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「灯りまつり」小平ふるさと村にて。

 8/3(土)。小平市内のグリーンロード沿いで行なわれた「灯りまつり」。木枠に紙を貼り付けた灯ろうが並ぶこのお祭りは、今年で19回目の開催だったそう。
 15会場設けられていた中、わたしは「小平ふるさと村」へ足を運んできた。


絵は市民の方々が描かれたもの


 茅葺き屋根の家や水車、畑に佇むカカシ…昔の小平市の風景が復元・再現されているこの施設。散歩を日課にしていたころ、よく施設内に立ち寄っては季節の花を撮ったり水車をぼんやり眺めたりしていた。そのときは大概、自分以外の見学者がひとりいるかいないかくらいで普段はしんと静まりかえっているのである。

 しかしお祭りともなれば、わんさか人が集まるのをはじめて知った。それくらい、地元で祭りがあろうが都内で花火大会がやっていようが無関心だったからだ。

 まずは施設前にとめられた自転車の数にギョッとする。ウソやん、と困惑するほど「ふるさと村」の入口は満車状態になっていた。

 入口を通る前から、聴こえてきたのは鈴木囃子の音色。

 久々に見た獅子舞に、幼いころ祖母と行ったお祭りを思い出した。前列で鈴木囃子を観ていた自分に、口を開けた獅子舞が近づいてきた当時の恐怖心も一緒に思い出した。

 一体あれからどれくらいの年月が流れたのか。

会場内では狐の面を頭に乗せている
子供たちがちらほら
竹の中で灯りが点滅していた


 毎日散歩をしていたときのわたしは、「こんな日々の先に何があるのか」と花にカメラを向けながらも虚しさに侵食されていた。
 祖母と鈴木囃子を観に行ったころのわたしは目新しい出来事が連続する生活を、「日常」だとか「日々」だとかいった言葉に落とし込むほどの時間を生きていなかった。「将来」という言葉も知らなかったかもしれない。とはいえ、周りが恐ろしかった。家族以外はみんな敵だと感じていたから、自ずとこのまちも好きになれなかった。

 祭りに関心がないのは人混みが苦手なのもあるけれど、「祭りがあるから何なんだよ」とやはりこのまちを好きになれずどこか敵視するような見方をしていたからなんだろう。

 だけど久々に祭りへ足を運んだ先で、この数年の間に出会えた人と言葉を交わしたり手を振ったりしている自分がいた。
 なんて幸せなのだろう。
 敵しかいないと思ってきた過去が嘘みたいに、雪解けしていく。

 そういえば、春にはランタンを持ってグリーンロードを歩いた。

 このまちを好きになり始めたというより、このまちで巡り会えた人たちを好きになったのだと思っている。こんな現象が起こる日がやって来るとは、正直思ってもみなかった。思ってもみなかったから、「出会い」と「別れ」に一喜一憂する。その分「再会」があったときの「喜び」がある。

 そう感じられる人たちに囲まれている現在が幸せだ。祖母にも伝えたいくらい、幸せだ。

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