初夏の朝、近所の鳥達の『婚活』を気にする。
この時期、うちの近くの小さな森からは鳥たちの可愛いコーラスが始まる。
早朝から鳥のさえずりのモーニングコールでお目覚め…と書くと、文字上では極めてロマンティックだけど、緑の多い山の中ではなんてことない、当たり前の日常である。
夜更かしの翌朝なんか布団でダラダラしてると、規則正しい鳥たちからは「おまえ寝坊だよ、ほら朝だ、起きろ起きろ」と、寮長みたいに目を覚まされてる気にもなる。
ゴールデンウイーク頃から、若いウグイスが鳴き始め、まだうまく「ホーホケキョ」できない子が、「ホ~」で止まったり、「ホケキョ」が「ホキョッ、キョッ」となったりしながらも、頑張って練習してる。
時には、まわりの鳥仲間に連呼して鳴いたりして、それが何だかウグイスへ声援を送ってるように聞こえ(すべて妄想)、そうして、ウグイスは励まされながら、怠けることなく猛特訓を続ける。
数日くらい、早いと数時間後には、間の取り方・トーンの高さ・のびや切れ・つや感や余韻…と、だんだんとベテランっぽい音色へと、ウグイスの成長ぶりが伺える。
なかなかその姿は見えないけれど、威風堂々とウグイスの美しい鳴き声が森の中に響かせるようになると、ついコーヒーなんか飲みたくなり、そうして人は何かと仕事をサボる言い訳にする…鳥の勤勉さを見習わないと。
ボイトレの先生に教わるでもないのに偉いなあと感心しながら、そんなウグイスに、上手になったね!頑張ったね!と窓を開けて誉めてあげたくなるが、本人からしたら「キミに聞かせるためじゃないよ」と言われるだろう。
そのキレイな声は、お嫁さん候補の鳥へのアプローチなのだもんね。
良い人(鳥)が来るといいね(๓´͈ ˘ `͈๓)♡
なのに、うちのアホ旦那はふざげて、そんな健気なウグイズに「おお、『法華経鳥』だ、ありがたや~」とからかうから、なぐりつけたい衝動にかられる。
ウグイズだけではない、別な野鳥もまた、かん高く通る音色で、一生懸命さえずっている。
晴天の日はもちろん、雨上がりで空が晴れてくると、すぐに『業務再開』とでも言うかのように、どこかの誰か(鳥)に向けて絶え間なく鳴きはじめては、暗くなると一斉に静かになる。
そんなに鳴いてばかりで、喉は痛くなならいのだろうかと、要らぬ心配。
私はテレワークが多いので、日中はパソコンに向かいながら、仕事部屋からそんな鳥達のコミュニケーションを聞くことが出来るのだが、数週間ずっと同じ鳥が鳴き続けているのを聞いてると、近くにメスがいないのかな?この声に惹かれるお相手はいないのかな?と、婚活がうまくゆかずに涙ぐましい努力をしてる鳥を想像し、ひとり勝手に心を痛める。
そうして、ある日その鳥らしき鳴き声がしなくなった朝が来ると、お嫁さんに出会えた?!つがいになれた?!ついにやったね♡ε-(´∇`♥)オメデト…と、またひとり勝手に妄想し祝福気分になってるから、我ながらおバカだ。
これが平和であり、これが幸せってことなのである。
そして、鳥達にとってもここが住み良く、平和で幸せであって欲しい。
なにせこのあたりも本来、鳥達の方がずっと前からいる『先住者』なのだ。
鳥といえば、カラスについてのこと。
カラスは高くてよく見渡せる、ヒナの安全も考えてか、電柱を好んで巣を作ることがある。
嫌われ者のカラスも「鳥獣保護法」により守られて、卵やヒナを傷つけると法律違反で罰則を受けるため、巣を撤去するには、巣の中にヒナや卵がないタイミングで行うことになる。
しかし、電力会社に関してだけは撤去の作業時点で許可されており、その巣に卵やかえったばかりのヒナがいたとしても、生きたまま巣と一緒にゴミ袋に入れて、捨ててしまうそうだ。
ツバメやカルガモみたいに、人が温情ある扱いをしないのは、人間の生活を邪魔するばかりの『害鳥』と烙印を押されているからだ。
何により他の鳥と違って、カラスは人間に対抗できるほど優れた頭脳があり、人に対する行動も臆せず大胆不敵、手に負えない不都合な鳥でしかない。
仕方ないことかもしれないが…他に共存できる良策はないのだろうか?
彼らにだって地球に生まれてきて、生き物として生存する権利はあるだろう。
彼らの住む豊かな里山も、人間が住宅を建てたり居場所を奪ったことで減ったのではないのか。
最近よく言われる言葉を使えば、もうずっと昔に『アーバン・バード』になってしまったかもしれず、そんな要因もあるとしたなら、あまり無慈悲なことをすべきではない。
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