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汽車の窓をこじ開け、『みかん』を投げてみた・・・?               芥川龍之介先生 横須賀

こんにちは。

動画配信者のような釣りタイトルですみません。何となく、使ってみたくなりました。動画配信はアクセス数が金になりますので、必死こいてタイトル付けする気持ちは分からんでもありません。

タイトルは、芥川龍之介先生の短編小説の『蜜柑』の一部分です。勿論、一部分ですので、小説はもっともっと深淵で、味わい深い短編小説です。

あらすじ。

横須賀発の二等者の列車に乗る主人公。主人公の前に、三等車の切符を持つ小娘が入ってきます。主人公は小娘の身なりや態度を好まなかった。
列車が発車し、小娘は必死に窓を開けようとする。やっと開いたと思ったら、トンネルの中。トンネルの中ですので、煤煙が車内に入ってきて大変な事態になります。
主人公が叱りつけようとすると、小娘は車窓から半身を乗り出し、霜焼けの手を伸ばし、蜜柑を五、六個放りました。飛んだ蜜柑は、三人の子供たちの元へ。
そして、主人公は思うのです。

『私はこの時始めて、云いようのない疲労と倦怠とを、そうしてまた不可解な、下等な、退屈な人生を僅かに忘れる事が出来たのである。』

最後は、小説から直接引用しました。

人というものは不思議なもので、人の振る舞いで、視点が反転してしまうことが多々あります。何て不完全な生き物なのでしょう。だからこそ、面白い。
合縁奇縁。
嫌いだった人が、好きになってしまったり。好きだった人が嫌いになってしまったり。皆さんも、きっとあることでしょう。きっと。


さて、久しぶりの文学碑訪問です。『蜜柑』の小説の舞台の横須賀の吉倉公園に一角に文学碑がありました。

〒238-0047 神奈川県横須賀市吉倉町1丁目4−22


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公園の入り口を潜り、右へ。

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公園同様に、綺麗に整備されています。奥には、JR横須賀線があります。

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文学碑の右手には、トンネルを見る事が出来ます。ここから、煤煙を纏った汽車が飛び出したのでしょう。

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龍之介は明治二十五年三月一日に東京市京橋区(現、東京都中央区)に父新原敏三、母ふくの長男として生まれ、辰年辰日辰刻の生まれにちなみ龍之介と命名された。
家庭の事情で幼くして入籍した龍之介の養家は本所(現、墨田区両国)にあった。このことは、「遺された江戸」の面影をとどめる土地柄を通じて、彼の個性成長に見逃せぬ要因となっている。彼はこの地を深く愛惜していたにもかかわらず、’’西洋’’との出会いは彼を故郷から脱出させることになる。彼自身の言葉によれば、「中流下層階級」からの脱出を「文学」に賭けたわけである。
 蜜柑 は、彼が横須賀の海軍機関学校教官時代、鎌倉の下宿への帰路、横須賀線内でたまたま出会った出来事を題材としている。横須賀駅を出た汽車の中で、二・三等車の区別もわからぬ娘が、自分を見送るため待ちかまえていた弟たちに、窓から蜜柑を投げ与えその労に報いた姿を見て、最初にいだいた不快感から一転明るい感動を覚えたことを作品化したものである。
彼は機関学校時代、市内汐入五八〇・尾鷲梅吉方(現、汐入町三丁目一番地)に下宿していたが、塚本文との結婚で再び鎌倉に移った。機関学校での生活は、時間的拘束や生徒の気風になじめず、彼のいわゆる「不愉快な二重生活」であったようだが、そのためか週末はほとんど田端の自宅で過ごしていた時期もあった。だがそうした感情とは別に、彼は授業に対してはたいへん熱意があり、内容もおもしろく有益なものであったと当時の教え子が述懐しています。
昭和二年七月二十四日、龍之介は自ら杯を仰いで一命を絶った。享年三十五歳であった。

横須賀市


文学碑の裏には、蜜柑の木が一本植えてありました。こういった粋な計らいには、心温まります。ありがとうございます。

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『蜜柑』の小説は著作権が切れていますので、青空文庫で読む事が出来ます。しかし、芥川龍之介先生のそのほかの短編もおすすめですので、是非是非、本の購入をおすすめします。

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花子出版    倉岡



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