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みらいの人   第1章  全4章   『近未来短編小説』



第1章

 最新鋭の人間工学に沿って作られたベッドで眠るK氏は、眠りから覚め、数回の瞬きをした。

 すると、天井に埋め込まれた照明が仄かに点き、壁に埋め込まれた30個のスピーカーから小鳥の囀りが流れた。昨日とは違う音色だ。今日はヒバリの鳴き声を交えていた。K氏は大好きな小鳥の囀りを聴き、目をうっとりさせた。

 今度は、ベッドの背もたれがゆっくりと起き上がる。K氏はあくびをしながら、朝を感じた。K氏の上半身が起きると、ベッドの脇から2本の腕が出てきた。この奇妙な腕は、人間の腕ではない。K氏好みの女の腕をモデルに設計された、人工の腕だ。肌触りや質感は人間の腕そのもの。2本の腕は、ほんのり冷えた濡れタオルでK氏の顔を撫で、眠気をゆっくりと撫で下ろした。

 K氏の眠気が完璧に覚めると、タオルを持った腕はベッドの脇に戻った。K氏は首をくるっと回した。すると再び2本の腕が現れ、K氏の凝った首筋の指圧を始めた。K氏がしかめっ面になると、指圧の力が緩む。うっとりすると、その近辺を重点的に撫でた。

 一連の首筋マッサージが終わり、2本の腕はK氏の手首を掴み、天井に向けて引っ張る。K氏は背筋の筋肉を伸ばされ、上半身が軽くなった。

 K氏の背伸びが終わると、2本の腕はベッドの脇に戻った。同時に、小鳥の囀りが止まり、照明の光度が若干上がる。

「アメリカンコーヒーを頼むよ」

 K氏が呟くと、部屋の隅にあるコーヒーサーバーの電源が入り、アメリカンコーヒーがマグカップへ注がれる。コーヒーの入ったマグカップは、コーヒーサーバーの隣に立っている家政婦が、K氏の元へ運ぶ。K氏がマグカップを受け取ると、ベッドの脇から小さなテーブルが現れた。

 K氏はアメリカンコーヒーを一口飲み、テーブルへ置いた。すると、家政婦は元の位置へ戻った。

「Y氏は何をしているかい? もし、Y氏が起きているなら連絡してくれ」

 K氏が声を出すと、明るかった部屋は暗転し、スピーカーから女の声が流れる。

「Y氏様は只今朝食を食べ終わり、ゲームの真っ最中です。ですが、若干退屈されています。Y氏様の同意を頂きましたので、お繋ぎします」

 女の声が消えると、K氏の目の前にY氏が現れ、スピーカーからY氏の声が流れた。Y氏は本物ではなく、天井に設置された3Dホログラフィックプロジェクターが、触れるほど鮮やかなY氏を投影したのだ。

「おはよう、Y氏。元気かい?」

「おはよう。俺は元気だ。K氏も元気そうじゃないか」

「まずまずだな。すまないな、ゲームを中断させてしまって。誰かと話をしたくなったんだ」

「構わないよ。このゲームも最近飽きちゃってねえ。気晴らしに、やっていただけさ。それはそうと、どうだい? 最近、家政婦を新調したんだろ?」

「ああ、昨日から働いて貰っている。先ず先ずの動きじゃないかな。ついさっき、このコーヒーを家政婦に持って来てもらったよ」

 K氏はマグカップを持ち、コーヒーで口内を潤した。

「長生きしてくれるといいな」

「そうだ。前回の家政婦は、一年で壊れちゃったからなあ。まあ、中古で買った家政婦だから仕方がない」

「中古の家政婦は、次世代通信規格の何世代だっけ?」

「確か、19Gだったと記憶している。昨今、どんどん規格が向上するから忘れてしまうよ。今の家政婦は、23Gだ。俊敏性が素晴らしい」

「それは素晴らしい。俺も買おうかな」

 Y氏がニヤリと笑みを浮かべた。

「お、ちょっと待ってくれ。用を足すから」

 K氏が言うと、Y氏の姿が瞬時に消え、部屋には広々としたアルプス高原が投影された。

 ベッドが変形を始めた。K氏の足元部分がゆっくりと下がり、身体を起こしてゆく。ベッドの倒立に合わせてK氏が立つと、ベッドの脇から2本の腕が出てきた。2本の腕は器用な手つきで、K氏のズボンを降ろし、陰部を露わにした。すると壁が開き、ベルトコンベアに乗って、ピカピカな小便器がやってきた。

