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学校に「オモチャ」を持って行く日

「お母さん!明日は保育園に自分のオモチャ持って行っていいんだって!!」

子供が保育園に通っている頃、毎週金曜日だったか、家からオモチャを持って行く「オモチャの日」があった。自分の持ち物を人と共有する、貸すということを目的とした行いだったようだが、あまり好きじゃなかった。わざわざ家からオモチャ持って行かなくても、それは別の事でできるのではないだろうかと思ったが、それでも子供は「あっ!明日はオモチャの日だ!何持っていこう〜♡」と楽しそうに準備していたのでそっとしておいた。

たまに「オモチャの日」を忘れて、オモチャを待って行くのを忘れてがっかりして家に帰ってくる。

自分のオモチャで友達が遊んで壊れてしまって悲しんで帰ってくる。

友達はこんなオモチャ持ってた!と報告してくれる。

同じようなオモチャを持っている子同士が遊んで、自分は仲間に入れなかったという日も。

逆に、同じようなオモチャを持って来て一緒に遊ぼう!というお誘いもあった。

保育園が終わる頃には飽きたのか、「オモチャの日」でもあまりオモチャを持って行かなくなったり、忘れていても「今日はオモチャの日だったけど、忘れてた。」くらいのレベルになっていた。

しかし、小学校にあがり、またまた「オモチャの日」があった。毎週月曜日は「オモチャの日」。保育園は私立だったが、小学校は公立だ。

保育園で最後の方はオモチャを忘れていても気にしなくなっていたが、学校が変わり、新しい友達の中に入ったので、「オモチャの日」はまたまた楽しみな日となった。

学校にオモチャを持って行くのを忘れた日は、家にお昼ご飯を食べに帰って来たときに、「オモチャを持って行くのを忘れていた!」と一番に持って行く準備する。お昼ご飯を食べ終えたら、オモチャを持って再び学校へ。私は見送りながら何とも言えない顔をしいていた。

保育園ならともかく、小学一年生だ。オモチャを持って行って、子供たちは授業に集中できるのだろうかと気になった。子供に聞くと、案の定、「○○が授業中にこっそりオモチャで遊んでいて怒られた。」という話を何度か聞いた。それでも良いらしい。
「オモチャの日」は、一年生が終わるまで続いた。

学校にオモチャを持って行くことは、私の中では「あり得ないランキング」の上位になる出来事だったが、トルコに8年半ほど住んでいると、だんだん大したことではないなと思えるようになっていった。トルコに住んでいると、ここはトルコだから仕方ないなと思うことが多々あり、考え方が柔軟になるというか、ならざるを得ないというか・・・。

だけど、子供が小さいうちに自分のオモチャを壊される、同じオモチャがないと一緒に遊べない、など、子供が悲しむ経験を私だとついつい避けて守ろうとしてしまうので、学校に強制的にさせられて良かったのかもしれない。

何にせよ、頭ガチガチの真面目過ぎる私にとっては、よい経験になっている。





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