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一口目は塩でお召し上がり下さい。

 私は生まれてこの方、そんなことを言われたことはないが、グルメ番組などで、そういった場面を見かけることがある。

 例えば、とんかつを食べようとして、いざ行かん、と箸を手にしたとき、
「一口目は塩でお召し上がりください」
 と言われる。
 目の前にあるとんかつは既に自分のものであるはずなのに、作った人にそう言われてしまうと、ハッキリ「嫌です」とは言いにくい。

 強制ではないが断りにくい。そういうことに人は何となくモヤモヤしてしまいがちだ。つまり、
「一口目は塩でお召し上がりください」
 という提示は、客側に抵抗感を抱かせる可能性のある、リスクがある発言と言える。

 塩でも美味しいのは素晴らしいことだと思うが、とんかつを食べようとするとき、頭に浮かぶのはやはり甘辛いソースだ。名古屋ならば味噌、あれも辛子と一緒に食べると最高である。どちらにせよ、口の中はとんかつと甘辛い味のソースがやってくる期待感にあふれているわけだ。そこに「塩」の選択肢をやや強制的に提示されると、ちょっと予定が狂ってしまう。

 何より私は大食いなので、貴重なとんかつの一切れを、塩に明け渡してしまうのがどうにも解せない。そこまで言うのなら、是非、塩用に一切れ余分に揚げてほしい。そう思ってしまう。

 どちらにせよ、「塩で食べてほしい」「ソースで食べたい」この思いのどちらも「自分はこうしたい」という気持ちが強いのだ。

 素材の味を知ってほしい。
 食材に触れ、その素晴らしさを知っていれば、料理人がそう思うのは当然のことだ。自分の目で見て厳選した食材である。己の子供のように大事に思う、そういう気持ちは料理人にとって、とても大切なものなのかもしれない。

 近年、好きなアイドルや俳優のことを「推し」と呼ぶことが多い。「推し」のことを語らせたら、思わず早口になり、その魅力を余すところなく教えたい。そういう熱烈な思いを抱くファンは多い。推される方は、そういう熱心な人に支えられているわけだ。

 ある意味、塩で食べて欲しがる料理人は、その食材を熱烈に「推し」ているファンなのだろう。もしかしたら食材のことを、「神」「尊い」などと感じている可能性もある。そう考えると、食材に対する愛も、推しへの愛も、突き詰めればその精神は似てくるものなのかもしれない。

 もし料理人から、アイドルを推すように、

「私は一口目は塩で食べるんですけどもね、もうっ!もうっ!脂身が甘くてたまりませんよ。本当ですよ! ああ!食べてほしい! 一口目だけは是非、塩で! 塩で食べてほしいっ! あの衝撃を味わってほしいっっ!」


 こんな感じで訴えられたら、勢いに押され、
「お、おぅ。この人熱いな…」
 という感じになって、勧められた方の抵抗感が激減する気がする。むしろ、塩で食べないと損したような気持ちになるかもしれない。

 一口目は塩で食べてほしい、お店の皆さん。
 これからは是非、アイドルを推すような気持ちで、お客さんに塩で食べることを勧めてみて下さい。

 ちなみに私は、一口目を塩で、と勧められたら、一応従うタイプです。




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