見出し画像

【プロジェクト紹介】『アートと考古学国際交流研究会実行委員会』フィールドワーク

全国・世界・地元から、福島県12市町村に、芸術家が集まり、滞在制作をするハマカルアートプロジェクト(経済産業省令和5年度地域経済政策推進事業(芸術家の中期滞在制作支援事業)。
採択プログラムであります、『アートと考古学国際交流研究会実行委員会』によるフィールドワークが、2023年11月25日(土)に、南相馬市小高区にある縄文時代の浦尻貝塚にて開催されました。

南相馬市小高区 浦尻貝塚 貝塚観察館

『アートと考古学国際交流研究会実行委員会』は、「アート」と「考古学」を媒介に、さまざまな分野の芸術家、考古学と文化遺産の専門家、地域住民がそれぞれにコミュニティと風土の記憶を体験し、遺跡のような時間と記憶が堆積した場や、発掘された遺物がもつ「みえないチカラ」を共に再発見し、喪った風土回復へのチカラとすることを目指して、全国で活躍しています。その成果として、太古の昔の遺跡での営みのグラフィックでの再現や、実際に触れて当時に思いを馳せられる体験など、歴史や地域の理解に新しい表現をつくり続けてきているグループです。
とりわけ、特に南相馬市にある「浦尻貝塚」(国指定史跡)で、ハマカルアートプロジェクトの前より取り組みをしてきました。

「貝塚」と「アート」そして、なぜ、福島県12市町村なのでしょうか?

実行委員会のみなさんは、事業採択決定後の10月・11月に、浦尻貝塚を軸として数回のフィールドワークを開催しています。

  • 小高区内の町並みと記憶を探るフィールドワーク

  • 浦尻貝塚と周辺部の環境フィールドワーク
    (縄文人が集落を営んだ場所の地形的起伏、湧水のある段丘めぐり)

  • 祭礼の土器、土偶の祭りと現代の祭りについての考察

  • 小高区の文化を承継する建築の見学
    (大正時代の蔵と左官の技など、まちあるき解説。まちの記憶インタビュー)

フィールドワーク”浦尻貝塚を取り囲む地形の今と震災前と5,000年前”

今回開催されたフィールドワークでは、”浦尻貝塚を取り囲む地形の今と震災前と5,000年前”と題し、『アートと考古学国際交流研究会実行委員会』事業実施責任者であり、滞在芸術家でもある安芸早穂子さんから、ご自身で描いた浦尻貝塚の俯瞰図を示しながらの配置案内があり、ドローン地形の計測から古代の地形復元を研究する、北海道大学大学院地球環境科学研究院の早川裕弌准教授が、ドローンを操縦しながら、上空からの浦尻貝塚周辺映像をモニタ画面で見ながら、縄文時代の人たちが、何故、浦尻のこの場所に集落をつくったのか、当時の海岸線や入江などの地形、水源はどうだったのか、を考察していきます。

安芸早穂子さんからから浦尻貝塚の配置案内
ご案内いただいた北海道大学 早川裕弌 准教授
ドローンで浦尻貝塚遺跡上空からの映像を見学
モニタに映る浦尻貝塚史跡上空からの映像
ドローンからの映像を熱心にみつめる参加のみなさん

赤外線での撮影で、常緑樹など樹木の生茂っている場所、紅葉や落葉して勢いの衰えている箇所も赤外線カメラで一目することができます。
赤い箇所が常緑樹などで、青い部分が道路、宅地や農地、川や池などです。

ドローンの赤外線カメラで浦尻貝塚周辺を確認
モニタ画像を説明する早川裕弌 北大大学院准教授

ドローン映像から浦尻貝塚史跡周辺の地形などを見学した後は、貝塚観察館へ移動し、「環境と時間を視覚化する」早川さんが作製した3Dプリントによる地形モデル展示を観ながらの解説を受けます。

浦尻貝塚史跡「貝塚観察館」
早川准教授の3Dプリントによる地形モデル展示
3Dプリントによる地形モデル展示を見学する参加のみなさん
縄文人が暮らした浦尻貝塚周辺の地形を考察
縄文時代、震災時、現在の浦尻貝塚の地形モデルの3Dプリント

