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ヤドカリ師匠

友人が最近、ヤドカリを飼い始めた。
5、6匹、ほんの1センチ程度の小さなヤドカリらしい。

友人から送られてきたヤドカリの動画を観る。なんだろう、、、
妙に心が落ち着き、くさくさした性根が癒されるこの気持ち。
が、しばらく見ていて、はたと気が付いてしまった。
衝撃の事実。恐れ入りました。
今から私は、ヤドカリを「師匠!」と呼ぶことにする。 


自分よりも数倍大きな貝殻を背負って、
水槽内を歩き回る姿は、なんともユーラスでかわいらしい。
その貝殻、さぞや重かろうに。じっとしとけばいいものを。
それでもヤドカリ師匠は、そんな苦労はおかまいなしで
えっちらおっちら、アグレッシブに移動しまくる。

「同じところに留まるなんて、できやしないのさ」


そして、そんなふうに一生懸命運んだ我が家でも、
居心地が良くないと思えば、別の貝殻を探して移り住む。
何のためらいもなく捨て去ってしまう潔さ。
そこには、せっかく頑張って運んだんだし、、、といった
もったいない精神や未練や執着は、微塵も感じられない。
もっと良い場所へ、もっと良い環境へ、と、
どんどんバージョンアップしていく、泣けるほど前向きな姿勢しかない。

「狭っ!無理!ほかに行こう……我慢なんてムダだぜ!」 


飼い主の友人によると、他のヤドカリが捨てた貝殻に
別のヤドカリが住み着くこともあるらしい。
所有とか、なわばりとかいう概念がそもそもないのかしら。
ヤドカリの生態はよくわからないが、
ただ、これって今まさに注目の、シェアリングエコノミーだ。

「みんなで使えばいい。そんなん当たり前だろ!?」


18世紀の産業革命以降、人類は、ものを大量に生産し
消費することで発展してきた。世界中の企業が競って
多種多様な商品を作り、人々はより多くを所有することで
豊かさを得てきた。
その都度バブルが生まれ、弾け、再び生まれ、弾けた。
そしていま、そんな思想の転換が求められている。
潮目が変わったのだ。時代が変わったのだ。
築き上げた大きな何かが、ガラガラと激しい音を立てて、
勢いよく崩れていく。のが見える。

それぞれの生活ステージに合わせてフレキシブルに、
住む場所も多様に、留まらず流動的に、
固執せず柔軟に、所有せずにシェアで。
まさに、ヤドカリのような生き方。 
ここまでくるのに人類はずいぶん時間がかかってしまったが、
ヤドカリ師匠は、磯をトコトコ歩きながら、余裕の表情だ。

「やっと、時代が追いついてきたな!」


世界中が、見えないやつらと戦っているいま。
誰もが口々に、これからは変わらなきゃ!と言っている。
先が見えない未来から漂ってくる、得体のしれない不安。混沌。
どう変わるのだろう、どう変わりたいのだろう。
その答えは、それぞれの胸の中で育てていくのが良い。
きっと、どう変化したって間違いではないのだ。

とりあえず私は、この体長1センチの師匠の生きざまを
しかと観察しながら、ゆっくり考えようと思っている。


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