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小説「タナトスの誘惑」から読み解くYOASOBI「夜に駆ける」 〜「小説×音楽×映像」に秘められた可能性〜


「小説を音楽にするユニット」YOASOBI。

きっと多くの人が、YOASOBIを「音楽」から知ったことだろう。
「夜に駆ける」は、ストリーミング再生回数4億回を突破。一世を風靡するアーティストだ。

小説×音楽。

YOASOBIが「小説を元にして音楽を作っている」ということを知らない人も多いのではないか?
「原作小説」を読んだことがある人はどれくらいいるんだ?

それくらい、YOASOBIの音楽は幅広く、多くの人に楽しまれている

正直なところ、私自身「夜に駆ける」が「小説から生まれた」と知ったのは、何十回となく「夜に駆ける」を聞いたあとだった。

そうして手に取ったのは
夜に駆ける YOASOBI小説集」。


表題となっている「夜に駆ける」の"原作小説"にあたるのは、小説「タナトスの誘惑」(星野舞夜)だ。

きっと多くの人は、私と同じ。
楽曲「夜に駆ける」を見て/聞いてから、「タナトスの誘惑」を読んでいるんじゃないかしら。

そんなわけで今回は試みに

小説「タナトスの誘惑」を通じて読み手(私たち)がどのように楽曲「夜に駆ける」を享受するか?

という視点から考えてみる。

楽曲の制作にあたり、原作小説についている「肉」を「骨」からはがして、そこに「別の肉をつけて生まれ変わらせ」ているというAyaseさん。さらにその上に「歌という皮膚」をつけていると表現しているikuraさん。

そんなふうに、小説から「肉付け」されて音楽が作られているわけなので、順序としては本来「小説→楽曲」と見るべきだろう。

しかしながら、先に書いた通り、読み手である「私たち」の多くはきっと「楽曲→小説」の順でこの世界を受け取っているだろうと推測する。

そのため、読み手は「夜に駆ける→タナトスの誘惑→夜に駆ける」の順番を辿っていると仮定して、以下書いていきたい。

※この記事は小説「タナトスの誘惑」のネタバレを含みます。
※参考に、私が当初「夜に駆ける」を聞いたときにに対して持っていたイメージ
【ラブソング】
・「2人」=恋仲だけど、揉めてる。彼女に他に好きな人が出来たとかそういう系。
・「夜に駆ける」=2人で手を取り合って逃避行に出かける

🌙楽曲「夜に駆ける」を聴いてから読む小説「タナトスの誘惑」

「え、自殺の話なの????」

てっきりすっかり呑気に、手を引いて2人で逃避行でもするもんだと思っていた。

逃避行は逃避行でも、死出の旅への逃避行だった。

しかも「彼女」の姿をした「タナトス(死)」「死神さん」に誘われるのだ。

全然わからなかった。
「死」にも「自殺」にも、私は気づけなかった。

✏︎巧妙な「小説の音楽化」のテクニック

あまりに見事に「音楽」にしていて本当にすごい。対応箇所をあげつらって全部についてあーでもないこーでもないと言いたいところだが、それはぜひ皆さんに読んで興奮していただきたい。
ということで、タイトル「夜に駆ける」に関わる部分について3点述べさせてもらう。

①秀逸すぎるタイトル「夜に駆ける」

「夜に駆ける」っていうタイトルがまず、あまりに完成されている。

小説のほうのタイトルは「タナトスの誘惑」なのに、歌にはない(後述するが「終わりへと誘う」という語は出てくる)
小説の内容もがっつり「死」の話をしてるし、「自殺」してるのに。

夜に駆ける」というワード自体も、小説の最後の最後になるまで出てこない。

手を繋いだ君と僕。
この世界が僕らにもたらす焦燥から逃れるように
夜空に向かって駆け出した。
(小説「タナトスの誘惑」より)

このラストまで読むとわかるのだが。

「夜に駆ける」「夜に駆け出してく」という言葉が=自殺である、という衝撃。

或いは、"「タナトス」との心中"だ(ああ、なんて陳腐な言い回しだろうか)

こんなに美しく「自殺」を表現した言葉をもって、音楽を題すなんて反則だ。

小説を知らなければ、読まなければ、私たちはこの"神曲"がまさか「自殺」という"タイトル"だなんて気付かないだろう。

私たちは、「夜に駆ける」をタップした時点から「自殺」の歌を選んで、聞いていたのだ。

ikura  『夜に駆ける』という言葉は、最後の〈夜に駆け出していく〉というところまで出てこないんですよね。それをタイトルにするのは、勇気が必要だったはずです。でも、「夜」だけではなく、「駆ける」という動きのある言葉が入ることで、聴く方の想像力を刺激したんじゃないかな?
Ayase   このタイトルにして本当によかった。
(「夜に駆ける YOASOBI小説集」YOASOBI Ayase×ikura インタビューより抜粋)


②見えなくなっている「死」

この「隠された死」は、タイトルだけではなく歌詞にも溢れている。

前述のように、楽曲「夜に駆ける」は小説のもつ「骨」に「別の肉」をつけて音楽にしている。
小説「タナトスの誘惑」楽曲「夜に駆ける」を見比べると、「別の肉」も確かにあるが、小説元々の「肉」の名残(肉汁?)がかなり散らされている(引用されている)ことがわかる。

にも関わらず。小説を読むまで私たちは「死」を感じることはない。「ん?」って思うところもあるけど、そこまで辿り着け、ないよね……?

