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 弟は血をわけた人間の中でもっとも信頼のおけるやつだ。

 信頼、というと違うのかもしれない。もっと言語化しがたい、自分と近しい存在としての信。性格も性質もちがうのに、なぜだか一番似ている気がする。魂の質感みたいなものが似ている。理屈抜きにそんな感じがする。

 兄弟姉妹とよばれる関係性が、必ずしもそのような通じ方をしているわけではないだろうし、どちらかというと、(まわりを見るに)めずらしいくらいなのかもしれない。
 そういう意味では、本当に、神様が与えてくれたといっていいほどに稀有なつながりだと思う。

 もっとも、こういう感覚を持つようになったのは、父の葬儀のあとになってからだ。それまでは、ほとんど連絡をとることもなくずっと疎遠だった。
 疎遠だったにもかかわらず、父の死に際して同じ感覚を共有し、どのような場面でも、求めることがお金でも期待通りの反応でもなく、ただ、そう、シンプルに相手を信用することだった。私の家族のなかでは、そういうことがとても難しかったから、余計に「互いに疚しくない」ということがありがたかった。

 離れてそれなりの月日が経っても、お互いに性根みたいなものが子どもの頃とちっとも変わっていないことがすぐわかった。
 昔から、互いの考えていることがいつもなんとなくわかった。男女の違いもあるからなんでも話せるというわけにはいかなかったけれど。

 その原体験にはやはり、子どもの頃弟と世界観を同にして遊んできたことがあるのかもしれない。ファンタジーやゲームのキャラクターなど、どちらかというと男の子が好むものを私の方が好んだから、家の中で「なんちゃって殺陣」特訓をしたり、野山を駆け回ったり、大人数で遊ぶ時には、どちらかというとぼっち(であることをとくに気に留めもしない)な私が弟の友達に混じって遊具で遊んだ。

 子どもの遊びには必ず「空想」がある。「役」があったり、「見立て」があったり。
 そういう、「目に見えないもの」をたくさん共有したことが、今もお互いの「核」のように残っているのかもしれない。
 同じ空と土と水を共有した者どうしの、代えがたいつながり。


 弟との一番古い記憶は、私が2歳になったばかりの時のこと。とつぜんうちにやってきた、小さな、かわいい生きもの。
 めずらしくて愛おしくてワクワクして、毎日、誰よりも早く起きてベビーベッドにそっと近づき、両親を起こさないように「ゆーやくん、あーそぼ」と無声音で声をかける。窓から朝日がさして、白いカーテンに反射する。白いおくるみ、くるくる回るおもちゃ、ガーゼでできたケット、そんな部屋の風景。

 どちらかというと男勝りな姉に、甘えんぼうで泣き虫で、でもおおらかでのんびりして、愛されキャラの弟。
 荒波のときも凪のときも手をつないで、ゆっくり、いっしょに、成長した。


「娘、ねえちゃんにすっごく似てきたよ」
 弟は父が亡くなった翌年に結婚し、さらにその翌年には娘が生まれていた。
「いま一歳半くらいやったよな?」
「そう」
「また写真送ってよ」
「うん、送るわ」
 弟にとって初めての子ども、私にとっては姪ということになる。伯母としては「似ている」の特権を両親である弟夫婦を差し置いて得てしまうのが、なんとなく申し訳ない。
 とはいえ、言われれば満更でもない気持ちがするのも事実だった。姪と私は誕生日も5日しか違わないこともあって、つい自分の幼い頃と重ねて想像してしまう。
「姪ちゃんは、何が得意やろね」
「んー、何やろなあ。でも、頭はいいみたいな気がするよ。言葉を覚えるの、早いっていうか」
「そうか。……なんでも、得意なこと見つけたら、思い切りやらせたったらええで」
「うん、ありがとな」
 どうしてそんなことを言ったのか、自分でもよくわからない。

 この多様性の時代に生まれて、彼女がどんな特性を持っていても、才能も不適合もそれなりに経験しながら、存分に謳歌できるといいなと願う。

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