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短編小説『有神論的夢想人形』

「たった一回だけでいい。夢をみさせてくれ」

大きな屋敷に住む男は、訪ねてくる者皆にそう言う。

彼は夢を見たことが無い。現実主義だとか、理想が無いだとかそういう事じゃない。眠るときに見るあの夢を見たことが無いらしいのだ。

私は屋敷の男を知っているが、彼が私を知らないのは当然だ。ただ一方的に、そんな夢の話を聞いて知っているだけなのだ。この町の者なら当然、彼の存在を知っているだろう。だがそれは人気者だからではない。ただ、それだけの大金を持っているからというだけだ。

今の彼は夢を見るためだけに生きている。それしか興味がないと聞いたことがある。

私はその男を一度だけ見たことがあるが、その時の印象では何の変哲もない普通の男だった。金持ち特有の傲慢さなど微塵も無く、とても謙虚な姿勢だったように記憶している。

しかし彼は今や夢を見るためだけに生きている。彼の持っている全ての財産を投げ売って、それでも足りない分を借金してまでも、どうしても夢が見たいらしい。


町外れでバーを営んでいる私は、職業柄さまざまな話を耳にする。

ある者の話では、屋敷に白衣を着た男が何人も出入りしているらしい。男たちの目的は、眠っている彼に薬を打って無理やり夢を見させることにあるそうだ。しかし失敗続きだという。

ある者の話では、大きな機械が屋敷に運ばれ、つなぎを着た男たちが出入りしているらしい。その機械の中に彼が入って眠りにつくと、巨大な歯車が回り出すのだという。そしてそれが止まるまで、彼は目を覚まさないそうだ。だがそれも失敗に終わったようだ。

ある者の話では、夜になると屋敷の中から叫び声のようなものが聞こえる事があると言う。何を叫んでいるのかまでは分からないが、確かに何かを叫ぼうとしているような声だったという。

ある者の話では、屋敷には恐ろしい形相をした石像があるという。それを見ているとまるで吸い込まれそうになるとかならないとか。だが、結局誰も見たものはいないという。

ある者の話では、夜中に屋敷の中を走り回る足音が聞こえるらしい。まるで鬼気迫るような音を立てているのだと言うことだ。男は眠ったままだというので、もちろん彼自身の音ではないことは明白であるのだが、それにしても不気味であると言って、皆怖がっているようだ。しかしその正体も結局わからないままだった。

ある者の話では………私はもううんざりしていた。町中が様々なうわさでもちきりだ。この話も全て又聞きの話であって、信憑性のあるものなんて一つも無いのだ。いや、一つだけあったかもしれない。

なぜならば私が直接、屋敷の男と縁のある人間から聞いた話だからだ。


ある夜のこと、カウンター席に座って酒を飲む背の高い細身の女が話しかけてきた。彼女は一人で酒を楽しんでいたが、彼女もまた噂話を聞いていたようで、退屈凌ぎのために私を相手にすることにしたらしい。

彼女の話はこうだった。屋敷に住んでいる男の様子が最近おかしいのだという。昼間はずっと寝ていて、起きているときはいつもブツブツ独り言を呟いている。話しかけても上の空で返事すらしないときもあるらしい。食事にも手をつけず、日に日に痩せていく一方なのだそうだ。

「誰から聞いた話なんですか」

そう私が尋ねると、彼女は周りを見渡してから、声を潜めて言った。

「屋敷に出入りしている医者よ。彼を直接みているんだから間違い無いと思うけどね」

その顔からは表情を読み取ることは出来なかった。

「いったいどうやってその医者から聞いたんですか」

そう聞くと彼女は少し誇らしそうに答えた

「私は医者の妻なのさ」

なるほど、そういう事か。


ある夜のこと、私はいつもの通りグラスを拭いていた。目の前には背の低い男が座っていた。彼はいつもここで酒を飲むことを日課にしているようで、顔なじみになっていた。

彼はしばらく黙っていた。どう切り出せばいいものかと考えているようだったが、やがて決心がついたらしくこう言った。

「実は最近困ったことがありましてね」

彼はあまり酒に強くないようだったが、それでも飲まずにはやってられないといった様子だった。

「どんなことですか」

「えぇっとですね、屋敷に一人の男がいるんですが、彼がここ一ヶ月ばかり何も食べていないんですよ。それどころか水さえも口にしていないんです。いくら呼びかけてみても全く反応が無いものですから、……あぁ、あれを見せるべきではなかったな……」

