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あまり二極化するのもなんだなと思いますが、世の中「やったか、やらなかったか」ではないか、と思うことがよくあります。

例えば宿題。
手先が不器用な知り合いがいます。お母さんが見かねて、家庭科の宿題を代わりにやっていたそうです。だから大人になっても、着物の半衿付け(直線縫いです)すらできません。これはやらなかったから。

目先の「宿題を提出する」「良い評価」しか考えていなくて、なぜその宿題が出ているかを考えていないのでしょう。

例えば料理。
「だって、お母さんがやってくれるから、私はしなくていいの」と言う人がいました。お母さんはいつまでお元気でしょうか?普通に考えれば、お母さんが先に亡くなるのでは。当時、40代半ばぐらいの人の発言でした。

親の隣でなんとなく手伝っていたことは、結構覚えていて再現できるものだと思います。私の母は”台所=城”みたいなところがあって、手伝えと言う割には、食材を切ったり洗い物をしたりということしかさせてくれなかったのですが、横目で見るのも大事なことだったようで、気づけば母が作っていたようなものを作っています。

例えば必要な物。
「あそこに売っていたよ」と知らせて、買ったのかと思ったら
「お店の人が忙しそうだったから聞けなかった」。
気遣いをしていそうに聞こえますが、目的を果たせたかという点で考えれば果たしていません。

趣味のものならともかく、少し前のマスクのように、必要不可欠で入手困難だったものでした。

「お裁縫、やってるんだけどどうも上手くいかない」
「料理をすると手際が悪いのか、片付ける時にウンザリする」
やってみてそんな感想を持つのであれば、上手い人にコツを聞いたら解決するかもしれません。

でも、やらないと始まらないのですよね。やらないと、向き不向きもわかりません。やらない言い訳を山ほど考えるより、やって失敗した方が諦めもつくというものです。

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