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書いていたら苦しくて書けなくなった。

そんな日もあるな。

ときどき心が燃えすぎて、愛さえ重すぎて、悲しくなって書けない。

悲しくない解決方法がこの世にある保証もなし、大団円はひとの希望的観測に過ぎない、そういうめでたくない頭が常に頚椎を圧迫している類の人間としては、いろいろと、直視するのが重すぎる。

あー、クリスチャンのくせに救いを信じてないのな、とか、だからこそ祈るしか最後はないわけじゃん、とか、いろいろぐるぐるするけどな。

光をみようとするその一点以外に救いなどないからな。だからそっちを向いていようよきっとそういうふうに出来てるから、科学と秩序がそれを証明してきたから、ってな。

いやいや、違う、あたりまえに信じてるんだよ実は、みんな、あたりまえじゃないことを。
それでいいはずなんだよ。太陽が自分の上に明日も昇るということを信じているから、その掌の上で眠ったり拗ねたりするんだよ。
明日その掌から滑り落ちているかもしれないことに目を向けてしまうと、もう眠れないわけ。

ときどきそういう溝に落ちる。
だから無駄に心を燃やして重い愛をぶん投げてしまう、これを病理とするのか、本来、事実と照らした時の残酷さなのか、未だ判然としないのですよ。

きっと一生厨二病です。

【追記】
そのとき頓挫していたのがこの記事です。


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