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美術史第21章『ルネサンス美術-初期フランドル派-』


ブルゴーニュ公国の地図、北側がネーデルラント地域
フランドルの羊毛で作られた作品

  イタリアのフィレンツェでルネサンス文化が始まった15世紀前期、ゴシック美術の中心として栄えていたブルゴーニュ公国領のネーデルラント、現在のオランダ、ベルギーあたりでは、特にフランドル地方、ベルギー西部周辺で毛織物工業が発展、国際貿易が活性化し市民階級が豊かになり力を持ち始め台頭した。
 その中でロベルト・カンピンやヤン・ファン・エイクなどの画家が国際ゴシック様式の絵画を発展させ発色の良い色彩技法や精密な質感描写、遠近法など非常にリアルな絵画をフィレンツェのルネサンスとは別に確立し、初期フランドル派を形成した。

エイク兄弟によって書かれた世界的に著名な絵画『ヘントの祭壇画』の一部
ヘントの祭壇画の子羊
ヘントの祭壇画の騎士

 初期フランドル派は北方ルネサンスとも呼ばれるが、彫刻や建築の分野ではゴシック美術の様式が受け継がれており、大きな変革が起こったのは絵画のみで、初期フランドル派のリアルな絵画技法が確立されたのは1420年代にはフーベルト・ファン・エイク、フーベルトの死後の1430年代にはその弟のヤン・ファン・エイクによって完成された「ヘントの祭壇画」と呼ばれる作品であるとされる。

現在でも世界的に著名な画家ヤン・ファン・エイク
ヤンの風景を描いた美術史上の画期的な作品『宰相ロランの聖母』
ヤンの代表作で世界的に有名な『アルノルフィーニ夫妻像』
ヤンの代表作『ファン・デル・パーレの聖母子』

 その後にヤン・ファン・エイクがブルゴーニュ公国の君主フィリップ3世善良公の宮廷画家として活動し、数々の宗教画や肖像画をリアルな技法を使って描き、ヤンはそこで自然に室内と外の風景を同じ絵に描いた画期的な「宰相ロランの聖母」に代表されるような遠くにあるものは霞んで見えるなど空気の性質で遠近感を表す「空気遠近法」も確立し駆使した。

ロベルト・カンピンの祭壇画

ウェイデンの代表作『女性の肖像』
ウェイデンの代表作『十字架降下』

 また、ヤン・ファン・エイクと同時期のフランドル地方では写実的な技法を用い絵画に存在する多くの日用品にキリスト教的な象徴、意味を持たせた絵画を描くロベルト・カンピンという画家がおり、その技法を継承したロヒール・ファン・デル・ウェイデンがヨーロッパ中の貴族の依頼を受け数多くの祭壇画、肖像画を描き、ヤン・ファン・エイクと並び評価され、ロヒールとヤンの用いた技法はネーデルラントの画家達に受け継がれ初期フランドル派の絵画が確立されていった。

百年戦争中の勢力図
赤=プランタジネット家(イギリス)、青=フランス(ヴァロワ家)、紫=ブルゴーニュ

 この初期フランドル派が誕生した理由としては、14世紀から続いていたフランス王のヴァロワ家を中心としたスコットランド王国、ボヘミア王国(チェコ)、ジェノヴァ共和国、カスティーリャ連合王国(スペイン)、アラゴン連合王国などの勢力と、フランスのアキテーヌ地方やノルマンディー地方の領主かつイングランド王を兼任するプランタジネット家を中心としたポルトガル王国やナバラ王国などの勢力によるフランス王位などを巡る戦争、「百年戦争」で、プランタジネット勢力だったブルゴーニュ公国がヴァロワ家勢力のジャンヌ・ダルクが勝利を重ねた事で、1435年に「アラスの和約」でヴァロワ家と同盟、ブルゴーニュ領のフランドルが安定したというのがある。

ディルク・ボウツの作品
ダヴィンチなどに影響を与えたグースの『ポルティナール祭壇画』
メムリンクの『最後の審判』

 フィレンツェからイタリア半島全体にルネサンス文化が広まっていた15世紀後期にはルネサンス以外で遠近法による消失点を初めて描いたディルク・ボウツ、「ポルティナーリ祭壇画」などを描き国際的な名声を得ていたフーゴー・ファン・デル・グース、鮮やかな色彩や細部の描写に拘り「最後の審判」などを描いたハンス・メムリンクなどがフランドルに現れ活躍しており、特にグースの「ポルティナーリ祭壇画」は後にイタリアのフィレンツェに持ち込まれ、15世紀後期に活躍したリッピ、クレディ、ダヴィンチなどに大きな影響を与えることとなる。

世界的に知られる怪奇的な作風の画家ヒエロニムス・ボス
ボスの代表作『放浪者』
ボスの代表作『十字架を担うキリスト』

 また、フランドルでは敢えてそこまで写実的ではなく、怪物が登場したりなど幻想的で怪奇な作品を描くヒエロニムス・ボスという画家も活躍しており、この幻想的な絵画は後の時代の巨匠ピーテル・ブリューゲルに大きな影響を与えることとなる。

ジャン・フーケの自画像
フーケの『ムランの二連祭壇画』

 15世紀、絵画が発展するネーデルラントに対して、フランス本土は百年戦争の終結後にも市民が豊かになるということがなく、貿易で栄えて市民が力を持ったネーデルラントやイタリアのように芸術活動が民衆に広まらなかったため、芸術活動自体が王族や貴族などごく一部の周りでしか行われておらず、この時代にはシャルル7世の宮廷画家ジャン・フーケが非常に写実的なイタリアのルネサンス絵画の技法を使って多くを描いたが、それもフーケの他にルネサンス美術を取り入れる人物が余りおらず、写本の挿絵(ミニアチュール)が主要な絵画様式のままで、大きな発展はなかった。

シュテファン・ロッホナーの聖母画
大きく風景を描いた初めての作品ということで美術史上重要な
コンラート・ヴィッツの聖書の漁の場面の作品
ルネサンスをドイツにもたらしたミヒャエル・パッハーの作品

 一方、15世紀のドイツの美術はゴシック美術の名残が強いものの、初期フランドル派の画家の影響を強く受けており、写実的で繊細な画風のシュテファン・ロッホナーや、量感や動作による感情の表現を確立したコンラート・ヴィッツなどが活躍し、15世紀後半には力強い感じの絵画や微細で写実的な彫刻を施した祭壇がミヒャエル・パッハーにより造られた。

ショーンガウアーの肖像
ショーンガウアーの非常に優れた版画

また、この頃のドイツでは全く新たな様式として版画美術も誕生、この版画美術はマルティン・ショーンガウアーにより絵画と見分けがつかないほどのクオリティに洗練されていった。

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