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彼の噛みあと 第8話

「どうもダメだな。いつもあなたが可愛すぎて、僕もすぐイキたくなっちゃう」
園子が身仕舞いをしてソファに座った時に、彼がミニバーにあったワインをグラスに注いで園子に手渡しながら言った。
彼は実際、本当は園子の着物を脱がすつもりであった。しかし園子があまりに自分の望む通りの、むしろ想像以上の反応を示すので、つい我慢できなくなり園子に自分を挿れてしまったのだ。
「あなたが煽りすぎなんだよ、僕を」
そんなことを言われて、園子は赤くなった。嬉しさと恥ずかしさで頭が痺れてしまう。
「そもそも時間が足りなすぎるな、いつも。あなたを抱く時間も、あなたと話す時間も全然足りない」
彼が本当に不愉快そうに言ったので、園子は嬉しかった。
「あなたとゆっくり食事しながら話したりしたいんだけどな。一緒に映画見たりさ。あなた映画は好き?」
「大好きです」
「好きな映画いくつか挙げるとしたら?」
「挙げるとしたら‥‥カサブランカと、」
彼は思わず笑って、
「ずいぶん古いところから来るね」
と言った。園子も笑いながら、
「汚名と、麗しのサブリナ‥レベッカ、ダイヤルMを廻せ‥‥」
園子が思いつくままに挙げると、彼は笑いながら、
「傾向がわかるな」
「おじさまは?何がお好きですか?」
「山のようにあるけどね。この船に乗る前に、ちょっと必要があってアル・パチーノが出てるものを全部見返してたんだけど‥」
「セント・オブ・ウーマンとか」
「‥それを一番に出すなんて気が合うな。ゴッド・ファーザーは観た?」
「いいえ、‥なんだか怖そうだから」
「あれは観た方がいいよ」
「おじさまがおっしゃるなら観ます」
園子がにっこり笑って言うと、
「可愛いね、園子は」
と言って彼は園子にキスをした。
「本は読むの?」
「大好きです。読むものは偏ってますけど‥‥」
「たとえば?」
「明治から昭和ぐらいまでの小説が好きで‥‥一番好きなのは夏目漱石ですけど」
「漱石!それはまた合うね、僕と。好きな作品挙げるとしたら?」
「んー‥‥明暗、門、道草、こころ、三四郎‥‥短編だったら文鳥、琴のそら音‥‥」
「‥‥あなたって本当にいいね。感動するな。坊っちゃんとか猫を一番に挙げてくるんだったら微妙に僕とずれるんだけど。明暗を読んだなら、續・明暗は読んだ?水村美苗の」
園子は思わず笑顔になって、
「明暗を読み終わった翌日に本屋さんに買いに行きました」
「ああ、そうか。あなたは読もうと思ったら既に『續』が出てたのか。僕らは突然彼女があれを発表したから当時驚いたんだけど」
「私、『續』を読んで心から感激して‥‥」
「僕も。漱石が言いたかったことが書かれてると思った」
彼は話しながら、実際に感心していた。園子はなんてバランスの良い女だろうと思った。


「あなた図書室にはもう行ってみた?」
「あ‥いいえ、まだ」
「なかなか面白い本が揃ってるよ、あそこは。行ってみるといい」
「はい。行ってみます」
「‥本当にもっとゆっくりあなたに会いたいな」
「‥‥そんなことおっしゃって下さるだけで嬉しい」
園子は涙が出てきそうになってしまい、自分の胸をさすった。
彼はそれに気づいて、園子の頭を抱き寄せた。
「‥‥園子はさ、ひょっとしたら僕がセックスだけを求めてると思ってるかもしれないけど‥‥」
園子は実際にそうかもしれないと思っていたので、思わず涙が溢れてしまった。
「本当にそう思ってたの?馬鹿だな」
彼は園子にキスをして、
「こんなこと言いたくないけどね、そんな相手でいいなら世の中にいくらだっているんだよ。そんなことだけを求めるほど僕も暇じゃない」
「‥‥‥‥」
「いったい園子はどこにいたの?今まで。もっと早く僕の前に出てきてくれれば良かったのに」
彼の言葉は、まるで映画のような、恋愛小説のような、ロマンティックな恋の歌のようで、園子の心を甘く満たした。
こんな台詞を照れもせず、技巧も感じさせず言ってくれる彼を、とても好きだと改めて思った。
「おじさまって‥‥外見だけでも素敵なのに、中身もこんなに素敵だった」
「セックスは?」
急にからかうような笑顔で問い返されて、園子は赤くなった。
「‥すごく素敵です」
と答えると、彼は園子にキスをして、
「あなたみたいな子に会えると思わなかったな」
と言った。






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