「胸を張って己が道を征け」 退職の心得
東京へ出張に行ってきました。
目的は会社の「月例の会議出席」と「歓迎会と送別会」の2つに参加するためです。
2名の退職者たち
今回は退職者が2名いました。
いずれも若手の現役バリバリ世代で、会社としてはこういう人材にこそこれから更に頑張ってほしいところなのですが、二人共今後進む道が今の我々の会社の事業と大きく異なることや、長期に渡って組織文化やPurposeへの適応に苦しんでいたのを見ていたので、個人的には残念だけど、仕方ないかな思っています。
退職することを恥ずることなかれ
私も2度転職していますから退職者の気持はよく分かるのですが、退職者はしばしば最後の挨拶するときに
「申し訳ない」
「ごめんなさい」
のような言葉を使って、退職を恥じるような雰囲気にしようとしますが、アレっていつも何か違和感を感じます。
「自分がやってみたいことを新しく見つけた」
「自分が今の会社で働いている違和感を解決する方法を見出した」
ということで退職するのであれば、それは祝着というか、とても素晴らしいことなのにどうして退職者はみな遜って謝るのでしょうか。(ただ、私もしてきた)今ひとつ私はココに日本の就労文化に違和感を感じています。
1つの会社に居続けることが必ずしも美徳ではない時代
結構様々なところで語られているので、偉そうな事をあまり言いたくないのですが、「自分のやりたいこと」「自分の求める待遇」を求めて環境を変えることができる社会になっているので、1つの組織に属し続けることは決して労働市場という観点では、職場の選択という意味ではBESTではない時代と言えます。
当然「とくに仕事を通じて成し遂げたいと思わない」とか「自分のパフォーマンス以上に待遇が良い環境にいる」という人は別にそのままの組織に属することがBESTだと思いますが、そういうのは今回は取り扱わないものとします。
一つのところに属し続けることが組織における美徳や労働観が近代富国強兵という国策や、国家総動員法下の戦中からあまりUpdateされていないのが日本です。これは国家病とも言えると思います。
労働集約型の事業が成功する、とか、組織は必ずTop Downから考える、とか、年功序列が組織のあるべきだ、、、という誤った価値観が横行していて、教育現場もそれを助長させるような教育を施しているためだと思いますが、コレは大いに誤りだと私は考えます。(学級委員とか、登下校の班長とか、そういうリーダーはいずれもTop Down組織をイメージしている)
チョット横道にそれましたが、何れにせよ退職は何かに対するdrop outではないですので恥ずべきことではないのです。
とはいえ、あなたが去ったとて組織は回る
退職者の中には、会社と様々な対立をした結果として退職するという判断をされている方もいると思います。
そういう方の退職の言葉は大抵、、、
「自分は●●という成果をだしてきた」
「自分が居なくなったあとが心配」
というように、
偉大な成果を出した自分が居なくなるんだぜ、といったり、
お前らオレが居なくなるけど会社大丈夫か?というような、
謎の自己顕示をするようなコメントをする人がよく居ますが、
それは大きな思い違いです。
何故ならば、
「あなたはそういう成果を出す役割だった」
というだけだったからです。
なので、その自己顕示は完全に思い違いなのです。
組織は、ただ新しく成果を出す人を充てがうだけなのです。
仮に退職者が100の成果を出す人だとして、新しく配属された人が80しか出せなかったとしても、残り20は別で補填すればよいだけなのです。
という意味では、退職すること自体が残された組織に致命的なダメージを与えるかと言うと、決してそうではないのです。
なので、退職者がすべきことは
とにかく、退職者がすべききことは2点です。
・退職時に残されたメンバーへお礼を言う
・新しい環境で圧倒的な成果を出す
これだけなのです。
特に自己顕示欲を満たしたい方は、もう新しい環境で圧倒的な成果を出すしか無いと思います。
最近は在職時にSNS等で繋がることも多いと思いますので、退職された方の退職後の活動を知ることができます。となると、退職後の動きも前職の人には見られているわけですから、そこで、「あぁ、惜しい人を失ったな」と前職にいえるような圧倒的なパフォーマンスを挙げる、これしかやれることはないのです。
自意識過剰化しやすい社会であることに気づこう
自分がどう見られるか、自分がどう評価されたいのか、という思いを持つのは人間として当然ですが、それを表現するかどうかはその人の人間性というか人格と経験に寄るような気がしています。
特に、自分の待遇が明らかに悪くいまよりも高待遇を主張する場合、
・本当に自分の成果が評価されるべきものだったか
・待遇の悪さを具体的に数字で語れるか
を客観的に、かつ、多面的に評価できた上で主張するか否かで訴えかける相手への印象は大きく変わります。
客観性を欠いた主張は即ち、自意識過剰な主張となってしまうわけです。
人は無意識に「人生経験が多い=年齢が上」ほどその客観評価が出来ているように思ってしまいがちです。
しかし、私は実はそれは逆だと思っていて、SNS社会など客観評価にさらされない青春時代を過ごした40代以上の世代こそこういう客観評価が弱いと思っています。
ということで、、、
今日お伝えしたかったのは、
「退職を恥じることなかれ」
「とはいえ、残された組織は引き続き活動を続ける」
「あなたの成果はあなた個人だけのものではない」
「新しい職場で圧倒的な高パフォーマンスを」
「40代以上は自意識過剰な主張をしてないか振り返ろう」
これでした。
退職者の立居振舞を見て、自戒の念も込めて。