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「理解しあえないことを理解する」ことはできるか?―『人間の土地へ』を読んで #読書の秋

シリアというとどんなイメージが浮かびますか?
おそらく、「危険な国」「詳しくわからないけど大変なことが起きている国」…もしかしたらそんなイメージを持っている方が多いのではないでしょうか。

私も前から国際問題に興味はありつつも、正直シリアのことはよくわかりませんでした。今回 #読書の秋2021  に参加するにあたってAmazonの紹介ページをポチポチと探す中、少しでもシリアのことを知れたら!と思って課題図書の中から手に取ったのが『人間の土地へ』(小松由佳さん著)でした。

日本人女性として初めてK2(「世界で最も困難な山」と言われる)登頂に成功した著者とシリアの人々との交流、その後の内戦の様子を綴ったノンフィクションです。

まず結論から言うと、読み終わった後はただただ呆然としてしまいました。あまりにもこんがらがってしまった要因の根深さの前に、無力さを感じるばかり。
「今世紀最悪の人道危機」で苦しみを余儀なくされた市民の方々の無事を願わずにはいられませんでした。しかし多様な人間への理解や、未来を作っていくという強い意思を感じさせてくれる内容でもありました。

ぜひ多くの方に読んでもらいたいと思ったので、以下に感想を整理していきます。

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最初のほうでは、作者がはじめてシリアを訪れた2008年、内戦がおこる前のシリアの平和で穏やかな時間が描かれます。朝と夕方、どこまでも続く砂漠が夢のように鮮やかに色を変える姿が美しいこと、賑やかでゆったりとした時間が流れる大家族の暮らしぶり。
コーヒーでも飲もうと言われてから、まずは豆の買い出しからはじまりコーヒーが出てくるまで結局3時間かかったというエピソードが好きでした。

しかしだんだんと状況が変化していく様子が内側からじわじわと描かれます。権力による支配に歯止めがきかなくなり、暴力が横行し、罪のない人々が冷徹に命を奪われる状況になっていくのです。
それは周辺地域の何千年という歴史、地理的要因、他国の利権などが絡み合った結果、ついに爆発してしまったものなんだと知ることができました。

どうして若者たちは武力組織(いわゆるIS)への加入を志願してしまったのか?
どうしてシリアの青年は命からがら故郷を脱出して隣国に逃れたのに、あえて争いが続くシリアへ戻ったのか?
どうして物事の正しさよりも賄賂の有無で人生が決まっていくのか?

日本では考えたことのないような疑問が浮かび、作者の思いや鋭い答えを垣間見ることができました。

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もう一つ本全体を通る軸として、作者とシリア人のご主人・ラドワンさんが家族になるまでとなってからの様子も描かれています。

イスラム教徒への改宗、日本のご両親との和解、日本とシリアでの社会生活の違い。

たしかに履歴書の職業欄に「ラクダの放牧」とあっても、日本での就業はなかなか大変だろうな…と感じましたが、今ではシリアに中古自転車を輸入する仕事などを通してご自身の存在価値を見出せるようになったといいます。ザータリ難民キャンプに自転車を送る活動にも力を入れ、故郷の人々の暮らしに役立ち、繋がり続けることを願っているそうです。

そして印象に残ったのは、理解しあえないことを理解するのが本当の意味での共生なのではないかということでした。

基本的にシリア人の妻は内側から家庭を幸せにする存在で、最上の母であり夫の良き理解者であるべしとされます。そして夫は家庭を外側から支える存在です。
勤勉で賑やかな家族(総勢約60人の大家族!)の中で家族愛にあふれて育ったラドワンさんですが、子育てと家事はノータッチで何度も口論を重ねたそうです。例えば「郷に入っては郷に従え」という価値観も通じないと言います。

同じ女性の視点からすると、共働きなんだから少しは家のことも協力してほしいと思うのでかなりもやっとしますが…。
作者は様々な葛藤を経て、自らの「郷に入っては郷に従え」といった考えも私たちの価値観でしかなく、どこにいても自らの文化に誇りを持って生きるアラブ人の生き方に理解を示します。

忍耐と地道な努力を尊重する農耕民的日本人の価値観と、”今という瞬間を謳歌する”ことに重点を置く遊牧民的アラブ人の価値観。両者の、その背景にある膨大な歴史の蓄積を考えるとき、そもそも数年、数十年で個人の内面を形作る文化の軸を覆すことができるだろうか。(略)
私はことあるごとに、ラドワンが”砂漠の人”だと捉えることで、悶々とした思いを払拭するに至った。民族的背景の違いを、相手の尊厳として認めることで、私たち夫婦は共生しようとしている。

何か問題が起きたときに話し合って互いの妥協点を探すことは本当に大切ですし、自分もそうありたいと常々思っています。ただし土台が全く違う場合にはそれ自体が通用しないことがあるのだと、あらためて感じました。

「理解する」ことを諦めるのは後ろ向きとも捉えられるかもしれませんが、決して「理解できない」ことは存在する。それは人間同士、国同士、文化同士でも同じこと。

「理解できない」事実を受け止めた上でともに生きていくのは簡単ではないけれど、どうして理解してくれないのかと期待して苦しんだり憎しみを生み出してしまうのではなく、そのままで共存できたなら。
世界はもっと平和になっていくのかもしれないと思いました。







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