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小さな勉強会 @那覇

 このご時勢にもかかわらず、那覇にて週一程度、社会人の勉強会を細々と運営、継続している。理由は特にない。

 各業界における異業種の人々が集まれば、なんか面白い話が聞けるのではないかと始めてみた。でも、これがすこぶる面白い。
 勉強会は「セッション」と称し、自由な旋律の中でテーマを奏でるジャズセッションのように、自身の経験に基づく解決策やビジョンを語ってもらいながら、それを自分の音(知識)として取り込む。自分がリセットできる、自身を引き出せる空間の構築を目指す、というのがこの勉強会の目的と言えば目的。
 毎回テーマが違い、こんなもんで人は集まるのかと危ぶんでいたが、どうにか一年もった。

 名前も仕事も良く知らない、年代も違う、上下関係、性別、その他の様々な垣根、帰属をなくすと、人はいつもと違う一面、誰も知らない自分だけのストーリーを語り始める。

 参加者のひとり一人が何を求めて集うのか、理由はよく知らない。

 でも、参加者の声に耳を傾けると、切実に何かを訴える、声なき声が聴こえてくる。
 「ブラック企業」をテーマにした時だ。
 低賃金、長時間労働、残業、差別、不条理な業務、強要される飲み会、組織理念とかけ離れた現実、次々と語られる実例に、提起した問題の根深さ、本質の深淵を思い知る。
 その一方で、会社が明らかにブラックであるにもかかわらず、僅かな残業手当でも家計支え助かる、家族のためやむを得ない、他にスキルがない、不可避の現実も垣間見る。

 買っては捨てるを繰り返す「ファストファッション」をテーマにした時だ。
 古着で途上国への社会貢献ができることを実践しながら、かつ衣類問題に着目。低価格衣類が必要以上にゴミを生み、途上国におけるコストダウンを強要、過重労働もさらに助長、貧困がより加速する要因にもなりうることを、果敢に問題提起した。
 ファッション業界が環境に与える影響、深刻度もますます加速、単に衣料の問題と看過できない現状を認識する。

 「哲学」をモチーフに、誰もが納得する答えを求めるのではなく、習慣や立場が異なる考え方を聞いて、どう自分に反映するか、抽象的な「カワイイを哲学的に考える」をテーマにした時だ。
 「目に見えて度合いが分かり易い」、「幼稚さを表現できる」、「演出しやすい」、「少ない投資で女性の幸せを叶える近道(裕福な男性の心をつかみ)」と意見が続出。常に異性を意識・対象に、自分本来の姿をさらけ出すことの不安、抑えられない欲求、あくなき追及が、過剰な振舞いに傾倒・依存する人の弱さに近似できた。

 従業員を顧みず高収益に血眼になる「ブラック企業」、低価格を売りにインスタ映えや廃棄処分を助長する「ファストファッション」、たとえ演出できても空虚さしか残らない「カワイイ」さの追及。
 一見すれば何の関係のない別々のテーマであるようにも思えるが、問題の底流に脈々と流れる根源的な本質と、それぞれのテーマとが合致、単に個別の問題ではなく、そこに示唆される根深い関連性を感じるのは、ひとりだけではないはずだ。

 そして、次々と緊急事態宣言が打ち出せる四月、日常生活が制限される中、施設が使えなくなり、メンバー同士の「励まし合い」も忘れることができない。

 当セッションもオンラインに切り替わり、人々の動揺はすぐさま我々のテーマにも反映され「コロナにどう向き合うのか?」をギロン、活発な情報交換を行った。未曾有の災禍に誰もが不安にさいなまれる中、見知らぬ者同士が正しい情報を共有、励まし合う書き込みに、このセッションの意義を見出だし、ただただ胸が熱くなった。

 今後この集まり、セッションがいつまで続くのか、何処にいくのかは、誰もわからない。

 でも、社会事象の数、それ以上にギロンする問題が山ほどあり、それだけ人は疲れ、悩み立ち止まり、行き場を失う。
 ここに来ても何も解決はしないし現実は変わらない。でも、自分の何かを語ることで、解決の糸口が見つかるのであれば、たとえ参加者がひとりでも続けるしかない。

 どうやら、この集まりは人びとの琴線に触れてしまい、心の奥底に内在する寝ている何かを、呼び起こしてしまったかもしれない。

よいお年を!
Merry Christmas and happy New year!

旅は続きます・・・