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静謐な環境で働くということ

30年以上奉職した報道部門から異動して2週間が経った。ネタと時間に追いまくられるプレッシャーがなくなった、出社と退社の時間もずっと緩い、などの恩恵を受けている。そして、なんといっても嬉しいのが「職場が静かなこと」である。

とにかく報道フロアは人が多い。それだけではない。常にテレビ各局や契約している外国通信社の映像をウォッチしている。ひとたび「発生モノ」があれば一斉に沸き立つ。それがなくてもOAに向けて自然にテンションは上がってくる。報道の職場を描いた昔のテレビドラマに「池中玄太80キロ」というのがあった。あまり熱心に見ていたわけでもないが、主人公の西田敏行はいつも上司の長門裕之と怒鳴り合いをしていた。実際の職場を知れば流石にあれは誇張された演出だったとわかったが、部外者が思い描く報道の現場はあのようなものなのだろう。会社の産業医さんも「あの職場にずっといるだけでも疲れるでしょ」と心配してくれるが、30年以上もその環境に身を置いていると「ああ、確かに他の人から見るとそうだろうなあ」程度に思っていた。そもそも昭和の終わりに配属された当時、先輩は「ちょっとくらい周りがやかましくても、それで気が散るのはお前がバカだからだ」のようなことを言っていた。

新しい職場はコロナ対策のテレワークが徹底されているため基本的に人が少ない。テレワークというものをやったことがない当方としては、まず職場に慣れるためにおそるおそる出社させていただくことになる。テレビ局なのでテレビモニターは数カ所に設置されてスイッチも入っているが、視界の範囲外でしかも音量は最低限となれば、これはもう存在しないのと同じだ。そうした環境ではとにかく容易に目の前のタスクへ集中できる。考えてみれば当たり前のことなのかもしれないが、30年以上それを知らないまま無駄にパワーをロスしていたのだと気づくと、なんだか虚しくなってしまうのである。

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