彼は口ごもりながら言葉を詰まらせた。

「大丈夫ですか、顔色がだいぶ」

「いや、気になさらないでください。それより話の続きですが…実は屋敷の男、もう夢を見たっていうんです。しかもそれがとても恐ろしい夢だったらしく…だからきっとショックでおかしくなってしまったんですよ。医者としては見過ごせない事態なのですが、正直言って僕にはもう手に負えない」

彼はそう言うと、私に助けを求めるような目を向けた。だが私だってそんなに頼りになる男じゃない。

「悪いが、私に出来ることはなにも。ただ、何か話したいことがあればいつでも聞いてやれるくらいのことしか」

そう言うと彼は力なく笑った。そしてポケットに手を入れて何かを取り出し、私に見せた。それは一枚の写真で、そこには屋敷に住む男の姿があった。

男は椅子に腰掛けていた。しかし、それはただの人形のよう。写真の男の目は虚ろで、まるで生気が感じられなかった。

「これ、僕が撮ったものなんです。隠し撮りみたいなもので申し訳ないのですけれど、だってほら、こんなに奇麗に撮れているでしょう?」

彼の言葉通り確かに良く写っていたが、それでもやはりそれは人形にしか見えなかった。私が質問するまでもなく彼は答えた。

「医者なんです、僕は。夢を見せたのも」

それから私は、すべてを出し切るかのように話す彼の言葉をただ聞いていた。

彼は屋敷の男のことを詳しく話してくれた。しかし肝心の夢の話はなかなかしようとしなかった。言いづらいのだろうか。しばらくしてようやく話し始めたが、その内容は驚くべきものだった。

「僕は彼に薬を打ち、無理やり夢を見せたんです。ただ、薬だけじゃだめなんです」

医者によるとその方法というのはこうだった。まず、男の頭に電極のような物をつけ、そこから出ているコードを屋敷内の別の機器に接続して強制的に電気信号を送り、脳を刺激する。するとどうなるかというと、意識ははっきりしているが体は自由に動かせないという状態になるらしい。つまり自分の意志に反して勝手に動くことになるのだ。その状態のまま薬で眠らせるのだと。

「そこからどうやって夢を見せるんですか」と尋ねると、自信満々に答えてくれた。

「彼の頭の中に直接映像を流すんです。テレビみたいにね。そこで僕は色々なことをするわけだけど、例えば空を飛ぶこともできるし、未来にも行けるし、何でもできるんです」

医者は続けた。

「ただ、彼は僕が見せた夢とは違うものを見たって…。僕が、いったいどんな夢を見たんですかと聞くと、『悪夢だ』とだけ」

顔色は相変わらず悪かったが、酒のせいではないようだ。


医者はそれから二度と姿を現さなかった。

一体どんな悪夢を見たというんだろう? 想像もできない。


それからいくらか経ったある日のこと私は夢を見た。夢の内容はこうだ。

仕事帰りに大きな屋敷の前を通りかかった。その時丁度門が開いていて、
中に入ることが出来た。庭は荒れ果て、壁は崩れかけ、草が伸び放題になっている。誰も手入れをしていないのだろう。

私は何気なく歩いていただけだったのだが、いつの間にか一番奥の部屋の前に立っていた。部屋の中から話し声のようなものが聞こえてきたので耳を傾けると、屋敷の中を誰かが歩き回っているような音が聞こえる。私は何故か、扉を開けなければならないような気がして、恐る恐るドアノブに手を掛けた。鍵はかかっていなかった。ゆっくりと開く。

部屋の中は薄暗く、窓から月明かりが差し込んでいた。そこに見えたのは……。

それを見た瞬間、腹の底から一気に喉もとへ突き上がるような恐怖を感じた。私はそのまま走って逃げ出した。後ろを振り向く勇気などない。走り続けながらもあの光景が頭から離れなかった。あれは何なのか。どうして私が見なければならなかったのか。「あれはもう人間じゃ無い」私はそう呟き、そして目を覚ました。


