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 私の人生の選択は冒険続き 


私は、自分の感情そのままに生きてきた。そのせいで親の心労は計り知れない。自分が親になり子供が私が冒険していた年齢に一人は達し、もう一人はもうすぐだ。長男は、大丈夫だろうと思っているが次男も同じことをしなければよいなと正直少し心配している。

私はいろんな経験しなくても良いんじゃないかと思うことをしてきた。困ったこともあったし警察に関わってしまうこともあった。でもすべてトータル的にすべて自分で解決して乗り越えてきた。と思い込んでいた。そう周りが見えていなかったのです。
今は、あの時の自分がどうしてそんなことをしてきたのか疑問さえ浮かぶことがある。でもその時は、精いっぱいだった。感情にすべて負けていた。私が経験してきたいじめや家出、家族の裏切りなどどういう風に乗り越えたのか、どういう風に感じたのかを記事にしています。

これを読んだ人がもし自分の行動に抑えが利かなくなったとき悩んだ時、感情に流されることなく自分の意志で動く心をそして何か感じていただけたらと思って書きました。最後まで読んでくれるとうれしいです。

私が経験した過去


記憶はずっと奥底に残る

いじめの被害者と加害者 痛みは消えない

私は地元で生まれ、地元で育ち、今も地元で一度も出たことがありません。
この地区が好きだからです。嫌な思い出もたくさんある。楽しい思い出もある。すべてが詰まってるから出れないのかもしれません。

小学校のとき、いじめの被害者、加害者両方を経験しました。今は命にかかわるようなこともあり心を痛める時があります。
もう40代になりますが、その頃の記憶は消えてないんですね。きっかけがあると思い出します。
よくニュースでも学生の頃とかのいじめが原因で復讐的なことが起こったりしてるのがときおりやってます。被害者はずっとこころに傷を負ったまま、それを癒すこともないまま復讐にたどり着いてしまう。

私が小学校4年生のころいじめがありました。私は被害者と加害者と両方体験しました。
(加害者)
クラスほとんどが加担して転校生を女子生徒がトイレに呼び便器に顔をいれさせたり、上履きをかくしたり、無視ですね。トイレの時は見張りをやらされていました。
私と友人の二人で下校してるときに友人が重い口を開きました。
「ねえ、いくらなんでもひどくない?」
「こんなの続いたら学校行きたくなくなるよ」
「でもはずれたらうちらがやられる」
2時間外で話して、二人で覚悟を決めて親には言わず、
自分たちがいじめられるのを覚悟のうえで、その子のおうちに行って全部話し謝りました。

「よく話してくれたね」
「こうやって正直に謝りに来てくれたんだから、この勇気を忘れないでね」と言われ大泣きしました。その子はわたしたちをみて笑いながら
「ありがとう」と・・・その子とはその時が最後になりました。
転校していってしまったのです。

その子は、ちょっと変わった子で今考えれば障害を持っていたのかもしれないという感じの子でした。私自身、自分の息子が軽度の知的障害を抱えADHD注意欠如のほうだけ、自閉症のいくつかが該当。という半分半分みたいな感じなのですが、その子と重なる時があるんです。普通学級で普通に友達と一緒に遊んだりしたかったに違いない思い出を作りたかったに違いないと思うと自分に腹正しい気持ちが生まれます。

でも思うんです。その子との思い出が悲しい思い出だけにしたくないと・・
笑って遊んだ、過ごした日もあったから・・・
だからこそ、今元気かなあ。頑張ってるかなあ。幸せかなと考えるようになりました。

きっとわたしより生き生きしていてくれているだろう。

親の心子知らず

母の病気

母は、私が中学2年の時に乳がんになりました。でも私がその時ガンとは知らず腫瘍ができたから取るだけときいていました。しかも入院することを知ったのは偶然・・・

私が通ってた中学は、家の目の前だったので部活をやる部屋から見える位置でした。当時マンドリン部に所属していました。びわを半分にしたような楽器です。
部室からたまたま窓の外を見ると母が外でせかせか慌ただしそうに動いているのが見えました。

「どうしたの~??」
と窓から叫んでしまいました。
「入院することになったのよ~」
と母は大声で叫びました。
「え???」自分聞き間違えたかなと思ってるとき、母が家に入ってしまいました。
「え~~~!!!!!!!」
私は部活どころじゃありません。びわ片手にいるわけにはいきません(マンドリンですが・・・

皆に話をしてすぐ家に帰りました。母は、入院の準備をしていました。
私はすぐ

「どうしたの??」
「入院することになったのよ」
「だから何で??」
「胸にしこりがあって取るのよ。ただそれだけ」
「お父さんも早く帰ってくることになったから」
父が帰ってくるのと同時に病院に向かいました。
私は留守番。母は専業主婦だったので母がいないことなんて一度もなっかたので中学2年とはいえ、不安でしかなかった。
二週間入院して元気に戻ってきました。私は安心して日常に戻りました。それから6年後にまた襲ってくる現実を知らずに自分勝手な生き方をするように成長していきました。


命の大切さを知る

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