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4月、憧れのグルメライターへ


4月がもう終わってしまう。
この一ヶ月、駆け抜けた。ものすごく楽しい、夢中になっていた一ヶ月だった。

3月末で一つのお仕事にピリオドを打った。なんとなくモヤモヤが晴れないままにしていたけれど、思い切って手放すを選択してみた。
空白ができ、何かをまたすぐに詰め込みたくなった。けれど、もうそんなにお金を稼ぐことに一生懸命にならなくていいや、と思い直し、心がときめくものが自然と入るように開けておくことにした。

するとものの数日で、風が吹き込むようにそれはやってきた。
実はずっとやってみたかったローカルメディアのライターをはじめることになり、こちらのサイトのライターとして今はお世話になっている。
もともと地域の素敵なお店や人を探すのが好きだった。それが先日、昔住んでいた街に旅行に行った時に再熱し、そのままそれが仕事になった。
心のときめきを探し、赴き、嗜み、愛を込めて紹介させていただく。
私にとって、ただただ幸せしかない仕事だ。

夢中になっている間にこんなにも月日が巡っていた。脇目も振らず、とはこのことである。

そしてローカルライターになって一ヶ月弱。気がついたことや感じたことは山ほどあるが、その一部を自分自身への備忘録半分、誰かに届いたらいいなという想い半分でここでシェアしてみようと思う。


①世に溢れる「素敵」の中から自分が本当にときめくものを探すことはとても難しい

この仕事は基本的にグルメ取材になる。素敵!で飛びついていては胃袋がもたない。ただでさえ少食かつ菜食寄りの生活をしている身。正直楽しさのあまり飛びつきすぎてペースをつかめず、動物性だけでなく小麦までもう摂ることができないんじゃないかというほど体にダメージを受けてしまった。とはいえ、脳はものすごく欲している。それに楽しい。食べたい。もっと紹介したい。
けれど、本当にそうなのだろうか。このトキメキは、自分の心の底から湧き上がるものなのだろうか。愛を持って、届けることができるものなのだろうか。
初月はとにかく夢中で好きなお店をたくさん取材させていただいたのだが、Googleマップのピンはもうカオス。ライター二ヶ月目は自分自身の心と体と、もっとちゃんと相談して選択していく必要がありそうだ。
そしてこれはライターに限ったことではない。日々のあらゆることで、この選択は最も重要なことではないだろうか。これを大切にしていたはずなのに、「欲」とはしぶといものだ。

②ハレとケのメリハリをつけたい

スローライフで忘れてはならぬこの気持ち。自分だけでなく、娘にもそうあって欲しいと願ってしまうほどである。
けれど、月の1/3くらいが取材により「ハレ」となるこの仕事は、この想いに大いに反している。また「欲」がしめしめと顔を出してGoogleマップのピンを増やそうとしている。そして、トキメキの純度を低くさせる。
楽しいのは間違いない、もっと仕事したい気持ちは強すぎるくらいにある。けれど、それよりも「ハレとケ」を両方楽しめる慎ましい暮らしがしたい。そのペースを掴むことが今の私の最重要課題のようだ。

③空間が好き

これは超個人的な話なのだが、やっぱり私は何より「空間」が好きなのだとこの仕事をしていて改めて気がついた。飲食店に求めることの一番が、食事ではなく空間なのである。
心落ち着き、トキメキ、整い、潤い、満ち、優しくなれるような、そして何かが湧き上がるような空間。
そんなところにいたいし、自分も作りたいなぁとつくづく思う。その妄想は、また次回。

④動物性や調味料を使えばそりゃうまい。けれど、少量の幸せを噛み締められる人でないと、それは毒である。

あんバタ、ベーグル、レーズンサンド、焼き菓子、コーヒー、プリン、フレンチトースト、桜のスイーツ、もちもち系の和菓子。
エスニック料理、スパイスカレー、オムライス、純喫茶のナポリタンやホットケーキ、大衆食堂のカツ丼。
私はこのあたりには目がない。実際に食べられるかは別にして、とにかく惹かれる。ついつい、よし次はここ取材いこ。と思ってしまう。
が、食べられるかは別にできないのがこの仕事なのである。
そして私はこれらがたくさん食べられないことをようやくこの一ヶ月で学んだ。つまりは、悲しきかな、この類のお店にはあまりいけないのである。
これらのお店での幸せは私にも確かに存在する。けれど、それからしばらくは雑穀米に味噌汁漬物納豆を無性に欲し、体も心も頭ももういうことを聞かない。正直、ここまで胃も腸も脳も言うこと聞かないものかと恐ろしくなった。
私は別のライターの仕事で中国医学の先生とお仕事をしている関係で、体の仕組みなんかにはかなり詳しい方である。だから断言できる、これらは私の体にはあっていないし、なんなら多くの人に合わない食事なのである。それなのにまだ欲が優っていたのだ。
いかに少量の幸せが重要かどうか、ようやく身をもって知ることができた。


こんなところだろうか。
こんなにも赤裸々に書いてしまったが、今まで感じたことないほどのやりがいを持ってお仕事をしているのは確かで、お店のことや作り手の想い、それぞれの背景まで伝えられることが私にとってもものすごい幸せなことなのだ。
だからこの仕事が大好きな反面、その分色々と葛藤してしまう。

とはいえそれは嬉しい悲鳴なのである。自分が好きなことをやって際限なく毎日生きることと働くことができているのがとても嬉しい。楽しい。とても幸せ。ずっとずっとこれを求めていたのである。
しかも私にとって大好きな"素敵を探し、愉しみ、魅力を伝えること"は、今まで消費だけだったのが今やナリワイになっている。これぞスローライフの究極であろう。

次目指すところは本。そして雑貨、花、空間。
心地よい空間を作る、そしてその世界をシェアするという大好きなことをナリワイにすることが目標であり、夢。
毎日の生きるが働くで、シゴトが暮ラスで、そこに境界はない。そんな生活なら、ほとんどお金もいらない。

なんて幸せな世界なのだろうか。
そんなミニマルな世界を一人ひとりが築くことができたなら。この世界は光で満ちる気がしてならない。

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