場合によってはかなり直接的に言葉を引用して持ってきているのに。そう言われれば……

以下、「夜に駆ける」より。

もう嫌だって疲れたんだって
がむしゃらに差し伸べた僕の手を振り払う君
もう嫌だって疲れたよなんて
本当は僕も言いたいんだ

終わりにしたい」だなんてさ
釣られて言葉にした時
君は初めて笑った
変わらない日々に泣いていた僕を
君は優しく終わりへと誘う

私はずっとラブソングだと思ってたし、初見で聴いた時には「そう」読めるように構成されている。

小説はずっと「死」「自殺」の話しかしてないのに。

MV見ると確かに「自殺してるぅ」ってなるんだけど、それだって、何かの比喩や暗示だと解釈してしまっていた。

ましてや、楽曲だけ聞いて「自殺の曲だ」まではなかなか解釈できないだろう(私だけでしょうか)

Ayase  グロテスクでダークな話だからこそ、キャッチーな曲にしたかったんです。「死」というテーマは、簡単に扱っていいものではありません。
(「夜に駆ける YOASOBI小説集」YOASOBI Ayase×ikura インタビューより抜粋)

③「夜に駆ける」というタイトルと、最後の一節との対応

繋いだ手を離さないでよ
二人今、夜に駆け出していく
(YOASOBI「夜に駆ける」より)

「夜に駆ける」(曲名)から始まって「繋いだ手を離さないでよ 二人今、夜に駆け出していく(もう出発してしまった)」で終わる。

加えて、よく聴くと、「駆け出していく」の「て」(い)「く」でちょっと切れてて、ささやくようにフェードアウトしていく。最高かよ

小説を読んでからこの部分を聴くと、私は屋上から「1人で」落ちていくところを思い出してしまうよ。

しかも、小説の最後も「手を繋いだ君と僕。この世界が僕らにもたらす焦燥から逃れるように夜空に向かって駆け出した」(前述)で終わっているから、ラストが対応しているというわけだ。

美しい

でも「夜に駆ける」って全部これ「自殺」ってことなんだぜ。

最初から最後まで、死を、自殺を語ってるんだぜ。

ひとたび聞けば疾走感の虜になるナンバー、その背後には「死」がある。

あまりに美しすぎるでしょ……


🌙小説「タナトスの誘惑」を読んでから見るMV

「YOASOBI小説集」の帯にも「小説×音楽」とあったが、それは正確ではないだろう。

✏︎YOASOBIとは「小説×音楽×映像」である。

例えば、MVを一度でも見たことがある人は「2人」を最初から「男女」として捉えるだろう。
視覚からの情報の先入観、影響力は強い。

「夜に駆ける」のMVは、「夜に駆ける」のミュージックビデオである。
それと同時に、「夜に駆ける」という楽曲を仲介した、小説「タナトス」の映像化作品でもある。

Ayase  入口がたくさんあることが重要なんです。楽曲からでも、小説からでも、映像からでもいい。(中略)……そうやって三つの世界を行き来することによって、作品のテーマに迫ったり、思いがけない広がりを楽しんでほしいです。
(「夜に駆ける YOASOBI小説集」YOASOBI Ayase×ikura インタビューより抜粋)

✏︎令和時代の「歌物語」の担い手、YOASOBI


私は個人的には、YOASOBIは古典文学でいうところの「歌物語」の系譜に属すると解釈して一人で楽しくなっている(いつかこの話もしたい)

※歌物語(うたものがたり)とは……和歌にまつわる説話を集成した、物語文学の総称である。

しかし、古典文学作品における「歌物語」と大きく異なるのは「映像の有無」だ。

楽曲の世界観を視覚的に表現する「映像」(MV)の存在によって、小説×音楽には第3の軸「映像」が付与され、映像による想起が「小説」「音楽」にも及ぶことになる。

Ayaseさんが言っていたコンテンツを「立体的に」捉えることができる状態。

これは強い。強いぞ。

つよつよコンテンツに、YOASOBIの才能が合わさった。日本人は昔っから、1000年以上前から、「物語×歌」が大好きなのだ。そしてそこに、「映像」が加わったら、流行らないわけがない。

そんな最強なYOASOBIが、ブレイクしないわけがないっていうわけですわ。つよつよ。

「人に説明したくなるときって、いい曲であることに加えて、何か別の要素が必要だなと思うんです。YOASOBIにおいては、まず『原作の小説がある』というのが“布教”したくなる文言になっていると思います。『パッと曲を聴いたらこう感じたけど、小説を読んでみたらこういう意味でさ、一回小説読んで聴いてみな?』って人に言いやすいのかなって。(Ayase)
https://www.google.co.jp/amp/s/signal.diamond.jp/articles/amp/419

Ayaseさんがこう仰るとおり。
私も、YOASOBIというユニットを「布教」させていただく。

パッと曲を聴いたらこう感じたけど、小説を読んでみたらこういう意味でさ、一回小説読んで聴いてみな?

※出典リンク集

「タナトスの誘惑」読んでみたい!「夜に駆ける」聞いてみたい!比較検討してみたい!という方はこちらからどうぞ。

「夜に駆ける」歌詞
「夜に駆ける」MV
原作小説「タナトスの誘惑」星野舞夜
✔️関連記事
YOASOBIと「ブルーピリオド」のコラボ楽曲「群青」への愛を綴っているのはこちら

🙋‍♀️追記
「音楽×読書コンテスト」に参加します!

ともきちさんに、「note大学読書部」のマガジンに入れてもらってるやんけ!わーい!と、意気揚々にマガジンに遊びに行ったところ、

エッ!
「音楽×読書コンテスト」を開催している!

私としたことがこんなにも楽しいコンテストを見逃しておりました……!
たまたま「小説×音楽」で記事を書いたのも、天の神様、ともきち様のお導きに違いない。

こっそり仲間に入れていただきたく、追記で参加表明です!🙋‍♀️

後出しジャンケンすみません💦
よろしくお願いします🥺✨




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