10代~20代前半で死にたいと思っているひとへ。どうか、なんとか……30歳までは生きてくれませんか?
テラスハウスに出演していた女子プロレスラーの木村花さんが亡くなったというのを、noteの記事を経由して知った。
正直わたしはテラスハウスを見たことがなかったので、木村花さんのことは名前すらも知らなかった。しかし年齢がまだ22歳であったこと、そして亡くなった理由は、SNS上の誹謗中傷に耐えかねての自殺であったらしいと聞き、わたしの胸は激しく痛んだ。
あまりに若い、若すぎる。
そして亡くなった理由が、あまりに惨すぎる。
ネット上では木村花さんの死をきっかけに「SNSでの誹謗中傷」した人間への非難、SNSのあり方についての討論がなされている。当然である。これを機に勿論SNSの誹謗中傷が根絶されればいいが、それは「明日からこの世からいじめと戦争が一切なくなってほしい」と願うようなもので、非常に難しいことだろう。それでもこれをきっかけに少しでも心当たりのある人間が心を改め、同じことを繰り返さないようにすることを心から願っている。
今回の件でのSNSのあり方についてはもうすでに多くのひとが同じことを言っているので、ここではあえて書かないでおく。
ただ、一つだけ、言わせていただきたことがある。
それは10代~20代で、今、毎日「死にたい」と思っているひとがいたら……「せめて30歳までは、なんとか生きて抜いてほしい」ということだ。
■「生きづらさ」ばかりだった10代から20代
なぜそんなことを言うかというと、わたし自身、10代から20代後半にかけてが、まさに『生き地獄』だったからだ。
特に10代は本当につらかった。
わたしは今より20kg近く太っていて、さらに性格が死ぬほど暗かったので、学校でも誰一人として口をきかなかった。勿論友達は0人で、自分の身体がコンプレックスだったこともあり、廊下を歩くだけで誰かに笑われそうで苦痛だった。いつも俯いて歩き、誰かをすれ違うだけで心臓が苦しくなった。トイレにいきたくもないのに何度もトイレに駆け込んでは呼吸を整えた。教室にいたくなくて、10分の休みでも走って図書室に行っては、そこで過ごし、またギリギリになって教室に戻る、ということを毎日繰り返していた(だから移動教室だったときに知らずにわたしだけ置いていかれたことも何度もあった)。
高校の通学路の途中に歩道橋があったのだが、毎日そこを通りながら、「いつそこから飛び降りるか」ということを考えることが日課だった。わたしにとって「近いうちに死ぬこと」は当然のことであり、わたしに勇気があればあとは実行に移すだけだった。カッターを制服のポケットにいれておき、学校にいるときの苦痛が高まったときには、トイレでじっとそれを眺めた。「これでいつでも死ねる」と思えば、ようやく学校でも普通に呼吸をすることができた。
それでもわたしがギリギリで死を選ばずに済んだのは、わたしには「本」という逃げ場所があったからだ。
昔から偉人や有名人の自伝を読むのが好きで、心のどこかで「世界は広いんだから、ここではないどこかには、わたしを受けて入れてくれるような場所があるかもしれない」という希望があった。そのかろうじて残っていた希望があったからこそ、わたしは死を選ぶよりも、今いる学校を辞めて通信制高校に通うという選択をすることができた。
でももしわたしに「本」という逃げ場所がなかったら、と思うと今でもぞっとする。わたしは本当にあのとき死んでいたかもしれない。そうなると今のわたしはいないのだ、と思うと、なんと昔のわたしは脆い世界のなかで生きていたのだろうかと思う。
大学生になっても、社会人になっても、わたしはいつもひとりぼっちだった。
常に「わたしは孤独である」「わたしは誰にも愛されない」という孤独感がつきまとった。それから逃れるためにとにかく本を読み漁ったが、それでもどこか生きづらい、呼吸するだけで苦しい毎日を送っていた。
そんな苦痛が一切なくなったのは、28歳のときだった。
まるで憑き物が落ちたかのように、あれほど辛かった毎日が、まったくつらくなくなった。
なんの前触れもなく気がついたらそうなっていたので、本当に「あれっ?」と拍子抜けをしてしまうほどだった。
別に何か大きなきっかけがあったわけではないが、きっと今まで大量に読んだ本の内容がようやく頭に入って、実行に移せるようになったり
社会に出ていろいろと人生経験を積んだ上で、
