コーヒー屋のお兄さんの一言と、後悔
暖かい日と、ものすごく寒い日が交互に来るような時期の、
ものすごく寒い日だったと思う。
前の職場の近くには、お気に入りのコーヒー屋がいくつかあったのだけど、
そこへカフェモカを買いに行ったときのことである。
(ちなみにこのカフェモカは、「カフェモカとため息の話」に登場するカフェモカである。)
割と殺伐とした空気感の職場だった。
あまり好きではない環境の中で、毎日荒んだ心を抱えながら、なんとか働いていたように思う。
夕方になって、逃げ出すようにコーヒー屋へ向かい、カフェモカをテイクアウト。注文をしてお金を払って、カウンターでカフェモカが淹れられていく様子をぼんやり眺めていると、
バリスタのお兄さんから急に声をかけられた。
「熱めが良いとか、お好みはありますか?」
んん?温度?選べるの?好みって、、?と面食らって、
「え、、特にないです」と答えてしまった。
すると、
「わかりました。いや、今日すごく寒いので。熱めがいいかなと思って。」
とにっこりするお兄さん。
そこで、ああ!そういうことね!と思ったのだけど、
先ほどまでろくに言葉も発さず作業をしていたものだから、
なんの言葉も出てこなかった。
「ああ、、」と愛想笑いをするだけになってしまった。
ホットのメニューって、機械に任せてただ温めているだけだと思っていた。
あれって、バリスタさんの手によって調節されているんですね。
知らなかった。
そのあと出来上がったあたたかいカフェモカを受け取って職場へ戻りながら、先ほどのお兄さんの言葉を心の中で思い返した。
かけられたのはたった二言だけど、久しぶりにかけられた善意のこもった言葉がものすごく自分の心に刺さって、
お灸のようにじんわりと心を暖めていた。
Mrs. GreenAppleの[ケセラセラ]という曲に、
[痛み止めを飲んでも消えない胸のズキズキが
些細な誰かの優しさで ちょっと和らいだりするんだよな]
という節がある。今思うと、まさにそれだった。
それだけ刺さって、救われた気持ちになったからこそ、
何かこちらも温度のある言葉を返したかったな、、と悔やんだ。
ちなみにそのコーヒー屋さんでの後悔はもう一つあって、
別の日、別のバリスタさんがカフェモカの上にラテアートして渡してくれた。いつもは見かけない方だったので、ラテアートが得意な方がたまたまシフトに入っていたのかもしれない。
普段はラテアートのサービス?はないので、素直に嬉しかった。
心の中では「わ!ラテアートだ!かわいい!!」って思っているのだけど、
あまり反応も示さずテイクアウト用の蓋をカポッとつけて(蓋は自分でするシステムだった)、帰ってきてしまった。
ありがとうございます!とか、かわいいですね!とか、なんでもいいから反応を言葉でしたかったなー、とずっと後悔している。
少なくとも、あ、ラテアートだ!くらいは反応をしたかった。
心の中でどんなに強く思っても、言葉にしないと伝わらない気持ちや、感謝や、喜びがあると思う。
察するのが美徳とされるけれたりもするけれど、
できるだけ素直に言葉にして、優しさを向けてくれてた人にはお返しをできればいいなと、最近思っている。
実行に移すのは難しく、まだまだ修行中ではあるけれども。
あれから、かなりの時間が経った。
あのコーヒー屋にも行っていない。
今の私だったら、どんな言葉を返せるか考えてみる。
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