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何者にもなれないことに気づくのが大人

わたしたちは、卒業、就職、社会という言葉を前にして、
一瞬立ち止まる年齢になると、何者かになろうと考えます。
なにかはよくわからないけど。

例えばわかりやすく、
医者になりたい、先生になりたい、シェフになりたいというような、
具体的な職業かもしれない。
立派な社会人になりたい、えらくなりたい、とか、そういうことかもしれない。

そうやって、何者かになれると思って、
ある種の期待を持ちながら、社会という巨大な宇宙に飛び込みます。
宇宙って言ってるのは、とりあえず広くて、
よくわらない未知な世界で、みたいなニュアンスを伝えたいから。

その宇宙では、想定外のことがたくさん起こります。
もちろん、いいこともたくさんあるけど、
それ以上につらくて苦しいことが多い。

そんな宇宙にしばらく身を置いていると、
わたしは一体なんなんだろう?なにになったんだろう?と、
当時抱いていた期待をふと思い出してむなしくなります。

結局人は、何者にもなれない。
医者になったって、それで満足することはないし、
高級とりになったって、そこがゴールではありません。
わたしが求めていたのはこれじゃない、ってある時気づくのです。

そのことに気づいたとき、
人は死ぬまで何者にもなれないどころか、
満足いく境地には至れないんだなと察して、虚しくなります。
それと同時に、何者にもなれないんだったら、
自分が求める「何者」を探すために、
いろんなことにチャレンジするのもひとつの手なんじゃないかと思えてくる。
やりたいことにトライしてみてもいいかなって。
まあ結局、何者にもなれないのだけれど。

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