「やりたいこと」の裏に潜んでいるもの

今回は、「やりたいこと」という言葉についてです。東京にいると特に多く聞く言葉で、少し違和感を覚えたのでそれについて共有していきたいと思います。

まず、「やりたいこと」という言葉を聞いて思ったのが、そんなものなくないか?ってことです。僕にはやりたいことがないです。あるとすればなんとなく手を出してみる気がなくもないかも、くらいのもの。それでも、「やりたいこと」という言葉に追いかけられていた時よりはだいぶいい気分でいられる時間が長くなっている気がします。

そもそも、「やりたいこと」という言葉は、東京だから蔓延るのだと思います。仮に、生活にどこでも必要な自治体所属の会計士(①)と企業の経営コンサルタント(②)だったらなんとなーく②の方が「やりたいこと」という言葉にふさわしい響きをしてしまうと思います。そこが罠です。つまり、「やりたいこと」という言葉の裏には、「いかなる職種でも存在する東京で働く」という前提が存在し、そこに結論づくように誘導する文言になっているのだと思います。

そして、やりたいこと社会である東京は、権威主義的なやりがい搾取の世界です。立場が上の人の言うことが絶対とされ、立場の下の人は「よく考えろ」と言う言葉で上の人の思考回路を察してコピーするように誘導され、自分の考えを持つことが許されません。また、東京は「やりたいこと」を持って職種を選んだという前提で動いているため、権威主義とも相まって、「やりたいことなんだから少しの理不尽は我慢しろ」という傲慢な屁理屈が通用してしまいます。これがやりがい搾取です。ここからさらに、理不尽に対して声を上げない自分を見失った自己像を「強さ」と呼び、支配的な人が見せるわずかな打算的な偽善を「優しさ」と信じるようになったら、洗脳的な自己啓発文化の完成です。また、自己責任論というのは、自分の感性で動く「至って正常」な人に向かって、「強さ」という幻想に蝕まれた思考力を捨てた人たちが放つ、権威主義的なキャッチフレーズなわけです。この時点で、「やりたいこと」という言葉が持つ「自由」で「開放的」なニュアンスは現実と矛盾するようになっていると思います。

ヨーロッパの古い規範として、ノーブレスオブリージュというものがあると聞いたことがあります。これは、ぱっと見「恵まれてるんだから奉仕しないと」みたいなセリフに聞こえるのですが、実はそれとは異なる意味があるのではないかと思ってきました。それは、「恵まれている側の」救済です。

そもそも人間は弱く脆いです。強い人がいたとしたら、多分それは勘違いです。「自分の痛みに対して鈍感」という意味が裏側にある、「強い」という言葉には注意が必要です。痛みは人間の生物としての危機管理システムなので、無視するのはよくありません。話を戻します。その弱くて脆い人間を結びつけているのは、感情の共有や共感、理解といったものです。その共感のルールで成り立った集団の中で、少し外れた能力を持つことは孤独なことという捉え方もできます。それゆえ、それを集団の中で活かすことで、感謝や実績を通して他者との繋がりを実感するという部分があるのだと思います。

しかし、「やりたいこと」という言葉は自分がしたことが自分に跳ね返ってきているようなニュアンスを持っているように感じます。それは、自分の指針を持って進めば自分で自分を完全に満たすことができるという前提に基づいていて、そこで物足りなさを感じる人は「何かがおかしい」とみなされると思います。実際、東京にいる人の中でこの、「多幸感に満たされていてもいいはずなのになぜか物足りない」という状態に陥っている人は多いように見えます。しかし、人はそもそも他者との結びつきの中で進化してきたので、「何かがおかしい」のは自分で自分を完全に満たすことができるという前提の方だったりします。

また、東京で特に聞くのが、「ここでやってけなければ他のどこでもやってけない」(③)という言葉なのですが、それもカラクリがあります。東京というのは、街が異様に均質でどこに行っても雰囲気が変わらず、遠出して他の文化圏を見に行くのにも時間がかかり、周りにあるのは東京から人口や都市機能を吸われている地域という構造になってたりします。また、東京で目にするメディアはほとんどが東京産です。東京は実は、「いろいろなものがある中心地」に見せかけて「国内最大の陸の孤島」になっています。すなわち③の発言は、極めて狭い世界を世界全体と勘違いして言った発言である可能性が高いということです。

ここで、自治体所属の会計士(①)と企業の経営コンサルタント(②)の話に戻ります。周りの人と協力しながら、①のように特別な仕事ではないにしろ人とのつながりを確かめながらする仕事と、②のように競争が激しく、人間を使い捨てに近い扱いをする仕事だったら、必ずしも②が優れているわけではないことがわかると思います。

「やりたいこと」という言葉は輝かしい響きを持っていますが、その裏にあるのはそんなに輝かしくないものに感じたので書いてみました。どこかでモヤモヤしていたものが少しでも和らげば幸いです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?