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私たちはあまりにも子供になにかを与えようとしすぎている

顔よりも大きな、光るわたあめ。
750円。

いやいや、ぼったくりか?
正気か?

光る、というだけで、
キャラクターの袋に入っているというだけで

ふわふわの砂糖菓子は、自らの価値以上の対価をこちらに求めてきすぎではないだろうか。

だけど、私も知っている。
夏祭りの日、カラフルな袋に入ったわたあめを買ってもらったときの高揚を。すれ違う子供たちが手に持っているのを見た時の憧れを。

ということで、「これで750円かよ〜!」という思いはうちに秘めて、「光るわたあめがほしい!!!」という長男のためにエイヤ!と、光るわたあめを買った。

次男も欲しがっていたが、彼は断じてわたあめを食べないのを知っているのでその旨伝えたらすんなりと「じゃあアイスにしよーっと。これとこれとこれ」と言ってアイスを3種類選んでいた。次男のこういうところ、世渡り上手だな、これが末っ子なのか?とたびたび思う。

私たちの顔よりもでかい光るわたあめは、薄暗い水族館のなかでひときわキラキラと光った。

「うわああああああ!」

大きい。光る。そして、旨い。

こんなにもコドモゴゴロをつかむものがこの世にあるだろうか……。

「ママ、ありがとう〜〜〜!!!」

にっこにっこしながら、大きな口でわたあめに向かっていく長男。

なんだか、こんなにも嬉しそうにしている長男を見るのは久しぶり、なような気持ちにふとなった。

いやいや、そんなはずない。笑ってるところはもっと見てるはず、、あれ、、、?

自信がない。
不安になる。

息子たちのため、長男のため、次男のため。

毎日声かけして、ああでもないこうでもないと話して、もっとこうしたらいいんじゃないか、って頭を捻って……

でもそれってほんとに本人たちのためなんだろうか?長男と次男がこんなふうに笑ってれば、そして、笑ってるところを私がニコニコ見る心の余裕があれば、全部それで解決!それだけで、幸せじゃないのか?

「にーにのわたあめ、キラキラしてすごいねぇ」

隣でアイス(1種類)を食べながら、次男もニコニコわたあめを鑑賞する。わたあめ本体は、断固として一口も食べようとしない。やっぱりな……(しかしここで「やっぱり僕も光るわたあめがよかった!」と泣かないのが次男だよな〜とも思う)

長男ももうすぐ5歳。
幼児期の「お世話」というよりは、学びとか、メンタルとか……そういう方向のケアも出てきて、いろいろ考えることも増えてきた昨今。

あれもこれもしてあげないと、と、あまりにも思いすぎていたのではないか?と、ふと立ち止まる。

私がこの子に「与える」ことができるは、キラキラふわふわしたわたあめくらいなもんなのだ、たぶん。

「ちょっと高くないか…?」と躊躇ってしまうようなものを、「はいよ!」と、たまにはぽんと買ってやれるように、頑張って働こう。あまり「これがほしい!」と言わないけれど、もしかして「わがまま」を我慢させているかもしれない次男が、本人が本当に欲しいものを言ったとき、躊躇わずに手渡せるように頑張って働こう。守りたい、この笑顔。

そんなふうに思った日曜日になった。

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