今までは大袈裟に苦しんだり、気にしていたことでも、だいたいは「まーいっか」と思えるようになったのだと思う。
しかしそれはあまりに急だったので、わたし自身戸惑った。まるで沸点に達した水がいきなり気体になるかのような急激な変化だった。そしてわたしは「いつかそうなること」を信じてこつこつと行動に移し続けていれば、それはある日一気に変化として現れるのだということを知った。
そこからどんどん人生が好転していった。
といっても相変わらず友達はいないし仕事でも人間関係につまづきっぱなしだったが、それをまったく気にすることはなくなり、
なによりわたしは「やりたいこと」を見つけた。
今では毎日がたのしい。
起きるたびに、「今日は何をしようか」ということを考えるだけでわくわくする。
将来の「やりたいこと」に向かって努力することが、大変ではあるが本当にたのしくて、毎日が幸せだ。
20代後半まで呼吸をするのさえ苦痛だったわたしにとって、
30歳間近になってようやく楽になり、
「こんなにも生きることって楽しいのか!」とびっくりした。
■10代から20代は「他人の価値観」に非常に影響されやすい
思えば、10代から20代にかけては、「他人の価値観で生きていた」ように思う。
それは単純に若く、人生経験が浅いことが原因だった。
たとえばわたしは今まで3~4回ぐらい転職をしているが、はじめて仕事を辞めたときは本当に死ぬほど緊張した。仕事を辞めるなんて「人生をかけた大事」のように思われた。何カ月も悩んだし、「仕事を辞める」と上司に言うときは心臓が壊れそうに緊張したし、仕事を辞めたらなんか世界が終わるんじゃないかと思った。
だが実際に「仕事を辞める」ことを上司に言ったら、非常にあっさりと辞められ、辞めたあとも別に世界は終わらなかった。
わたしは普通にまた次の仕事に就けたし、むしろ何度か辞めれば辞めるほど、どんどん自分が人間的に成長していくようだったし、何度目かの職場でようやくストレスの少ない場所に行きつくことができた。
今では普通に「もうそろそろ仕事を辞めよっかなー」と思って、求人サイトを見ながら「次はここがいっかなー」みたいな感じで気軽に次の仕事を探せるようになった。退職を上司にいうときも、たぶんもうあんまり緊張しないだろうな、という感じがする。
初めて仕事を辞めたときの自分から考えると、信じられない変化だ。自分がいつかそんな風になるなんて、あのときは想像すらもできなかった。
しかしそうなるのが人間なのだ。
わたしが特別ということではない。人間であれば皆そうなのだ。
年齢を重ね、経験を重ねるということはそういうことなのだ。
そんなことも知らずに、10代、20代で死ぬなんて、あまりにもったいないではないか。
■「若さ」から逃げたかったわたしは、若者のいない田舎に引っ越した
あと「年齢が若い」とやたらと周りが構ってくることが多く、それが時には人を追い詰めることもある。
わたしはずっと九州に住んでいたが、大学を卒業した後に一年だけ東京に住んでいたことがある。
そのときに感じたのが、「若い」というだけでやたらと周りに構われる、ということだ。
仕事帰りに夜道を歩いていたら、「飲みに行きませんか」みたいな感じでいきなり声を掛けられ、そんなことは初めてだったのでびっくりして逃げたことがある。
真っ暗な道で相手にはわたしの顔も見えなかったはずなので、相手は別にわたしがよかったわけではなく「とにかく誰でもいいから話しかけよう」としていたのだろう。
九州に住んでいた頃はそんなふうに声をかけられたことはなかった。何故かというと、わたしの地元は田舎なので人が少なかったからだ。
そんなことがあったり、あと職場でもやたらとちょっかいをかけてくるおじさんがいたりして、
はじめは声を掛けられるのもうれしかったものの、
別にわたしが魅力的というわけではなく、「若ければ誰でもいいのだ」と気づいてからは嬉しくもなんともなくなったし、むしろそうして構われることに嫌気が差した。
そうして「若い」というだけでやたらと周りに構われることに心底うんざりしたわたしは、
東京から地元に帰り、27歳のときに地元の隣の県の、高齢者ばかりが住んでいる、超過疎の進んだ町へと引っ越した。
今住んでいるところは本当に山ばかりのど田舎で、マックや映画館に行きたいと思ったら一時間車を飛ばして山を越えなければならない。
地元でもないし嫁いだわけでもないのに何もないど田舎に引っ越してきたわたしに、周りのひとたちは「なんでこんな何もないところに」と驚き、わりと「変人」のように見られることもあった。
