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マドンナの結婚

「入籍しました」年が明けてすぐ、そう記されたインスタグラムのストーリーが更新された。投稿主は私の高校時代からのマドンナだった。

彼女は中高一貫の女子校に中学から通っているお嬢様だった。高校から入学した私には当初、気が強くて少し怖い存在だった。しかし、同じクラスになってみると白く透き通る肌に細くてまっすぐな脚、決して絡むことのない薄茶色の髪の毛、華奢な体。そして端正に整った目鼻立ち。この見た目にお茶目で可愛らしくて面白くて、気取らない、何より運動も勉強もできる。そんな彼女に一気に心奪われてしまった。
特別同じグループに一緒にいたわけではない。でも同じ班や近くの席になれば親しく話す、校内カーストのない女子校だからこそ成り立っていた私と彼女の関係性。彼女にしてみれば、私は数多くいる友人に過ぎなかっただろう。だが、私にとって彼女はいつでも自由な永遠の少女として、憧れの存在だった。

大学に進学してからは会うことはなかった。もともとそんな深い関係性でもなく、さらには高校時代の友人との付き合い自体薄れていた。しかし、インスタを通じて知る彼女の学生生活は共学に行ったことでさらに華やかなものになっていて、そして彼女はどんどん綺麗になっていった。
かたや私は日々の課題に追われ、毎日朝から晩まで大学の図書館で予習の日々。女子大で異性と会話など数ヶ月していないのもあたあり前で、特別派手な格好もせず、冴えない女子大生としてただただ学びに傾倒していった。

そんな彼女と久しぶりに再会したのは教育実習でのことだった。もう何年も会ってないし、そもそも華やかで綺麗な彼女と冴えない本の虫である私が話すことなんてあるのだろうか、そう不安を抱えながらも3週間を過ごした。
結果として、彼女は何一つ変わっていなかった。相変わらず可愛くて、私みたいなのにも優しく面白い話をしてくれて。私が話せばなんでも笑ってくれた。
ただ唯一変わったのは、彼女と、彼女とずっと連絡を取って仲良くしていたその友人には彼氏がいた。(正確には私以外の実習生にはほとんど彼氏がいた)会話の間に挟まれる同世代の男子の話に、ただただ驚くばかり。聴く側にまわって、驚くことしかできない。

気がつかなかった。私たちはとっくに10代を終えて、もはや高校時代よりもこれから先来たる社会人としての日々の方が近くなっていたのだ。

そして今年、私たちは25歳になる。彼女の入籍報告を見て、高校時代の記憶、教育実習の記憶、全てが走馬灯のように流れた。私のマドンナだった彼女のことを、旦那さんになる彼氏は私より知っているのだろうか、そんなくだらないことを考えては自分を諌める。
これは結婚できないことや同級生の自分より早い結婚への焦りを感じているのではない。高校時代、10代の私たちが花園の中でみずみずしく過ごしていたあの日々が永遠ではなかったことに気がつき、そしてもう2度と戻ってこないあの日々への懐かしさ愛しさ、そして慈愛の心に打ちひしがれているのである。

永遠なんてないことは、分かっていたはず。
そこまで子供ではない。
でも、彼女の結婚を機に、私の高校時代は本当の意味で終わってしまったのだと思う。もう2度と戻ってこない楽しかったあの時間。鮮やかに私の頭の中で輝いていた光景も、これからどんどんセピア色になっていくのだろう。時の流れは残酷で、そこにとどまることを許してはくれない。だとしたら。
私が願うことは何だろう。

あの愛き日々を共に過ごした友人たちの幸せと、あの日々がどうかセピア色になっても、セピア色として輝いてくれということ。それのみだ。

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