薄暗い店内には今日も客たちが集まっている。彼らは思い思いの席に腰掛け、酒を飲んでいる。グラスを傾け、氷がからりと音を立てる。

バーの主人である私は、町の噂話なら大抵知っている。もちろん、この店にやって来る客たちの話もよく聞く。今日の夜も、カウンターでグラスを拭く私の耳に客の会話が入ってきた。どうやら二人は恋人同士らしく、仲睦まじげに話をしている。

「最近怖い夢を見るの」
「へぇ、どんな」
「屋敷の中で何かに追われてるんだけど、どこにも逃げ場が無くて、結局捕まっちゃうの」
「そっかぁ、そりゃ怖そうだねぇ」
「うん……それで───」


「知ってるかい、例の屋敷の話」
「あの金持ちの男のだろ」

二人の男が話していた。私の耳はこちらの話に釘付けになった。

「最近、あそこに住んでた男が死んじまったんだよ」

「あぁ、聞いた聞いた。でもおかしいんだよな」

「おかしいって何がだい」

男の一人が急に黙り込んだ。

「いや、噂なんだけどな、その男の死体、腐らなかったっていう話だよ」

「本当か」

「それを聞いたときは俺も信じてなかったけどさ、実際にそれを見たやつがいるらしいんだよ。そいつは朝、屋敷の前を通りがかったときに窓から変な物が見えるって言うもんだから、気になって中に入ってみたんだと」

語る男はグラスに残った酒を一気に飲み干した。

「それで?」

「部屋のすべてに鍵がかかっててよく分からなかったらしいんだが、その日を境にして毎晩夢を見るようになったそうだ。その夢にあの屋敷の男が出て来るんだとよ。そしてこう言うんだ、『私を眠らせるな』ってな」

「えぇ、」

「で、その話の続きがあるんだ。そいつは、その後どうしたと思う?」

「さぁ?」

男はゆっくりと息を吸ってから話し始めた。どうやら嫌な予感しかしないらしい。それを聞いてたもう一人の男は、姿勢を正して聞き入った。

「そいつは、警察に話して、一緒に屋敷に入ったんだとよ。で、中に入ってみてびっくりだ。さっき話した男の死体があったんだとさ。しかも死体は、腐ってなくてよ」

「いや、もういい、分かったよ」

「そうか? それでな、そのあとのことなんだけど、警察もお手上げだったらしくてな、誰もその事件のこと詳しく調べようとしなかったらしい。結局、その男が自殺だろうってことになったらしいんだが」

「…それで?」

「まぁ、そのあとのことは俺たちには関係無いからどうでもいいんだけどな。ただ、一つだけ言わせてくれ」

男はそこで言葉を切り、そして言った。

「……その死体は、誰が見たって人間のものじゃなかったんだとよ」

「どんな死体だったんだ」

「体の中が空っぽで、だが外傷は全く無くて、それで、」

「まて、空っぽってどういうことだ?」

「いや、俺もよくわかんねぇんだけどよ、内臓だけが抜き取られてたんだとさ」

「どうやってそんなことを、そもそも何で内臓だけが無くなったんだ」

「知らねぇよ、こっちが聞きたいくらいだ。まあ切った医者の話だとよ、まるで『中身のない作り物』かのようだったって言うぜ」

しばらく沈黙が流れた後、再び話し始めた。

「……それでその死体はどうなったんだ」ともう一人の男が聞く。

すると男は答えた。

「さぁな、そのあとどうなったのかは知らねぇよ」

「そうか」

「それで話は終わりなんだが……」と男は話を締めくくった。


私はグラスを拭く作業をしながら先ほどの会話について考えていた。屋敷の男が死んだという話は初めて知った。死体が腐敗しないなんてことがあるのだろうか。それに臓器が抜き取られているなんてことがあったとするなら、一体誰が何をしたのだろうか。