 K氏が用を足すと、2本の腕がフカフカのタオルで陰部の水滴を拭き取り、ズボンを上げた。小便器は壁の中へ戻る。ベッドがゆっくり倒れ、K氏は体勢を戻した。

「悪い悪い。用を足していたよ」

 再び、Y氏が投影された。

「構わない。人間の生理現象だからね」

「本当に便利な世の中になったもんだ。ベッドに寝ているだけで、身の回りのことを全てやって貰えるわけだからなあ。今朝はヒバリの囀りを聴きながら、優雅な朝を過ごしたんだ。部屋の随所に設置されたセンサーで瞳の動き、表情、心拍数、血圧、血行、呼吸数、善玉菌や悪玉菌の数、ありとあらゆる人体のデータをAIが識別と分析し、世界中のデータバンクから、その時々にあった極上のものを提供してくれるわけだ。
 Y氏はどんな朝だったかい?」

「俺はショパン音楽で目覚めた。最近、自律神経が若干緊張しているんだろう」

「それは、心配だなあ。それはそうと、Y氏の今日の予定は?」

「そうだなあ。オーケストラを観に行こうかな。勿論、この部屋から東京会館へアクセスし、AIが奏でる音楽を聴き入るんだがな。このオーケストラは人気で、全世界から結構なアクセスがあるようだ。公演後には、観客同士の交流会もあるぞ。K氏もどうかい? 10時から開演だ」

「俺はクラシックって柄じゃないからなあ。遠慮しておくよ」

「そうかい。それも人生だ」

 Y氏は手をパチンと叩いた。すると、Y氏の家政婦が炭酸飲料とカットレモンが入ったグラスをトレーに乗せて持って来た。

「それは何だい?」

 K氏はモニターを凝視し問いかける。

「これはね、最近ハマっている特性ドリンクさ。このドリンクは懐古的且つ先鋭的な味だと、ヨーロッパじゃあちょっとしたムーブメントになっているんだとさ。先日、バーチャルで知り合った友人から教えて貰ったんだ」Y氏はドリンクを一口飲む。「あ、そうだそうだ・・・」

 Y氏は手をパチンパチンと2度叩いた。再び、Y氏の隣に家政婦が現れた。家政婦の持つ小皿の上には、白いカプセルが一つ乗っていた。

「怪しげな薬じゃないのかい?」

 K氏は訝しむ。

「違うぞ。これは、お釈迦様が飲んでいた秘薬を、AIが分析して調合した、不老長寿の薬さ。インドじゃ、ちょっとしたムーブメントになっているんだとさ」

「へー、中々興味深い薬だ。それもバーチャルの友人から教えてもらったのかい?」

「その通り。ベッドで横になりながら、50億人と友達になれるわけだから、便利なもんだ」

 Y氏は満足気な表情で秘薬を飲み込んだ。

「Y氏。もし良かったら、部屋を出て街を散策してみないか?」

 K氏が問い掛けると、Y氏は目を丸くして驚く。

「おいおい、どうしたんだ。街に出る必要はないだろう。見たい景色は自動運転しているドローンを現地へ飛ばして見れば済む話だ。出歩くなんて、人間がすることではない。愚行だぞ」

 Y氏は空笑いする。

「そんなに笑うなよ。外の空気を吸いながら、散歩をしたくなっただけだ。バーチャル生活に少し飽きちゃってねえ」

 数年間部屋を出ていないK氏は、便利すぎる生活に若干飽きていた。

「美味しい空気が吸いたいなら、空気清浄機のフィルターを買えば済む。『南極の風』ってフィルターは中々美味しい空気だったぞ。散歩も歩行マシーンがあるから、自宅で出来るだろう。だから、そんな苦労する必要はない。苦労や根性なんて死語を言わないでくれ。ベーシックインカムを貰いながら優雅に暮らしている俺の日常を、邪魔しないでくれ。それじゃあ、もう切るぞ。さよなら」

「あ・・・」

 K氏が会話を続けようとすると、投影していたY氏の姿が消え、砂浜の投影に変わってしまった。Y氏の声も途絶え、スピーカーから潮騒が流れた。

 家政婦がK氏の隣にやって来た。

「K氏様、セロトニンが不足しております。セロトニンは神経伝達物質です。不足しますと、ストレスの要因になります。日光浴がオススメですので、照明を日光浴モードへ切り替え、大人気のワイキキビーチに切り替えました。セロトニン分泌を促進するお薬がセール中ですので、お取り寄せしましょうか?」

 K氏は黙って首を横に振った。

「失礼しました」家政婦は頭を下げた。「K氏様、疎遠になりましたY氏様よりも、性格の一致するN氏様が見つかりました。セロトニン分泌促進に最適なお相手様ですよ。N氏様はK氏様とお話されたいようですが、お繋ぎしましょうか?」

「少し独りにして欲しいから、隅で休んでいてくれ」

 K氏が言うと、家政婦は部屋の隅へ移動し、瞼を閉じた。

「ベッドを倒してくれ」

 K氏の背中を支えているベッドがゆっくりと倒れ、平らになった。砂浜の投影は消え、部屋の光度がゆっくり下がる。K氏は頭の後ろで手を組み、天井を眺めた。


第2章に続く。




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