはこの80年代から20世紀初期の「ボールルーム」文化を色濃く残すので、いまだに「男性達による男性達のための集まり」という要素が強いのだ。

3. 現代のドラァグ文化の問題点

さあ、時代は変わり、医療も発展して性転換手術がより安全に安価に受けられるようになった今。トランスジェンダーの女性達が「唯一自分らしく着飾り、振る舞え、女性として扱ってもらえる場所」としての「ボールルーム」の需要が減ってきて、どちらかというと「ドラァグ」のファッション・ダンス・文化・芸術などをエンターテイメントとして消費する要素の方が強くなってきているような気がする。その結果、クイーン達の活動の中心は身内でトロフィーをあげ合う「ボールルーム」から、出演料をもらってプロのパフォーマーとしてリップシンクやダンスを披露するドラァグショーを行う、ゲイクラブやバーなどの「ステージ」に移ってきた。

そしてついに、その存在はポップカルチャーに進出し始める。テレビでは、“Ru Paul's Drag Race”というのドラァグクイーンの頂点を決めるテレビ番組が人気を博し、いまだに大人気の長寿番組にまで成長した。
その“Drag Race”なのだが、「ドラァグ・レース」という名前をつけていながら、当然「ドラァグクイーン」だけのための番組で、クイーンしか参加できない。しかも、つい最近までトランスジェンダーやシスジェンダーの女性のクイーンの参加を、「ドーピングをしてオリンピックに参加するようなものだ」と批判して禁じていた。

この一件はドラァグ界隈でも賛否両論を巻き起こしたのだが、びっくりすることに、いまだにアメリカでも「トランスジェンダーの女性(性転換手術を受けた男性)や女性はドラァグクイーンになる資格はない」と思っているクイーンはかなり多い。

つまり、現代のドラァグシーンは「男性達による男性達のための集まり」なだけでなく、「男性達だけによる男性達だけのための集まり」だという要素が少なからずあるのだ。全員が全員というわけではないが、ドラァグシーンの中心は基本的に“女性らしさ”を誇張する芸術を女性禁制で行いたい男達の集まりというわけである。

4. 【結論】ドラァグは文化盗用か?

冒頭で話した「ドラァグってもしかして男性による女性の文化盗用ではないか?」という質問について考えてみようと思う。

文化盗用:支配的な立場の者が非支配的立場の者の文化や要素を、その本来の意味を尊重せず、出所に謝意を表さず、固定観念を強化したり抑圧を助長したりするような方法で使用すること。
引用:Britanica Dictionary

ドラァグの特にクイーン文化は社会的に支配的な立場にある男性が、非支配的立場にある女性のファッション、メイク、喋り方を誇張する上に成り立っていることは間違いない。女性が行うと、「やりすぎだ」とか「下品だ」と言われるような奇抜な格好を男性が行うと「かっこ良い」くて「インスピレーショナル」になるのだから不思議だ。

また、男性から見た女性に対する固定概念(例:女性は人形のように美しくなければいけない、女性は女同士で歪み合う、女性は男性を前にすると急にしおらしくなる…)などの行為を大袈裟に(そしてコミカルに)演出しているのもよく見かける。

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こういった固定概念の誇張を面白おかしくエンタメとして消費するのは立派な文化盗用と言って良いのではないだろうか?

それの何が問題なんだ?
面白いからいいじゃないか?
という人も中にはいるかもしれない。

でも、それではいけない理由は大きく2つある。

1つ目は、男性から見た女性に対する必ずしも正しくない固定概念を社会に定着させてしまうことだ。ましてや、それをコメディーとして消費することによって、意図的ではなかったとしても、社会に「女性やその行動を笑い者にしてもいい」という悪文化を定着させることにもつながる。ただでさえ女性軽視の多い世の中で、女性がより生きにくい環境を作ることにつながるのである。

2つ目は、ドラァグクイーン達はほとんどの場合、シスジェンダーの男性であるにもかかわらず、女装をしているというだけで、女性の立場で世の女性達に好き勝手意見したり、「女性としての立場で世の中に物申」したりすることを許可する風潮にあることだ。

クイーンではないが、例えば日本でも女装タレントが、テレビに出て
「そりゃ女としてはこう思うわよ」
や、女性に対して
「あんたそのファッションは流石に女としてやばいわよ」
など、なぜか世の女性の代表のような立場で物申しているのを見かけたことがあると思う。でもよく考えてほしい。彼らは特にトランスジェンダー(心は女性だけど体は男性)というわけではなく、普通にゲイの中年男性がエンターテインメントとして女装しているだけなのである。いざスタジオを出て、化粧を落として、着替えればただのおじさんである彼らが…。
女性が日々社会で当たり前に経験する社会的迫害も、痴漢の恐怖も、体格差や力の差から生まれる男性への怖さも、生理も、何も経験したことのないただのおじさんが!
一体何を持って「女性を代表」して意見しているのだろうか?
しかも誰もそれを不思議に思っていないことこそが、問題なのである。

女性として生きる中で、煌びやかで楽しそうな部分だけを切り取って、男性たちがエンタメとして再創造する。その利益は享受しておきながら、その他の女性軽視や差別などの自分達にとって都合の悪い部分は、男なので経験しなくて良い…というか出来ない。だったらせめても、理解しようとしてその排除に努める、というわけでも無い。

なんかあまりにも都合良すぎないか!?
これこそ立派な文化の搾取だと私は思う。

ほら、だからそこの女子、
「ナジャさんがテレビでドラァグクイーンの世界を語ってる。美しい…!良い時代やね!頑張って!」
とか言ってる場合じゃないんだって。
そこは、
「うちらのドラァグキングはなんでテレビに出してくれないの!」
って言わなきゃいけないんだってこと。



では、また会う日まで、
BGB 


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