今回のフィールドワークの最後は、『アートと考古学国際交流研究会実行委員会』事業実施責任者の安芸早穂子さんの案内で、浦尻貝塚史跡内をめぐりあるき、”浦尻貝塚を取り囲む地形の今と震災前と5,000年前”と、整備が進む「浦尻貝塚史跡公園」のこれからを考えます。

浦尻貝塚史跡内めぐりあるき
貝層や竪穴住居跡などがあった場所では立ち止まって案内
5,000年前のくらしをのぞく「縄文スコープ」
浦尻貝塚史跡内めぐりあるき

この、めぐりあるきのとき、おもしろい話しを教えてもらいました。
モグラが穴を掘る際に、小石などがあると、どかして掘り進める習性があるそうで、ここ浦尻貝塚史跡の土が盛り上がっている箇所では、モグラが穴を掘るのに邪魔となる”土器のかけら”が頻繁に見つかるとのことでした。

モグラの穴をみつけて土器探し

国指定史跡 浦尻貝塚 貝塚観察館

小高い丘の上にある浦尻貝塚。最終氷期以降の海面上昇で、当時の日本周辺は現在の海岸線よりもずっと内陸まで海が入っていました。『縄文海進』と呼ばれ、縄文時代早期~前期に起きた海進とされ、その後ゆっくりと陸域が隆起することで現在の海岸線が形作られていきます。

南相馬市教育委員会文化財課「浦尻貝塚通信 Vol.2」縄文時代の海

浦尻貝塚は、縄文時代前期から晩期にかけての貝塚、集落で、竪穴住居、柱穴郡、土坑墓が密集し、竪穴住居が分布する中央部は直径約60mにわたって掘削され、平らな場所ををつくりだしていたことが調査で判明しています。4ヶ所確認されている貝層は、東西に15~20m、南北30~40m、貝層の深さは1.8mと規模の大きいもので、貝層からは、アサリが最も多く、スズキ、ウナギ、ハゼ、イワシなどの魚類、シカ、イノシシ、カモなどの動物、鳥類が確認されています。
縄文時代晩期には、ヤマトシジミ、フナなどが増えていること、汽水から淡水域の利用が拡がっていること、大型のサメの種類やマダイなどが増え、骨格製漁労具が多く出土していることで外洋域の利用も顕著となることから、当時漁業が活発に行われていたことがうかがえます。
このように浦尻貝塚は、縄文時代前期後半から晩期前半にかけて長期間にわたって形成された集落・貝塚であり、各年代別の貝塚が存在する遺構群の分布状況から、縄文時代に暮らした人々の食物の取り方や海の移り変わりなどを知ることができる、同地の周辺集落群での中核的な集落と位置付けられています。
さらに貝塚と集落がともに確認できるため、これらの変遷や形成過程にも関連性を認めることができ、各階層から出土している動物の死骸からも、縄文時代当時の生業と環境の関係を調査する参考になるであろうとされています。
このような縄文時代の営みを深く遺している価値が特に認められ、国指定史跡となっている浦尻貝塚は、現在、「浦尻貝塚縄文の丘」として整備が行われておりますが、5,000年前の貝塚を発掘調査したそのままの状況を見学できる「貝塚観察館」が先行して開館しており、展示を見ることができるようになっています。

(画像上)貝塚観察館 / (画像下)浦尻貝塚台ノ前貝層

『アートと考古学国際交流研究会実行委員会』今後のワークショップ予定

『アートと考古学国際交流研究会実行委員会』では、今年度事業として、1月・2月に交流ワークショップ「記憶のゆくえ-アーティストの制作現場公開」開催を予定しています。

  • 滞在アーティストが現地でのフィールドワークから得たインスピレーションについて解説。

  • 復元イメージの描かれ方を知るために、復元のプロセスを遺物や地形から解説。

  • 浦尻にあった縄文集落がどのように営まれていたのか、出土遺物の用いられ方、浦尻の環境を資源として、縄文の人々がどのように利用していたのか、体験しながら考える。

浦尻貝塚 貝塚観察館
住所:南相馬市小高区浦尻字台ノ前地内
開館時間:9:00~17:00/年中無休(年末年始を除く)