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「ずるい自分軸」を読んで気付いた「自分だけが羽ばたける世界」の作り方。

“つまり、
「今の自分から抜け出したい」と思う方や、
「もっと自分らしく生きたい」と思う方は、

「他人がつくった領域」から抜け出し、
「自分の領域をつくる」ことで解決される。

具体的には…”




こんにちは。最強のパートナーはなです。
先日、あそび屋だいさんの「ずるい自分軸」を読み、開始3分の1ですでに「自分が我慢できない体質(ADHD気味)」であることが発覚しました。



\あそび屋だいの「ずるい自分軸」/



「嫌だけど我慢してする」ことが体質的に出来ない私は、「嫌だ」と思う自分の本当の気持ち自体を封印し、思考転換し、「こんなプラスの一面もあるのだから、やってみよ!」と自分を励まして、「嫌だ」と思う気持ち自体をねじ伏せていたようだった。「そもそも嫌だと思っていない」ことにすることで、「嫌だけど我慢してやる」のではなく、「自分の意思でやる」=「我慢はしていない」と思い込むことでずっと「普通」に生きてこれたようだ。

「嫌だと思ってはいけない。だってこんないい面もあるのだから」と自分の本当の気持ちを否定し続けることで、社会で生きていたかったのだと思います。

「我慢することが体質的に無理」。
でも、社会ではそれが通用しない。両親共働きで寂しがり屋の私にとっては「家」よりも学校のクラスメイトがいる「社会」の方が安心する。だから、嫌だと思ったら「そんなこと思ってはいけない。自分の居場所がなくなる」と自分を責め、嫌なことの中にもプラスになる部分にだけ目を向けて、「自分にとってプラスになるからやるんだ」と無理やり納得させることで、居場所を確保しつつ生きてきたようだった。


前編の詳細はこちら▼




そんな「ずるい自分軸」を読んだ考察、後編です。
今回は「自分」よりも「私の元へやってくるある特徴のあるクライアントさん達」に向けて書いたようなメッセージのようになっています。



第三章 「やればいいじゃん!」発言による女友達さようなら事件

「ずるいと思ったらやっちゃえばいいじゃん!」と言われても、はいそうですね!とパッとやれないのは当然なのです。(できてしまう人はそれまでの積み重ねが揃っていただけです。)

「ずるい自分軸」35ページ


私は「やっちゃえばいいじゃん!」と言われると、「そっか。やればいいのか」と思ってやれる方である。

私の場合、「それまでの積み重ね」=努力の塊や成功体験ではなく、「やった事がないことをやってみる」という挑戦の積み重ねはあったように思う。

「そっか。そうだよな。やらなきゃわからないから、やっちゃえばいいか!」と思って、自分の背中を押してやれてしまう方である。

そこに必要なのは「勇気」だけだと思ってた。


そして、
友達にも「やればいいじゃん」と言って何度も自爆した。

「なんでみんなやらないんだろう?」とずっと疑問で、「やってみなきゃわからないのに、なんでやらないんだろう?」って思ってた。

好きな人には告白しなきゃわからないし、バイトの面接は受けてみたらいいし、引越ししたかったらすればいいし、ダメだったら次に行けばいいし、

「やりたいとか羨ましいとかそう思うならやればいいのに」って、そう思ってた。


そして、「え、やればいいやーん!」ってニコニコしながら話すと「はなみたいにはできないよ!」と何故か怒られて自爆して女友達さようなら事件に繋がった。

私に文句言わずにやればいいのに、何で私が文句言われるんだ?って本当にそう思ってた16歳の秋。

本当にそう思っていたが、人間とは不思議なもので、そんな私の気持ちを「だよねー」と同意してくれる人は周りにはおらず、自分の意思を認められた経験がなかったため、大人になるにつれて、「自分の意思は基本的に間違っている」と思うようになり、「自分の中に自然と浮かぶ意思は基本的に疑った方がいい」と思うようになった。

そして、本音で話せる人がいなくなった。
友達にも家族にも。

私の本音=基本的に間違ってるから、人の意見に従った方が安全と思うようになって20年以上も過ごしていたように思う。




この本で一番大好きな部分 (心のブロックの外し方)

