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つかれていると、ことばがでますか、でませんか

 noterさんの多くは「ことばに支えられ、ことばに生かされている」タイプの人だと思うので、たえず頭の中に何らかの言葉が渦巻いて、それがふとテーマをもって浮き上がってきたときにそれを拾い上げる、というのが日常の一部になっている人も多いのではないかと思っている。

 「つかれる」にも種類がある気がしていて、うまく言語化できなかったり慣れないことを考え続けなければならなかったりしての「つかれる」と、自分の中のことばぐるぐる、がオーバーロードして器のほうが受け止めきれなくなってしまうほうの「つかれる」と。
 私は後者が圧倒的に多い。だから常にことばを吐き出していないとすぐに澱んでしまう。
 得体の知れないものをことばに落としておきたい、というのもあるかもしれない。
 こういう「つかれ」のときは、その度合いが大きいほどことばがどんどん溢れてくる。書くことが苦になるどころか、ガス抜きのように内圧が下がって楽になる。自然に押し出されることばが心のままに並ぶ。

 ところが、今日は珍しく、そういう感じじゃない。

 頭の中にことばが漂っていないとか、なにも拾えないということは珍しい。
 あまり「常にぐるぐる」していない人の感覚ってこんななんだろうか、などと考えている。

 こういう時に文章を書くと、なんだかとても説明的になるんだなあと妙に感心している。感情表現に寄らないというか、エモいってなにそれ美味しいの? な感じというか。
 といって、これといったトピックがあるわけでもないので、アウトラインもなんだかふんわりだ。
「ふーんなるほどねえ」
 誰にともなく、独りごちている。

 うまく息を吸えない時は、うまく息を吐けていないときなのだという。
 ヨガでも歌の練習でも、呼吸法は「限界まで吐く」ということからはじめる。
 きっとことばも、うまく入ってこないときは吐き出し切ることが大事で、つかれがモヤモヤと漂って心をサビつかせているならそれに目を向けて解消することが必要なのだろう。
 その方法は状態によって「出す」「止める」「入れる」のどれが適しているのか変わってくるのかな、と思う。

 今日は珍しく、頭が静かでインもアウトも機能しない感じがする。
 ……瞑想でもするか。

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