美術史第37章『現代美術発展の開始』
20世紀の彫刻の分野では「地獄の門」「考える人」などの作者で近代彫刻の父と呼ばれるフランスの彫刻家オーギュスト・ロダンの影響が非常に大きく、石材からの解放を目指し蝋や石膏などの伸びのある素材を採用し流動性のある表現を行ったメダルド・ロッソや、ロダンの助手で独自の表現技法を模索しこの時代の代表的な彫刻家となっているアントワーヌ・ブールデル、女性像を多くモチーフにしたアリスティド・マイヨールなどがロダンの様式を進化させる事で20世紀の彫刻は発展していった。
アリスティド・マイヨールはロダンに高く評価された彫刻家であるものの、ロダンの様式とは異なる穏やかな調和の取れた作品を多く作り出し、その作品様式はイタリアのマリノ・マリーニやパリで活躍したエコール・ド・パリの画家の一人で画家として著名なアメデオ・モディリアーニなどに影響を与えた。
絵画の分野では20世紀の始まり、1905年にパリで開催された「サロン・ドートンヌ」という展覧会に出されたフランスの画家達によって描かれた原色を多用した強烈な色彩、激しいタッチといった特徴のある作品達により「フォーヴィズム」という新たな様式が誕生した。
これが現代絵画最初の変革であるともいえ、当初、フォーヴィズムは評論家や雑誌に酷評の意味で"野獣"を意味する"フォーヴ"と呼ばれ始めたものの、画家達は伝統に縛られない色彩、タッチに共鳴、フォーヴィズム絵画の重要な人物としてはアンリ・マティス、ジョルジュ・ルオー、アルベール・マルケ、モーリス・ド・ヴラマンク、ラウル・デュフィ、キース・ヴァン・ドンゲン、アンドレ・ドラン、ジョルジュ・ブラックなどが挙げられる。
原色の強烈な色彩や激しいタッチなどのフォーヴィズムの様式は、点描による新印象派を生み出したジョルジュ・スーラの色彩理論やポスト印象派のフィンセント・ファン・ゴッホの原色表現の影響を強く受けた画家達が独自の色彩表現の探求を行い、色彩を写実的に描くという当たり前の様な事からの脱却を目指して確立されたものであったとされる。
また、フォーヴィズムの指導者だったアンリ・マティスやアンドレ・ドランの教師である象徴主義の画家ギュスターヴ・モローが弟子達に「形式の枠の外で物事を考え、その考えに従え」と主張した影響がフォーヴィズムの考えの土台となっているとされている。
1905年、注目され始めたフォーヴィズムはその後、明確にスローガン的な「色の脱却」などのような宣言的なものを掲げることはなかったため感銘を受けて自らもそれを受け継ぐという画家がおらず、フォーヴィズムの様式は大流行はしないまま1905年のサロン・ドートンヌ以降、消えていった。
その後にはフォーヴィズムの画家達は色調や技法を変化させ、独自の絵画の探求を始めていき、フォーヴィズムの指導者的だったアンリ・マティスはその後も活動を続け「色彩の魔術師」と謳われる20世紀最大の画家の一人となっている。
フォーヴィズムが注目された1905年、ウィーン分離派の影響を受けたオスカー・ココシュカやエゴン・シーレなど以前から前衛的な絵画が存在したドイツではエルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナーやマックス・ペヒシュタイン、エミール・ノルデなどにより前衛的な絵画を描く芸術家グループ「ブリュッケ」がドレスデンにて結成され、フォーヴィズムと同じ強烈な色彩表現を用いるがそれよりも全体的に濃密な「ドイツ表現主義」と呼ばれる様式が登場した。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/19/Gorge_Improvisation.JPG [カンディンスキーの作品]
1909年にはミュンヘンで表現主義絵画の画家達による「新芸術家協会」が設立され、その後には主要メンバーだったワシリー・カンディンスキー、動物の絵画を多く描くフランツ・マルク、独自の絵画を築いていたアウグスト・マッケなどに、同じく独自の絵画を築いていたパウル・クレーという画家が加わり「青騎士」というサークル、およびカンディンスキーとクレーによる雑誌が設立された。
この青騎士、特にワシリー・カンディンスキーの絵画は第二次大戦後の抽象表現主義の元となることとなる。
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