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マーケットが嫌いになりそうな日々(モノの価値とは何なのか)

最近、マーケットに買い物に行くのに足が遠のいている。
マーケットまでは徒歩一分。けして遠くない。

コロナが広まってから、トルコではいろいろと規制もあり遠出をしていない。外出といえば、日々の生活のために食料品や日用品を買いにマーケットに行くことと、運動がてら散歩に行くこと。

それなのに、唯一の楽しみの食べることに関して邪魔する出来事がある。インフレだ。数年前から値段が上がってきていたことは感じていた。日常よく買う食料品が徐々に値上がりしていき、今は3〜4倍くらいの値段になっている。もちろん、食料品以外も値上がりしているが、やはり一番身近な食料品でそれを感じる。

そしてここ数ヶ月、特にここ最近、数週間の乳製品や卵の値上り方がひどい。マーケットに行くたびに値段が変わっているのではないだろうか。それも、日本円でいうと、10円、20円ではなくて、100円、200円と値上がりしている感覚。こんなに値段が変わったら、マーケットの人は大変だろうなとぼんやり呑気なことを考えてしまったが、呑気なことを言っていられない状態だ。

政府が、食料品の値上がりに関して調査委員会を作るとかニュースで言っていた。正しい値上がりなら仕方がないが、便乗値上げもしかねない。値上げしすぎのマーケットはチェックが入り、CEZA(罰)とかあるようだが、イタチごっこになるだろう。

同じ物の値段が変わるのは、相当ストレスだ。大げさに言うと、以前はは100円で売っていたのに、今は200円?!買いだめしておけばよかった・・・と思ってしまう。

モノの価値とは何なのか。もちろん、それを生産することに関わってきた人に正当な賃金を払えるためには安すぎてはいけないとは思う。それぞれが労働に見合った賃金をもらうべきだ。安いからどんどん買う、安かったから気軽に廃棄する、そういうサイクルはもういらない。食料品に対しても、モノに対しても、真摯に向き合わなければならないと思う。

食料品の値上がりを目の当たりにして、モノの価値にまで思考が広がっていった。世の中、モノが溢れかえっている。たまに、モノが溢れかえっていて、気持ち悪く感じることもある。アレもコレも便利そう、美味しそう、面白そうというようなモノがたくさん目に入ってくる。でも、それらのモノに対してもすぐに飽きる。そもそも、すぐに飽きるのは、新しいモノがどんどん出されるから。生産者もそれがわかっているから次々と新しいモノを開発して販売していく。新しい事を考えていかないと発展していかないのはわかるのだが、次々と新しいモノを生み出すのではなくて、今あるモノにもう少し価値を持たせることはできないのだろうかと考えてしまう。

コロナで自宅に居ることが多く、断捨離した人もたくさんいると思う。モノがたくさんあれば豊かだというのは時代と共に変わっている。使い捨てではなく、モノと向き合える世の中になればと最近は考える。





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