わたし、虐待サバイバーです

私は児童虐待サバイバー。同居してる祖父母から虐められたせいで一時はガリガリに痩せて、母の恋人が虐待に気づいて医者に連れて行ってくれた。このまま同居を続ける限り処方されたバランスを飲んでも治るわけがない、と母に助言してくれた彼女の恋人のお陰で、やっと母親の実家から離れる事が出来た。その彼と別れて、新しい彼と同棲を始めた母親には、海外在住の叔母の家に出され、やっと安定した暮らしが手に入り、家族の心配から解放されて、学生生活を楽しむ余裕が出来たと思った頃、旅行中の叔母の不在を狙った義理の叔父による性的虐待を受けた。

一晩で人生が終わった、と感じた事は何十年経っても昨日の事のように覚えている。その日までつけていた日記もその日限りでやめた。当時は地元の高校に入ったばかりで、人生これから、と全てがキラキラとしていて、このまま高校を卒業して大学に進みたかった私は、裕福な叔母の家から追い出されたくなくてひた隠しにしたが、姉経由で事件が発覚すると14歳の少女を悪者にした叔母夫婦に母親の再婚先に戻された。

酒に溺れて働かない新しい義父の狭い木造アパートに居場所はなく、口減らしに再婚後の父親の家に行かされたけれど、父の再婚相手にとっては晴天の霹靂で、二人きりの結婚生活に急に現れた夫の前妻の子どもは厄介者に過ぎない。そりゃそうだわ。そこでもあからさまに邪魔者扱いされて嫌がらせ行為を受けた。優しく優柔不断な父は気の強い義母に何も言い返せない。いつもの事だけど誰も守ってくれない。

ある日、駅前の喫茶店でお茶をしよう、と父に連れて行かれた。小学生の頃に別れた娘より、新しい妻を優先したい父の気持ちは言われなくても充分理解出来たし、客観的には納得したので、辛そうな父に自分から「出て行くから大丈夫」と言った。今思い起こすと、親に迷惑かけないように必死に明るく振る舞う心優しい女の子だった私を褒めてあげたい、と同時に「アホか!おまえが!そんな性格だから!ドアマットみたいに踏みつけられたんだよ!!」と教えてあげたいわ。

支援してる施設の子ども達は皆一様に親想いで優しい。やさぐれてる子はいない。必死で親に好かれようとしてるんだよ。卒業後は自分が親を支えようと思って頑張ってるんだよ。まるで昔の私みたい。心根の優しい責任感の強い子が、親に身内に大人に搾取される。卒業時になると施設に寄り付かなかった親が子に会いに来る。働けるようになったのを見計らいこれから寄生する為。そんな家族は捨てろ!目を覚さなきゃ!

一生分の不幸を二十歳になるまでに体験したので、卒業後社会に出てからは、身内達に理不尽に味わわされた不幸を全部上書きするつもりで、恋愛も仕事も社会生活も全方位に気を配り努力して、《何不自由なく育った帰国子女の社交的なお嬢様》と世間の人の目に映る自分の姿に、「幸せになった」と実感できた。現在は、裕福な夫と聞き分けの良い子を持つずっと恵まれた運の良い女性、として世間では認知されているんだろう。勝手に僻んで妬んで嫉妬に身悶えして嫌がらせする女もいるが、バッカだよね。あんたの不幸なんてちょろいから、私ならすぐに脱却してみせるっての。

虐待された忌まわしい過去を思い出すから、連想させるシーンを観られない、と言うサバイバーが多いけど、反対に私は自分の身に起きた事は終生覚えていたい。加害者に事実を隠蔽させたり、なかった事にさせたくない。虐げられた過去は被害者にとって恥ずかしい事ではない。加害者も、加害者のした悪行も私は絶対に忘れない。

一番の復讐は加害者が妬みで胃炎をおこす程自分が幸せになる事だけど、加害者の悪事を隠蔽させない事も大事。襲われたり暴行されても、被害者が自分を責めるような、加害者に都合の良い自己肯定感の低さも持ち合わせていないし、トラウマやPTSDも皆無なので、記憶のブラッシュアップの為に敢えて虐待や性的搾取されるドキュメンタリーやフィクションには目を通す。

中でもクリント・イーストウッド監督の《Million dollar babyミリオンダラーベイビー》は、家族想いの優しかったバカな私と、妹に母親の生活の面倒を全てみて貰ってる癖に、お礼どころか僻む真正クズな姉の嫌がらせと、それをバックアップする叔母と母の悪行の数々をまるで昨日のことのように思い出させてくれる。

母の友人達は、私を庇って意見して絶交された。考えて見ると、見かねて私を庇ってくれたのは小さい頃からいつも他人だった。客観的な立場からみれば不条理に気づくのだろう。

血は水より濃い、と毒家族が自分達の悪行の言い訳に使う。「家族がそんな酷い事するわけないじゃない。」「妹の為を思っているのよ。」血の繋がりを盾に自分たちの行為を正当化するんだよね。


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