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シンメトリーの罠

(写真はみんフォトより拝借)

 生田斗真主演の「湯道」を見た。ハートフルコメディ作品で、豪華なキャストと堅実なストーリー展開。橋本環奈が可愛い。いささか長かったが、面白く鑑賞した。

 特徴的なのはそのカメラワークだ。

 とにかく「これでもか」とばかりにシンメトリー(左右対称)のカット割りが続く。体感的には総カットの80%は該当したのではないか。

冒頭すぐに気がつく。当初は「ああ、こういうクセの監督さんなのか。あるいはカメラマンの趣味なのかな」とぼんやり思っていたが、最後までそれが続く。あえてそこにこだわったのであろう。しかし、さすがにその“臭み”が気になってしまい、作品世界に没入できなかった。

昭和生まれおぢの乏しい映画関連知識では、「黒澤明はローアングル」「シンメトリーカットといえばスタンリー・キューブリック」である。

 たとえばキューブリックホラーの傑作「シャイニング」。いささかネタバレになって恐縮だが、双子の女の子の幽霊がホテルドアの左右にたたずんでいたカットのおぞましさは強烈に脳内に刻み込まれている。

つまり、映画理論においては「シンメトリーカットは“気持ちいい視覚体験”になる」ということになっているのだろうと思う。知らんけど。

しかし「湯道」を観ると、「物には限度がある」ということを知らされる。

私はサラリーマンキャリアの中で、報道カメラマンを数年間やった。

たとえ報道カメラマンでも日常的に「決定的瞬間」にはそうそう遭遇するものではない。撮影対象とそのニュースの意味を自分なりに解釈し、粛々とカメラを回すことになる。ゼロから映像を「創作する」ことになる映画とはまったく方向性が違う。

それでも。

たとえば建造物の外観を撮る際に“かっこいい画角”を模索する、など少量の創造性も必要になる。「センス」と言い換えてもいいかもしれない。その意味では「プロ」の最末端に在籍したことになる。

「対称カット」をあえて多用することにどのような狙いを込めたのか。それとも「シンメトリーの罠」に陥ってしまったのか。「湯道」スタッフのプロフェッショナルとしての話を聞いてみたいな。
(23/3/17)


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