「婚期が遅れるよ」とさえ言われたが、わたしはまったく気にしなかった。
わたしは単純に、若い人間がいないところに行きたかった。
若いと、どうしても同性も異性もやたらと構ってくるし、勿論自分も構いたくなってしまう。それがとにかくわたしは煩わしかった。他人ではなく、自分ととことん向き合いたかった。
周りに住んでいるのは60~90代のおじいちゃんおばあちゃんばっかりなので、とにかく刺激も誘惑も少ない。
だから他人に揺さぶられず、自分の価値観だけを優先させることができた。
そうやって自分ととことん向き合った一年後、28歳でわたしは自分の「やりたいこと」を見つけられた。
それは今いる場所に引っ越したおかげで、そうでなければわたしはまだ苦しみの渦中にいたことだろう。
そうやってわたしが「田舎」に逃げたように、
今いる場所で苦しんでいるひとは、
どうか、どこでもいいから、逃げて欲しい、と思う。
逃げる先はどこでもいい。世界は広いから、外国でもいい。
外国なんていくらでも逃げる場所がある。外国に行くほどのお金はない、というひとはわたしのように田舎でもいい。
田舎だったら安い家賃で住めるところなんていくらでもある。わたしは家賃5000円のところに住んでいる。さらに田舎は深刻な人手不足なので、仕事もたくさんある。
もしあなたがいま「生きていけない」と思っているのであれば、それは「今いるその場所では生きていけない」だけであり、その場から逃げ続けていればいつかどこかにあなたが生きていける場所はある。絶対にある。
そうやって逃げ続けて、30歳になるまでは生き抜いてほしい、と思う。
■どうか、「他人の価値観」によって「死」を選ばないで
よく『自殺してはいけない』というと、「自殺するのはわたしの自由だ」「私の命は私のものなんだから、私の勝手にしていいはずだ」と返されることがある。
確かにそうだ。人間は何をするのも自由だ。
それは誰にも脅かされることのない権利であり、本来「自殺したい」という意思を他人が止めることはできない。
だけどわたしの個人的な意見として、10代~20代の自殺はどちらかというと「他殺」に近いと思っている。
「死」を選ぶということは、よほどのことがあった結果だと思うのだが、
上にも書いたように10~20代のうちは人生経験が少なく、ゆえに「他人の価値観」にこそ揺さぶられることが多いのだ。
その上で選んだ「死」は、つまり「自分の価値観」で決断したというよりは「他人の価値観」に揺さぶられた結果、
追い詰められ、どうしようもなくなって選ぶ“最後の手段”に近いと思う。
今回の木村花さんの自殺も、まさに「他人の価値観」に揺さぶられ、追い詰められた結果のことだった。
20代前半まで「死ぬこと」ばかり考えていた自分だからこそ、木村花さんのように、あのときの自分と同じくらいの年齢で亡くなったひとのニュースは本当に心が痛くなる。
哀しいとか可哀そうだとかよりも、心底「悔しい」と思う。
いったい誰が彼女をそうさせたのか、と。
本来自由であるはずの彼女の心を、身体をコントロールし、「死」というその何もない最後にまで追い詰めたのはいったい誰なのだ、と思う。
あともう少し。あともう少し生きて欲しかった。あともう少し生きていれば、「他人の価値観」から「自分の価値観」へと変えることができたかもしれない。そうすれば決して死ぬことはなかった。あともう少し、生きてくれていたら。
そう思うと悔しくて、悔しく、たまらなくなる。
本来、人間は自由だ。生まれた瞬間から、細胞の一つ一つまで、自由だ。何物にもその自由を脅かすことはできない。
だからこそ、せめて、
あなたが本当にどうしようもなく「死」を選ぶときがあったとしても、
完全な「自分の意思」でそうしてほしい。
それがほんの少しでも「他人の価値観」によるものだとしたら、
あまりにも、あまりにも悔しいではないか。
だからこそ、わたしは、
30歳まではなんとか生きてほしいと思う。
それはわたしが30歳を手前にして「他人の価値観」から「自分の価値感」へと移行でき、人生が楽になったということもあるし、
年齢を重ねればその分人生経験が得られ、そしてその頃になればあなたは今より自由になっているはずだ。
その「自由」があなたを必ず救ってくれる。
だからどうか。
とにかく逃げていい、逃げていいから。
あと少しでいいから。
生きて欲しい。生き抜いて欲しい。そう思います。