あの夢は何を意味しているのか。 いや、ただの悪い夢だったのかもしれない。でも、何故だろうか、背筋に悪寒が走るのを感じていた。

本当にこれはただの噂話なのか。 そして、頭の中でこう考える。ひょっとしたらあの夢は本当の出来事だったのではないか、と。

それから、どうしても屋敷に住む男の姿が頭に浮かんで離れない。ただの噂だ、気にするな。そう自分に言い聞かせるも、心の中の疑惑を拭い去ることはできなかった。もしかしたら、なんて事を考えてしまう。


「マスター、何か気分を変える酒をくれないか」

男たちの声を聞いて我に返った。今はそんなことよりも目の前の仕事を済ませなければ。私はグラスに酒を注ぎながら、今夜もまたいつものように夜を過ごすことになるだろうと、そんなことを考えていた。

今日は少し風が強いせいだろうか、窓がカタカタと音を立てている。私はいつも通り、ガラス越しに見える夜の景色に視線を移した。窓ガラスには自分の姿が映っている。



店内には数人の客がいる。カウンターに置かれた小さなキャンドルの灯りが、薄暗い店内をほのかに照らしていた。ふと、客の一人と目が合った。女は、まっすぐ私を見ている。いや、見ているのは私の後ろにある酒棚だろうか。何か用事でもあるのだろうかと思い聞いてみると、「いえ、ただお酒に酔いしれていただけです」と答えた。私はグラスを手に取りながら言った。「もしよかったらもう一杯いかがです」と。すると彼女は「お願いします」と言って小さく笑った。

酒棚からいくつかボトルを取り出してグラスに注いでいく。その間も、彼女は私の方を見ていた。なんだか嫌な視線だ、そう感じた瞬間、彼女は私に向かって言った。

「まるで生きてるみたい」

ぞっとして振り返ればそこには何もいない。ただ窓の向こうで揺れる木々と夜空があるだけ。私は一体、何に怯えているのだろうか。

再び彼女のほうを向くと、変わらずこちらを見ている。しかしその目は虚ろで焦点の合っていない、どこか遠くを見ているような目をしていた。まるで生気を感じさせない、人形のような目。その不気味さに一瞬怯むも、静かにグラスを置いた。すると彼女はグラスを手にとり、一口飲んだ。そして「これできっと眠れます」と、どこかぎこちない口調で言って立ち上がった。

私はもう一度、何気なしに外を見る。空はいつの間にか曇っていた。星も見えない、灰色の雲が空を覆っている。風が吹き、葉が揺れ、木々のざわめく音が聞こえる。

「おやすみなさい」と彼女が言ったとき、ちょうど風が強まり、窓がガタガタと音を立てて揺れた。

私は黙って外を眺めていた。店の中にはもう、客の姿はない。彼女は何を思っていたのだろうか。そして、自分は何に怯えていたのか。考えても答えは出ず、静かな店内にはただ雨が降り出す音が微かに聞こえるだけだった。

「今夜は店を閉めよう。明日は晴れるだろうか」

私はキャンドルの灯を消しながらそう思ったのだった。



数日後、新聞の片隅に小さく記事が載った。男の屋敷で起こった奇妙な事件、そして女の死が報じられていた。名前と写真を見て、その人物が誰なのか分かった。そこにはバーで話したあの女性の姿があった。

彼女は死の直前、壁に奇妙な絵を残していた。そこには上下逆さまの星が描かれており、絵の周りは焼け焦げていたという。

遺体は屋敷で見つかった。しかし、発見された彼女は異様なものだったそうだ。皮膚は乾ききって骨のように白く、内臓は全て抜き取られており、裸体だった体には傷一つ無く、そして何より、心臓だけが綺麗に残っていた。彼女の死に顔は安らかだったという。

それと共に、屋敷の男が残した手紙が見つかったそうだ。筆跡から、彼が書いたものだと断定された。破り取られたような紙に書かれており、インクが滲んでしまっていて解読は不可能だったが、かろうじて読み取れた箇所にはこう書かれていた。

