“オールドメディア”の存在感
ラジオ放送を聴いたのは何十年ぶりだろうか。
ワールドカップアジア最終予選「日本対オーストラリア」はテレビの無料放送がなかったので、ニッポン放送の実況中継をスマホアプリ「radiko」で聴いてみた。有料放送に加入してまで観たいとは考えなかった程度のサポーターである。
サッカーにはほとんど興味も素養もないので、以下はド素人の感想。
予想していたことだが、ラジオでサッカーを楽しむのはとても難しかった。実況アナウンサーはボールや選手の動きをもっと詳細にしゃべってくれるものと期待していたが、アナウンス量はテレビとほぼ変わらないように感じられたし、そうなると解説者との馴れ合い風雑談もまったくの蛇足。ゴールの様子もさっぱりわからず、翌朝のニュース映像を待つしかないのは、ちょっとイライラした。
それでも、久しぶりにラジオというメディアに接したのは新鮮な感覚だった。
サッカー実況との相性はともかく、「視覚情報がない」ということによって、それ以外の部分はCMを含めて豊かな世界観が広がっていると気づいた。退社前にラジオアプリを準備していたところ、後ろにいた同僚は「僕はradikoを愛用していますよ」と教えてくれた。そういえば私が子どものころ、母はキッチンで毎朝ラジオニュースを聴いていたものだ。いまの自分の視野に入っていなかっただけで、一定の存在感は発揮している。当たり前のことですね、すみません。
そこで気がついた。
「日常的にほとんどラジオに接しない」という感覚、これはいまの子どもたち世代にとっては新聞・テレビがそれに当たるのではないか。
2021年の日本の広告費では、ついにインターネット広告費がマス4媒体(新聞・雑誌・ラジオ・テレビ)の合計を追い越した。
私がメディア業界に入った昭和の末期、「ニューメディアにどう対応するか」が合言葉のように語られていた。「ニューメディア」という言葉自体がすでに死語だが、それだけにネット広告費の超越は「ついにそうなったかー」という感慨がある。SMAPの名曲「夜空ノムコウ」の歌詞、「あの頃の未来に僕らは立っているのかなぁ」が脳内リフレインする。
社会が変わればメディアのありようも変化する。そして、「ニュー」があれば、「オールド」ができるのは自然の摂理。いまやあの4媒体は“オールドメディア”であることは否定できない。
それでもいいではないか。
それぞれのメディアが担う役割はそれぞれ違う。地に足をつけてそれぞれの世界観を追求することで存在感は発揮できる。そう信じている。
(22/3/25)
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