そしてこの部分は大好きなので、大幅抜粋。↓

ここで重要なのは、 「一人で決めてやってみること」 これまで人の気持ちを敏感に感じ取って他人を優先させてきたあなたです。一人で自由気ままに動くことにも罪悪感や躊躇があるかもしれません。

だからこそ「一人だけでやってみる」ことを許してあげましょう。 あなたの行動はあなたが決めていいんです。そのことを確認するために一人で挑戦してみてください。 誰にも忖度する必要もなく、意見を聞く必要もなく、行きたい場所に行って好きに何をやってもいいと許可を出すためのぷち一人旅です。

36ページ

やりたいこと
行きたい場所
食べたいもの
心が動いたこと
反応したこと全てに「いいじゃん!やってみよう!」と全肯定してあげてください。

やりたいことがやれない理由の一つに、「自分以外の声が心に存在しているから」というものがあります。

やりたいと思った瞬間に「でもきっとこう言われるかも…普通は…常識的には…」と過去の経験から「他人からの声」を自分の声と思い込んでしまうことで否定してしまう。

その声たちに従っていると、どんどんと声が大きくなって細かいところまで気になりだして、生活の一つ一つ言動の一つ一つまで縛られてしまいます。 その結果「禁止ルール」が出来上がってしまうのです。

37ページ

例えば「私もカフェに一人で行ってみたい!」と思ったとします。 難しく考える必要はありません。 あなたが一番テンション上がる服を着て、お洒落して外に出てみましょう。前から目星をつけていた場所でも、仕事帰りに見かけたお店でも大丈夫です。 ドアの前まではドキドキして引き返そうか迷うはずです。

37ページ

普段なら引き返すところ。 でもここが正念場です。

思い切って気になっていたカフェのドアを開けてみましょう。 中に入って、席に案内され、メニューを見ます。どうせなのでちょっと高くても一番気になるものを頼んでみましょう。

席について、注文して、コーヒーが来るまでは、大丈夫かな…?と怒涛の感情が来るはずです。
でも、コーヒーを一口飲んで一息ついたときにはきっと感じるはずです。

「こんな感じかあ」と。

周りの人はあなたのことを全く気にしてないし、心配だったことは一つも起こらないはずです。コーヒーは頼んだら来るし、店員さんは優しいし、意外とお一人様は自分以外にもいるなと気がつくはずです。 意外と外の世界というものはそんな感じなんです。

38ページ

ここ、大好き。
すごく勇気もらえる。



私は元々は自由奔放でやりたいことはやるタイプで、何でも「やってみなきゃわからない」と思うタイプだったけれど、発言自爆による“女友達さようなら事件”があり、その後18歳から今の旦那さんと付き合うようになり、長年の「自分の意見より他人の意見を優先した方が安全」という自己洗脳により、20年ほど「やりたいこと」ができない体質になっていました。

「やりたい!」と思ったことを無意識に口に出し、「それは無理でしょー」と否定され、「一緒にやろー」と誘っても「俺はいいや」と自然と言われ続けた結果、芽生えたのが「身近な人と共に暮らすために、身近な人に合わせて生きるのが正解と思い込む人格」である(=他人軸)。

そんな私がひょんな理由からだいさんからコーチングを受けていた当時に、「はなさんできると思うけどなぁ~。やってみて下さーい!」と言われた。話をしている内に私がずっと封印してきた本来の私の姿が、だいさんには見えていたのだと思う。

「できると思うよ!やってみてね」と言われるとやってみたくなる。

「そっか。できるのか。やってみるか!」と思えるようになって、やってみたときのnoteがこちら▼


やってみたら、できた。
その小さな「成功体験」の積み重ねが、今の私(本来の私)を復活させたように思う。


第4章 「わがまま」はぶん回せる。

例えば、僕が好きなニートの方がいるのですが、 彼が一般的な社会人の前で「働きたくない。ダルい」と言うと、たいてい叩かれます。つべこべ言わず働け!と言われていたりしますし、コメント欄はすぐ荒れます。

ですが、彼の生き方に共感するコミュニティ内で話すと、待ってました!とばかりに「本当にそれ!ダルいし働かずに生きていきたい!なにか方法ないですかね」と盛り上がります。
それどころかスレが立ったりオフ会が生まれたりシェアハウスができたりと新しい文化さえ生まれる勢いです。

