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生まれつつある正義。

お笑いは絶対的な正義では無い。
少なくとも私にとっては
特別それ以外好きな物もないけど
正義であって欲しくない。
時々面倒臭い事もある。
ネタを書くのもそうだし、家族には申し訳ないがお笑いフェスとかに行っても、漫才がつまらなかったらトイレと言ってそこに篭もり音楽を聴いてる始末だ。

何故か皆よりお笑いが好きでは無い?

いや、好きな笑いに偏りがあるのにプライドが無さすぎるからそう思うだけであろう。

お笑いサークルには1人でも出向くし、
基本私はそれを娯楽にしている。 

じゃあお笑いで何故プロを見るのには忍耐力を要するのにアマチュアというか学生は集中して見れるのか。

それは多分勉強やら受験やらに執着しすぎたせいでもある。人物を好きになる癖がある。
特に大学お笑いに関しては。

まず話しておくべきこと、勉強にコンプレックスを持ったきっかけが母親から「あんた馬鹿なんだから中学受験しなくていい」「○○君(親友)は大学付属中学にいったらしいよ、凄いね」「どうせ出来ないんだから、そんな高み目指す必要なじゃない。」とかと散々言われてきて家に帰るのも嫌になるくらい精神的に参っている。

そのくせ「ここの大学は偏差値低いから言っちゃダメ。」「行きたい学部?そんなこと目指したら東京とか遊び行けないじゃない」「何も考えてないくせに」「ここくらい行けるよね?」などと支離滅裂なことを感情を壊すかのように言ってくるのだ。
本当に嫌いなのだが、それは置いといて

何が関係しているか、
推しが頭が良かった。これに尽きるのかもしれない。
と言うより衝撃を受けた漫才師コント師たちが全員たまたま頭が良かった、のかも
さすらいラビー 
ゼンモンキー荻野
【前の記事などでも出てくるI.M】
がそれぞれ
一橋、早稲田、慶應だった。
この人らはお笑いサークルに入っており、結構名を馳せた人物でもあった。
頭良くなると面白くなるし、衝撃を与えるくらい笑えるんだ。と解釈した私は
大学お笑いを研究するために大学入ろう
などと思った。

笑ってくれたら振り向いてくれると思った。
母親がいつか微笑みかけてくれると信じた。
もしくは全力で芸人の道を止めてくれると思った。
しかし現実は酷く悲しいもの
「好きな事すればいいよ」

え…?

散々人に文句やら、罵倒やらしてきておいて、その明確な理由が無いのか?

なんでも良かったんだぞ
医者にしたい、看護師にしたい、教授にしたい、弁護士にしたい
なんでも
何か期待して信じてくれたら全力で叶えようと思ってた。
私を出来る人間だと思っててくれると信じていた。
そこできっと愛などと言うものは壊れてしまった。

好きな事すればいいだなんて、いい人であるため、また考えたくないから言える無責任な言葉である。
それを泣きながら訴えたら「じゃ、一級建築士」とな言われた
多分それで私が満足するだろうと思ってテキトーに出した答えなんだろう。

惨めで仕方がなくて、怒りが込み上げては悲しみに変わる。

もうそんな事しても無意味である。
この世に恋人以外に捧げられる愛など存在しないのだ。
家族なんて結局馴れ合いだろう。

そんな訳で話を戻すが正直成績のことと母親への怨みしか興味が持てずにいるのだ。
私はちょっとお笑いが好きなだけだった
しかし大学お笑いとかには私の興味の共通項があり、趣味もない私にとって明るく持続的な生きがいを見つけるのに最適だった。  

夢を見つけた。
推しと同じサークルに入ってイズムを継ぐのだ。
まあ性別も見た目も違うし厳しいだろうけど
そんな推しがいたのが
「慶應義塾大学お笑い道場O-keis」 
YouTubeを見て知り、その中で推しのネタは漫才、コント合わせて3本程度。
仕方の無いことです。だって学生お笑いは、いつでも辞めれるから。
実際推しも芸人じゃないし。
でもいずれ戻ってくるんじゃないかと期待する自分がいる。
あの人は才能に溢れてるから。
でも、もし今後二度と姿を現さないとしたら?
私がBotみたいに彼の真似をし続けるしかない。
そのためにネタを見聞きする必要がある。
その時知ってるネタが増えるかもしれない、という事態が起きた。
15周年ライブ
令和ロマンとひつじねいりとかがMCしてたような気がする。
多分コロナ近くやったから演者の人数も制限されてたけど、やっぱり推しは居た。 

残念ながら、ネタは配信されなかった
でも、大学お笑いの意味とは?とかいう動画があり、そこなら少しくらい見れるんじゃないか?と思い目を凝らして見てた。
その中で気になった言葉がひとつ
「貴方にとって大学お笑いとは?」
(⬆こんな感じの質問だった)


「正義ですね。」

この言葉。
一瞬かっこいいと思ってしまった、
私にとって推しは正義だった。
しかし
そもそも正義だとか言って推しに執着するのは良くないのでは?とも思った。
消えるかもしれないものを愛し続けるにも勇気がいる。
でも私は悲しむくらいならそんなこと要らない。
「正義」あの人が正義なら私は何になる?
もっと広く持った視野で正義を語るべきではないか。

どうせ居なくなるんだからさ。

あの人の、お笑いを愛していたのは事実。
でもそれに追いつく気も追い越す気もない。

私が物事に向ける情熱などありはしないのだ。

もしあるなら、もがき苦しんだ1,2年前を
成仏出来るかもしれない
しなくていいかもしれないけど。


昔の私に伝えたいのは、
今は生きがいを見つけたのかもしれない。
情熱がある可能性がある。

あの人以外の正義を。
それが長崎大学お笑いサークルCCC
なにが違うのか。
面白さは申し分ないほどある。
あの人以外を除いた全サークルのどこよりも面白い基礎力応用力カリスマ性がある。
しかも恐らく全員に。
でもCCCは面白いだけじゃない。
正義になるべき理由がある。
「人を向上させようと働きかける力」があること。

私の中での正義が増えつつあるのかもしれない。そしていつか本当に私が私に向けて笑える日が来るかもしれない。

とりあえず、今は
大好きな楽しい事がありますよ。



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