「これでようやく眠れる」と。


やがて私は、あの屋敷が売りに出されていたことを知った。屋敷の男は原因不明の死を遂げ、そのまま次の買い手も決まらず長いこと空き家になっていたらしいが、とうとう誰も買い手がつかなくなったそうだ。住人がいなくなってしまったからなのか、建物は大分傷んでしまっているようだ。おそらく、買い手はつかないだろう。結局、あの屋敷で何が起こったのかを知るものは誰もいないのだ。そしてそれは、これからもずっと、誰にも知られることはないのだろう。



男が死んでから数年後、屋敷を解体することが決まった。私はふと、あの夢のことを思い出した。夢に出てきた屋敷を実際に見てみたいと思った私は、現場を訪れた。

廃墟と化したかつての屋敷、それはまるで夢で見たような雰囲気を醸し出していた。玄関は施錠されており、中にまで入ることはできなかったが、窓から中の様子を見ることができた。屋敷内は暗く、静まり返っている。私は窓から離れ、建物に沿って歩き出した。屋敷を囲むように植えられた木々、枝葉は風に揺れ、地面は落ち葉で埋め尽くされている。

屋敷の裏まで来たとき、木々が生い茂る中、隠れるように建つ小屋を見つけた。屋根は三角に尖った形をしており、その棟には古びた十字架が掲げられている。中に入ると、部屋の奥には十字架と祭壇、そして古めかしい燭台が置いてあった。窓から差し込む光が暗い室内を照らしている。

十字架の下に小さな箱があり、開けると一冊の本と折りたたまれた一枚の紙が入っていた。本を捲っていくと、それは屋敷の男の手記であることが分かった。そして、最後のページで私の手が止まった。そこにはこう書かれていた。

『私は死を恐れ、眠ることをも拒んだ。私に訪れる眠りは、生きる証を失うことに他ならないからだ。私の魂はやがてその肉体に耐えられなくなり、朽ち果てていくのだ。だが、私には自らの死を選ぶことができなかった。それは神への冒涜であり、許されざる行為なのだ。この呪いを解くため、愛する人の手にかかり息絶えるなどとは考えられなかった。愛する人は病に冒され、もはや自らの足で立つこともままならない。いつ死ぬとも知れぬ命なのだ。ならばこの体を捧げて、永遠に目覚めさせること、それ以外に方法はなかった。私は悪魔の囁くままに取引を。私の体は大理石のように白くなる。神の祝福を受けたかのように。肉体は腐らなくなる。心臓だけが抜き取られ、体だけが生き続けることになるのだ。これで彼女も私と同じように生き続けることができるのだ。病など知らず、いつまでも美しくあり続けるだろう。ああ、何という幸福か』

そこで手記は終わっていた。読み終えた私は、箱に収まっていた紙を取り出し開いた。そして、書かれていた文字を目で追っていく。心情を吐露するような文章、震える手でしたためたのだろうか、所々インクの滲む部分が見受けられた。

綴られていたのは別れの言葉と祈り。それらが綴られた紙は、まるで神聖なもののように思えた。そして何より、強い絆のようなものが感じられたのだった。最後に書かれた署名は、バーで話したあの女性の名前だった。

私は手記と紙を元の通り箱にしまい、十字を切り深く目を瞑った後、静かにその場を去った。



屋敷の解体作業が始まるのはもう間もなくのこと。私は遠くからその光景を眺めている。風に乗って漂ってくる匂い。空は青く澄み渡り、鳥が群れをなして飛んでいく。その囀りに混じり、屋敷がその形を崩していく。巻き上がる黒い煙が空に昇り、私はそれを仰ぎ見ながら太陽の眩しさに目を細めた。




『私の愛したあなたが、死んでしまってから私はずっと眠れずにいます。悪夢にうなされて、朝が来たと思ったらまた夜で、夜の次はいつ来るのでしょう。ただ何も考えず眠っていたいだけなのに。夢の中では、あなたはいつでも私に笑いかけてくれる。夢から覚めれば、あなたのいない現実が私を苛むのです。どうか、私が死ぬまでこのまま眠らせて。もう何も見えなくなってしまった私には、夢と現実の境界も曖昧で。あなたが愛した私のままでいられるように。あなたを忘れないように。このまま眠り続けたいのです。さようなら。おやすみなさい』 アメリア・フェレメレン


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