彼のやってることは同じで、 彼の「わがまま」をそのまま口に出しているだけ。 それでも彼が自己解釈して作った世界観に共感する人たちにとっては「ずるい自分軸」なのです。

今回敢えて「わがまま」と表現したのは、「世界観によって受け取り方が異なる」ことがあるためです。

違う言い方をすると、 あなたが「わがまま」と感じてしまうアレコレは「他人が作った領域で生きているから」であって、 あなたの領域の中では立派な「あなたらしい武器」になり得るのです。

59ページ


これを読んだ時、何人ものクライアントさんの顔が思い浮かんだ。私の元にやってくるクライアントさんは、本来できるハズなのに、なかなか1歩が踏み出せなくて、でも「1歩踏み出したい」と思っている方が多くやってくる。

1つの環境(家、職場、友人関係等)から出た経験が無い、または、その経験がかなり少ないために、「今まで過ごしていたその環境だけ」で自分を判断している傾向がある。

例えば、実家暮らしの場合は「親や家族の言うこと」が基準だし、既婚者の方は「旦那さんの意見」が基準。身近な家族に反対されると「自分が間違ってるのかー」と思って納得してしまう。

また、良くないことにその「責めてくる人(反対してくる人)」は社会で上手く生きられている人だったりします。

つまり、その身近な人に責められる(反対される)=社会で上手く生きている人に責められる=世間一般(常識)の世界から責められるような気になり、自分の生きる場所は、自分が頑張らないと手に入らないと思うようになる人が多い。


でも、

これらは、

「他人がつくった領域」

あそび屋だい「ずるい自分軸」より

であり、

あなたの領域ではない。


あなたの本来の姿(わがまま)をねじ伏せてまで従わないと生きていけない世界など、あなたに必要ではありません。


あなたの本来の姿(わがまま)をニコニコ受け入れてくれる世界で、自由に羽広げて堂々と生きていいんです。

そんな世界(自分の領域)は、必ず作れる。



私の場合、自分の意志を大事にするようになればなるほど、周りに「普通の人」がいなくなりました。
(よほど常識外れの意志を持っていたのだと思う)



会ったこともないSNS上の人達だから言える。
名前も顔もわからない「オンライン」の空間だから、自分の本音が書ける。そう思っていたのかもしれません。


それが今はオンラインの世界から飛び出し、私がやる事に憧れを持ってくださってビジネスが生まれ、お金が生まれ、生活費となり、オフラインのリアルな私が生きられている感じ。リアルに会える人も増えてきた。

心の繋がりから、私の中に大きな軸ができて、その安定感で肉体が動いている感じ。


世の中の「一般常識」に合わせるために、心の底から自分を責めなくても、生活が成り立つようになってきました。





「今の自分から抜け出したい」と思う方や、
「もっと自分らしく生きたい」と思う方は、

「他人がつくった領域」から抜け出し、
「自分の領域をつくる」ことで解決されます。


自分の領域の作り方は、

①自分の弱さをさらけ出す
②こんなことしたらダメだよね..と思う気持ちもさらけ出す
③それを「大丈夫」と言ってくれる人(受け入れてくれる人)とだけ付き合う

私の経験上、2年ほどこれをすることで「自分の領域」を確立させることができてきたように思います。


「わがまま」だと言われてきたことや、「はなだけ、ずるい」と言われてきたこと、「それは無理」と言われてきたことの全てが、今は「絶賛」され、拍手される。「それめっちゃわかります!!!」とコメントが来る、「そんなはなさん大好きです」と言われ、男女問わず「ファン」だと言ってもらえて、「もう崇拝していますからね~」とまで言われる。

これは、私が自分の気持ちを自分以外の外に出し続けた結果、出会えた人達によって作り上げられた「私だけの領域」である。


「うらやましい」「ずるい」と思った方、ぜひやってみて下さい。2年くらいかかるけど、今よりいい世界になるかもしれません。ふふ。



「後半」ではなく、「第二篇」になりましたね。
続きはまた書きたい波が来たら書きます。



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