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今日も誰かの誕生日

 今の仕事をするより前、パティシエをしていた。女性なので、正しくは「パティシエール」となるが、パティシエと言った方が通じやすいような気がするので、私はいつもそう申告する。

 昨日、私の今の仕事について書いたことと、最後の出社日に近くのパティスリー(ケーキ屋さん)に立ち寄ったことで、「そうだ、ケーキ屋で働いていた時のことを書いてみよう」と思い立ったのは、そのお店にたくさんの誕生日ケーキ写真が飾られていたからだ。


 私が勤めていたのは片田舎の、地元ではそこそこ有名なケーキ屋で、職人として修行をすることになったのは大学をやめてすぐの頃のこと。
 どこでもいいから就職したくて、ほかに面接を受けたのは書店とドラッグストアの正社員だった。そして、パティスリーだけが採用通知をくれた。それだけのきっかけだった。
 ケーキやパンを作るのはたしかに好きだったけど、だからといってすごく高い志をもってその世界に入ったわけではなかった。けれど、嫌いではないことだから、とにかく頑張れるだろうと思えたし、頑張るしかないと思った。


 その店では「新入社員」ではなく「一年生」と呼ばれていた。文字通り、見習いの、学生のような身分。先輩たちよりも一時間早く出勤して仕事の準備をし、終業後は残って練習をする。

 最初に練習をしたのは「パイピング」そして次が「ナペ」という技術だった。

 パイピングは、あの、チョコレートなどで文字を書いたり、メッセージに縁どりの模様を描いたりするものだ。
 隙あらば「先輩、見てください」といって評価してもらい、合格がもらえれば、「おたんじょうびおめでとう」などのメッセージ書きを任せてもらえるようになる。

 そして「ナペ」はクリームを生地にきれいに塗る技術のこと。とくにデコレーションケーキのあの丸いスポンジに生クリームを塗ったり絞ったりして飾り付け、仕上げる練習をひたすらこつこつと続けた。

 この二つの技術をマスターすれば、飛び込みでデコレーションケーキの注文が入った時にメッセージまで入れてひとりで仕上げることができるようになる。
 特殊なケーキは前もって注文されることが多いが、生クリームとイチゴやフルーツの誕生日ケーキはその場で頼まれて15分ほどで仕上げて出すことになっていて、閉店間際にそういうお客様がいらっしゃることも珍しくない。
 だから、これらが出来るようになってはじめて、厨房の「遅番」を一人で任せてもらうことができるようになるというわけだ。

 練習用のショートニングをほぐして、回転台とパレットナイフを使って手順を守りながら繰り返し繰り返し練習する。ショートニングは生クリームとは違い、熱でやわらかくなりやすいけれど、その代わり、分離してボソボソしてくることもない。
 生クリームはデリケートな素材で、室温やいじりすぎなどですぐ見た目も食感も損なわれてしまう。だから、手早く仕上げることはお客様を待たせないだけでなく、美味しく綺麗に仕上げるためにも大切なことだった。

 人間は中身が大事でも、ケーキは、とくにお祝いのケーキは、見た目がすっごく大事だ。
 わざわざケーキ屋さんに来るお客様が求めているのは、「見た目がイマイチでも愛情こもった」おうちの手作りケーキではない、美しいケーキなのだ。


 「一年生」になってかはしばらくして、アントルメ(生デコ以外のものも含めた、大きめのケーキ)の仕上げ、それからプティガトー(カットケーキ)の仕上げ全般、そしてその日の注文の誕生日ケーキを任せてもらえるようになった。
 毎日毎日、大小さまざまな大きさの生クリームデコレーションを仕上げた。小さな店とはいえ、地元では「ここぞというときは〇屋さん」といわれるほどに愛されていたお店だったこともあり、多い時には10台以上ものケーキに「〇〇ちゃん おたんじょうびおめでとう」を書いた。
 そして、書くたびに嬉しく思った。
「これほど毎日、誰かの誕生日を祝う仕事があるだろうか?」
 そのために、日々すこしでも上達するよう技術を磨く、という幸せ。
 正直、パイピングはほかの誰がやるよりも綺麗に書ける自信があった。

 うちのお店ではかならず、仕上げをした本人が厨房から出てきて、取りに来たお客様に直接「品物とメッセージの確認」をしてもらう習慣がある。
 販売員ではなく、コックコートにコック帽を身につけた、ひと目で「この人が作ったんだな」とわかる相手が出てきて、目の前でケーキを披露する。
 するとほとんどのお客様は、
「わぁ」
「きれい」
「すごい」
と喜んでくれる。
 その、一瞬でぱあっと明るくなる顔を見るのが好きだった。
 誕生日のお子さん本人に、親御さんが
「このお姉さんがつくってくれたのよ」
と、嬉しそうにつたえてくれることもあった。

 その笑顔のために働いていたのは間違いない。指定の金額で、最大限に驚いて貰えるような豪華なフルーツ盛りや、ナパージュ(ツヤ出し)の絶妙な載せ方、小さなブルーベリーや木の実を盛る時のセンス、ハーブの散らし方……毎回写真に撮って残すくらい愛着をもって仕上げたものを、相手にも喜んでもらえることが、シンプルに幸せだと思えた。


 その後パティシエールをやめた理由はいろいろあるが、まあ話せば長いのである部分は省くとしても、そのひとつは、私はどこまでも「職人」であることにしか興味が持てなかったから、かもしれなかった。

 ケーキ屋に入って働く若い子の夢といえば皆一律に「自分の店を持つこと」であり、自分の思うケーキを作って売ること、に意義を見出す子が多い中、私は「一人一種類、オリジナルケーキの案を出して」と言われてはじめて途方に暮れた。

 私には「作りたいケーキ」がなかった。なんとか作ったケーキの値付けにも興味がわかなかったし、つまりは経営にも、お店を出すことにも興味がなかった。

 私はただただ、受け継いだ技術を淡々と磨いていることにしか興味がなかったのだ。
 新しいケーキを作れといわれて、その欲求も、なにか調べようという気も、まったく湧かなかった時、「あ、私、この仕事向いてないんだな」と悟った。
 伝統菓子や伝統工芸に進めばよかったのかもしれない。


 いまなら、そういう自分の特性を知った上でパティシエールとして生き残る道をもっと見いだせた気もする。人と組んで、得意と苦手を分業すればいい。設計図があれば訓練してどんなことでも身につけることは出来たと思う。
 今はどの業界も、チームの時代だ。
 パティスリーにいたころ、「一周する」といって、やはり一通りのことができて一人前だということは言われた。できた上で、自分のスペシャルを選べと。それも一理ある。
 時代に文句を言いたいわけでもないし悲しい思いでその仕事を去ったということでもない。

 社会に出てまで「一年生!」と呼ばれて可愛がられたり理不尽に怒られたりする毎日は、ものすごく青春だった。
 その頃できた火傷の跡はもうずいぶんうすくなったけど、当時仲間と一緒に「勲章だよね」って言い合ってた。今もその気持ちは変わらないのだ。


 ケーキは、特別な人との特別な日に花を添える特別なものだ。なくても困らないし生きていけるけど、心に喜びと豊かさと、そして思い出を残してくれる、幸せの象徴だ。

 毎日毎日、だれかの誕生日を祝う仕事はまちがいなく誇らしかった。

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